予想外エンカウント
城の中、といういかにもな見た目だった場所から通路を進み、そこからこれまたわかりやすいくらいに研究所です、みたいな場所へ到着したのは、恐らく城に侵入してからそこそこの時間が経過していたように思う。
まだ夜になってはいないはずだけど、思ってる以上に長居した可能性もあるので確かな事は言えない。
夜かもしれない。
そう思ったのは、驚くくらいにこの研究所らしき場所に人の気配が存在しなかったからだ。
てっきり夜になったら仕事はしないのではないか。そんな風に考えてしまった。
いや、そんなはずはないか。
研究所、という言葉からそこはかとなく偏見とかに満ちてしまいそうだがこういった場所での研究って昼夜問わず、みたいなイメージもあるしなんなら研究する人間って夜行性のイメージもある。偏見だというのは認める。
だがしかし、実はこの研究所が前世もびっくりのホワイトな職場であったならどうだろう?
夕方までの時間働いて、夜になったらさっさと帰ってご飯食べて寝ろ、みたいなところだったら今ここに人がいないのもわからなくもない。
いやでもそれはないな。ないよな。だって辺境とはいえ自国の領土の村であんな事しでかすようなところだぞ。だというのに職場はホワイトとかあるか? もしそうだったとしても、何でそこだけホワイトなんだよって俺なら突っ込むね。
大体の時間が把握できていないのは、この周辺に窓がないからだ。
窓から見える外の景色、なんてのがあればそれこそ昼夜どっちかはわかりそうなものだがこの辺りに窓は一切ない。そのせいで余計に閉塞感があるわけだが。
「誰も……いませんね」
警戒しつつも研究所の中へと足を踏み入れるルフトと少し距離をあけて俺も続く。もし何かの罠があった場合、お互い近くにいたらそれこそ纏めて罠に引っかからないとも言い切れない。
とはいえ、恐らく罠はないだろう。
これが近未来的な感じだったらどうだろうなと思うんだ。センサーとか。何か登録されてないDNAとか検知してレーザーとかが攻撃してくるとか、SFものだと割とよくありそうな罠を疑うんだけど、いかんせんここ近未来的も何もあったもんじゃない。
魔法があるからそういった罠を仕掛けようと思えばできなくもないだろうなとは思うけど……無人の場所を魔法でずっと護り続けるというのも中々に難しいのではなかろうか。精霊次第ではあるけど。
何らかの薬を調合するのに使われていたであろう長机がいくつか並び、いくつかは綺麗に片付けられているものの、そうじゃない机もある。器材が片付けられてないだけなのか、それともすぐに使うから出しっぱなしなだけなのか。生憎俺にはわからん。
奥の壁の方には恐らく以前合成獣を研究していた時に使ったのではないか、と思われる巨大なガラスケースが設置されていた。壁を隠すようにいくつものケースが並んでいるが、今は使われていないようでその中には何も入っていない。
研究所っていうくらいだから、てっきりもっとこう、開発中の合成獣とか開発途中で放置状態の眠りについてるようなのだとかがいてもおかしくはないなと思っていたが、そういう意味では拍子抜けするくらいにこれといった何かが見当たる感じではない。
なんというかだ。
研究所である事はそうなんだろうけど、もっと物々しい感じを想像していただけにそれが裏切られた感は確かにある。パッと見ただけなら、他の大陸で魔法を研究していた学校の研究室とそこまで変わらないのだ。
ちなみに魔法を研究とは? と思われがちだが、精霊にお願いをスムーズに聞いてもらえるためにはどういう言い回しをするのが効果的かとか、そういった研究がメインだったしあとは魔法が使えない時の為にと傷薬だとかの薬草調合なんかをやる場所だったので、本格的な研究所という感じでもなかった。
その場所と、ここがほぼ似た感じだという事も何だか違和感がある。
人間至上主義の帝国、となればもっとこう……色々と最悪の方向性を想像していただけにあまりにも普通すぎるのだ。
「見た所、あまり使用されている感じでもなさそうだな」
既に研究はされていないのかもしれない。机の上に放置されている器具も、単に薬草を調合するときに使うようなものばかりなので、出しっぱなしであってもまぁすぐ使うとかよく使うから出したままなんだろうなぁと思える物ばかりだ。
俺の予想と大分違うこの場所に、戸惑いを隠せない。
こう、奥のケースとか水槽っぽくされて中に人体実験された人とかが入っててもおかしくないような光景を想像してはいたんだ。だって帝国だし。もうこの時点で偏見が凄い事になってるけど、でも帝国だし。
中身が人間じゃなくても異種族であってもどっちにしてもそういうのがあってもおかしくないと思っていたけど、そういったものは一切ない。
どういう事だろうか、と思って放置されたままの器材をじっと見てみるとうっすらと埃が積もっているのが見えた。使わなくなってそれなりに経過しているらしい。
二、三日程度放置しただけとかならこんな風に埃が積もる事もないはずだ。そりゃ、全く埃がつかないって事もないだろうとは思うけれども。
……もしかして他にも研究所っぽい場所があるのだろうか。
少なくとも数日使わないけどそのうちまた使う、って感じじゃないんだよなこの場所。また使うにしたって掃除くらいはするだろ。次に使う時にこのままの状態からそのまま使うとかないだろうし。
ここを使ってる誰かが直接掃除をしなくとも、城の中で働いてる誰かが掃除をするはずだ。
「……ルフト」
「はい」
どういう事だろうかと思いながらも室内を見ていけば、遠くの方からこちらにやってくる誰かの足音。
一先ずここから出て行こうにも足音が複数聞こえてきているので、下手をすると即座に見つかりかねない。こちらに向かってきているようであるとはいえ、ここに来ると決まったわけじゃない。希望としては甘いけれど、それでも足音の向かう先がここじゃなければ……そう思いながらなるべく見つからないような場所へ身を隠し息を潜める。
足音が近づいてくる。
話声などは聞こえない。ただ足音だけが聞こえてくる。
大分近づいてきた。
そうして最悪な事に、足音は一度止まりよりによってこの研究所……いや、研究室と言った方がいいだろうか。この場所へと入ってきた。
「折角隠れているところ申し訳ないが、バレているよ」
やや甲高い、だがしかし静かな声音。もしかして魔法か何かで侵入者を察知するようなものが仕掛けられていたのかもしれない……全く気付けなかったが。
相手の言葉がハッタリであれば良かったのだが、恐らく本当に気付いているのだろう。
であれば、その言葉を無視して隠れたままでいるのは得策ではない。
しぶしぶではあるが物影に隠れていた状態から姿を見せる。
入口部分は全身鎧を身にまとった兵士によって固められ、強引に突破してここを出るには少しばかり難しい状況だ。
その兵士たちの一歩前にいる存在を見て、俺は思わず首をかしげていた。
着ている服からして明らかに上質。身分は確実に位の高い存在だろうとわかるほどの物だ。
てっきりこの研究室を今使っている誰かだと思ったが、研究者だと考えるにも少し、違和感がある。
「……あんた、誰だ?」
「はははおかしな事を訊く。まさかこの国でそんな事を訊かれるとは思いも寄らなかった」
男は痩身というにはいささか痩せすぎているが、声の様子から不健康そうな様子は感じられない。声だけ聞けばとても元気ハツラツだ。正直骨にかろうじて皮がくっついているだけと言われても納得できる。率直に言って骨と皮だけみたいなのに、声だけ元気というのも何だかおかしな感じだ。
外見を見たところで誰であるかわかりようがない。けれども着ている服は見覚えがあった。
……ここに来るまでに通り過ぎてきた場所で、俺は確かにこの服を見ている。
「まさか……皇帝……?」
途中にあった皇帝の肖像画。あの絵の男が着ていた服とほぼ同じだ。
しかしあの絵の男と今目の前にいるこの男とでは、とてもじゃないが明らかに別人だ。
「ふむ、それくらいは理解できているようだ。あぁそうだとも。我こそがこの国の頂点に立つ者よ」
芝居がかった動きでそいつは両手を広げてみせる。
肖像画を見ていなければもしかしたら信じたかもしれない。けれどもあの肖像画を見た後でそう言われても、俺にはタチの悪い冗談にしか聞こえなかったしこいつは単純に自分を皇帝だと思っている狂人か何かだ。
しかし本当にただの狂人であるならば、彼を守るように控えている帝国兵がいるのはおかしい。本当の本当に狂人であるならばそもそも控える以前にこいつをひっ捕らえているだろうし。
「さて、折角やって来たところ申し訳ないが、生憎城の中を案内してやれる程暇ではなくてね」
広げていた腕を戻し、右手で自らの顎のあたりを撫でさする。
何度か撫でた後で、思い出したようにその手を移動させてパチンと指を弾いて鳴らす。
それが合図だというのは言われるまでもなく理解できていた。てっきり控えていた帝国兵が襲い掛かってくるものだとばかり思っていた。
しかし――
どん、という衝撃がやってきたのは正面からではない。背後からだった。予想外の方向からきた衝撃に思わずバランスを崩す。咄嗟に視線を後ろへと向けるが、そこにいるのが誰かなんて言うまでもない。
「ルフト……?」
完全に床に倒れる前に膝をついてどうにかべちゃっと倒れこむのだけは回避したが、背後から突き飛ばしたのは間違いなくルフトだった。次いで収納具から取り出したのだろう。真っ黒な石にしか見えないそれは、俺の記憶の中でもずっと昔に数える程度しか見た覚えがないものだ。
確か、発動させている魔法を強制的に解除するとかそんなだったような……
なんて思ってるうちにその石が効果を発揮したらしい。ルフトの髪の色が戻り、耳も少しだけ尖って元通りになる。そうして俺の方にも効果を及ぼしたらしく、隠していた耳が元に戻ったのだという事は鏡などを見なくても感覚的に理解できてしまった。
どうして今ここでわざわざ魔法を強制的に解除したのだろうか、なんて疑問は後回しだった。とにかくすぐさま立ち上がってここから脱出しなければならない。けれど――
「ここまで来て逃げられると思わぬことよ」
含みのある笑いを浮かべながら皇帝が魔法を発動させる。
「くっ……しまっ……!?」
こちらもどうにか魔法で対抗しようとしたものの、それよりも早く床から唐突に現れた鎖が巻き付いて身動きがとれなくなる。それでもなお魔法を発動させようとしたが、
バチバチバチッ!
「ぐっ……!?」
スタンガン最大出力とか目じゃないくらいの勢いで鎖から電流のような衝撃がやってきて、一瞬とはいえ呼吸が止まる。その一瞬の呼吸が止まった感覚と、襲ってきた衝撃でどうにか倒れないようにしていたというのにぐらりとバランスが崩れ結局床に倒れる事となった。
というか巻き付いた鎖が結構きつい。息をするのも少しばかり苦しいなと思っていたが、そこにきて一瞬とはいえ呼吸が止まる程の衝撃だ。そりゃ倒れる。
「約束通り連れてきました。これで、いいんですよね」
「あえて生きたまま連れてくるとはな……いや、良い良い、多少の時間こそかかりはしたがこやつは確かに餌となる。
……連れていけ」
「はっ」
ルフトの言葉に上機嫌でこたえた皇帝が顎でこちらを指す。そうして帝国兵が二人ほど近づいてきて遠慮も何もなく俺を抱えあげた。抵抗しようにも鎖のせいで身動きが取れないし、魔法を使おうとすればさっきと同じ衝撃がくるし、しかも抱えてる帝国兵にはその衝撃はないようだしで、俺はなすすべもないままに荷物のように運ばれたのだった。
行先? 勿論決まっている。
牢屋だ。