知らない所で知られている
口から黒い触手を生やしている妊婦だった女、という字面からしても視覚情報からしてももう何がなんだかわからないものを、俺はただ呆然と見ていた。えっ、何あれ。
ハンスがいたら絶対悲鳴上げてるやつなんですけど。
というかだ。喉に詰まらないんだろうか?
いや気にするべき部分はそこじゃない……とか思ってたら唐突に触手が引っ込んだ。どこから生えてるの!? 喉とか詰まる詰まらない以前にもっと奥にしたって食道埋まるよなあの触手……あのお姉さん白目むいてるし意識あるかどうかもわからないけど、このままにしておくわけにも……
助けるにしてもどうやって、という疑問があるわけだが、そんな俺のお悩みを解決するよりも先に事態は進んでいく。
触手が引っ込んだと思ったら、お姉さんの腹が裂けた。
内側から何かが引き裂いたかのように裂けて、そこから一気に黒い触手が飛び出てくる。
「ギニャア……ギニャア……」
どう頑張って好意的に聞いても可愛いとは絶対言えない鳴き声を発しながら出てきたそれは、どこからどうみても魔物ですねとしか言えないフォルムだった。
根元の部分は固まっているようだが、先の方はバラバラになっている。そのバラバラになった部分が触手なんだろうけど、固まった部分の下の方にも小さな触手がびっちりついてて細かく動く事で移動を可能にさせているようだ。
控えめに申し上げて、すごく……気持ち悪いです……
「隊長、他のものも終了しました」
「よろしい。撤収する」
「はっ」
そんな気持ち悪い化け物がうごうごしてるというのに帝国兵は一切何も気にした様子がない。
いや、え? 俺がおかしいの……?
何であんな平然としてるわけ?
思わずルフトへ視線を向ければ、彼はそっと首を横に振った。
兵士たちは淡々と剣についた血を振り払ったり拭ったりした後、鞘へと戻し何事もなかったかのように引き返していく。
いや……えっ!? そんなあっさりと!?
え何、俺がおかしいの? 何であれ完全に一仕事終えましたみたいな感じなの!?
「行きましたか……では、すぐさま燃やした方がいいと思います」
「何を言ってるんだ」
こちらに気付く事なく立ち去っていった兵士たちを追うべきなのか、それともこの村の状況を調べるべきなのか……表情には出さずに俺が混乱していると、ルフトはさも当然のようにそんな事を述べてきた。
え何、俺がおかしいの!?
急募 ハンス
俺にはお前のツッコミとかが多分今必要だ。
「放置しておくわけにもいかないでしょう」
押し殺したように告げるルフトに、放置も何も、と思いつつ事切れて動く気配のない村人たちへと視線を向けようとして……脳が理解を一瞬拒んだ。
動いている。
切られ、血を流し絶命した村人たちだったそれらがびくんびくんと陸に打ち上げられた魚のように跳ね、肉がぼこぼこと腫れあがった。いや……あれはもしかして、血液が沸騰でもしているというのか……? 馬鹿な。死んでるんだぞ……!?
ギニャアギニャアと鳴く触手がちょろちょろと蠢き、その触手を村人たちへと伸ばす。そうしてそれはまるでミカンの皮でも剥くように裂いていった。
死体に更になんて事してるんだ、と思う間もなく村人だったそれらの内側から何かが這い出てきた。それはやはり同じ触手のようなものであったりだとか、昆虫や動物の姿に似たものであったりだとか。
似ているだけで同じではない。それらがそれぞれ奇妙な鳴き声とともに蠢いている。
「村の人たちはもう手遅れです。そしてあれをあのまま放置すればもっと大変な事になりますよ」
言いつつルフトが懐から何かを取り出した。
蠢いていたそれらが思い思いに動き始めれば、確かに村の外にあっという間に出ていってしまいかねないし言っている事は理解できる。できるけれど……状況がまったくわからん!!
ただこいつらを放置してはまずいというのは流石にわかったので俺も魔法を使おうとして――
キュゴォン!
それより先にルフトが懐から取り出した何かをそいつら目掛けて投げつける。
思った以上に大きな音。それと同時に炎が上がった。
魔法を使おうとして一瞬ためらったのは認める。
さっき魔法を使おうとして一切何の反応もなかった村人の様子から、本当にちゃんと発動するだろうか、と疑ったのは認める。俺に関してはそんな事ないと分かっていたにも関わらず、だ。
でもその一瞬のためらいの間にそんな大きな音立てるような物騒な道具使うのもどうかと思うんだ俺は。
これ絶対さっきの帝国兵気付くんじゃなかろうか。
見れば村人だった者の肉体はほとんど損壊。これはもうきちんと埋葬とかそういうのも無理そうなレベル。正直神なんぞ信じちゃいないが俺はそれでも一応十字を切ってから魔法を発動させた。
「浄化の炎を!」
直後、村周辺は昼のような明るさに包まれる。これ絶対さっきの帝国兵に気付かれるやつー。でももう多分さっきのルフトので気付かれてると思うから俺のせいってわけでもないよなと言い聞かせ、明るさがおさまった後の村を見る。
村人だったものも、そこから出てきたナニカも、挙句建物も何もかも綺麗に燃えてなくなっている。こんだけ全部綺麗に燃えたならその近くにいた俺たちにも何らかの被害が出るだろうはずだけど、魔法なので俺とルフトには何の被害もない。普通の火だったら俺らもこんがり焼けてたわ。
「……凄い……」
何もかもが燃え尽きた後の村を見て、ルフトが呟く。
どこか呆けたように村をみつめるルフトの反応はまぁわかるにしても、正直そんなにのんびりもしていられない。
見れば撤収していったはずの帝国兵が引き返してきている。ですよねー。俺も帝国兵の立場ならそうするわ。
聞きたい事はあるけど今そういう余裕もなさそうだし、とりあえずあの帝国兵から果たして話を聞きだせるだろうか……うーん、無理かな。
「……ルーカス・シュトラールか」
「何故、僕の名を」
六人いる帝国兵のうち、多分隊長格らしき一人が俺の名を口にした事で内心ちょっとドキッとする。いや決してこのドキッは恋の訪れとかではなく純粋にえっ、何で知ってるの怖ッ、という恐怖である。
「帝国内で貴様の名を知らぬ者は恐らくおるまいよ」
ふっ、とどこか馬鹿にするような笑いとともに返されたけど、それどういう反応すればいいの俺……むしろ帝国には今日初めてやって来たばかりなんですけど何でそこまで俺の知名度凄い事に……?
これがどこかで大暴れして悪名名高いとかそういう感じであればまだしも、生憎帝国内で名が知れ渡るとか何でどうしての世界なので意味不明過ぎて恐怖しかない。
あと帝国兵全員が全身鎧で顔もまともにわからないから、誰が誰なのかさっぱりすぎるっていうのも若干恐怖を抱く一因になってる気がする。これ実は隊長格がこっちと話してるんじゃなくて、六人の中で一番下っ端が話してたとしても俺にはわからんぞ……
「さて、大人しく縛につくのであれば良し、そうでなければ最悪殺しても構わんとの達しが出ている」
「こんなわけのわからない状況下で大人しくすると思うか……?」
もっとフレンドリーな態度なら考えたけど、これ大人しくしても絶対命の保障とかないやつ。連れていかれる先がどこかもわからないけど、どう考えてもロクな結果にならないだろうなってのはわかる。
だってこれ、アレだぞ。前世で言うなら厳つい刺青とかしちゃってるどう見ても堅気じゃないにーちゃんから「ちょっとツラ貸せや」って言われてるのと多分同じやつだぞ。
助けてポリスメン案件じゃねーか。
しかし現状ポリスメンに該当しそうなのは帝国兵なのでどう考えても助からない。
ちなみに村に忍び込む時にはせめて人間のフリをしようと魔法で耳を誤魔化すつもりだったけど、流石にそんな事をする余裕もなかったのでこいつら一人でも逃がしたら確実に不味いのでどうにかして倒さないといけないのは確定した。
あちらさんも既に剣抜いて臨戦態勢だもんな……どう考えても逃げられないイベント戦だわ。
「殺すのは最終手段だ。まずは逃げられないよう足を。次いで魔法が使えないよう喉を潰せ。腕をもいでも構わん。何、どうあれ生きていればいい」
多分隊長らしき奴がそんな指示を下す。
いや、おい、何か簡単に言ってくれてるけど俺の身体はもぎも〇フルーツじゃねぇんだわ。っていうか最終的にそれどう考えても死ぬだろ。殺すのは最終手段っていうか、もう最初から最終手段持ってきてるとしか思えないんだが。
正直そこら辺どうなんですかと問いたい気持ちはあったけど、一斉に襲い掛かって来た帝国兵をどうにかいなすので精一杯でとてもじゃないけどそんな質問口から出せるはずもなかった。
二対六とか不利が過ぎる。