自作する地獄
あの後。
どうにか吊り橋を渡りきり、そこからまた山道を下っていって出た先は荒野だった。周囲を見回すも目立つものは特に――あ、いや、遠くの方に何か大きな河が見える。山のあの川と繋がってたりするだろうか。向こうに行けばもしかしたらミリアたちと合流できる可能性はあるが、そっちにはそれしかない。
反対に別方向を見れば人里っぽいものが遠くにうっすらと見えない事もないので、行くならそっちだろう。
ミリアが合流すると言っていた以上、あいつらも川からどうにか脱出したら近くの人里を目指すはずだ。
ともかく情報を得ない事にはどうにもならないわけだし。
ところで俺たちがヒキュラ洞窟の中に一体何日いたのだろうか、と思って精霊に問いかけてみればどうやら二週間ほどはいたらしい。マジか……途中で寝た回数そこまでじゃなかったからもっと早くに出てきたんだと思ってたけど思ってた以上に体内時計が狂っていたようだ。
一応精霊が暦を理解してくれていて助かった。
「いいんですか?」
「あぁ」
ルフトの問いに短く返す。
向こうに広がっている大きな河へ行けばミリアたちと合流できる可能性は高い。けれど、本当に向こうに流されていったかはわからないし、何よりどこか途中で脱出した可能性を考えると向こうで合流できない事だって有り得る。可能性として高いだけで、確実に合流できるわけじゃない。
合流できなければ、向こうに行ってもあるのは河だけ。下手をすればあのあたりで野宿する可能性も出てくる。水辺は動物が寄ってくることもある事を考えると、あまり乗り気はしないな。
こちら側にとって安全な動物だけが水を飲みにやってくるとは限らないわけだし。
「――と、そうだ。これを」
収納具から白いフード付きのポンチョっぽいものを取り出してルフトへ渡す。
「これは?」
「この先行く場所は帝国のいくつかある拠点のようなものだろう。流石にそこに堂々とこの格好で行くのは無謀すぎる」
何せ俺らは色こそ違えど反帝国組織から支給された軍服を着用している。
他の服に着替えるのも有りといえば有りだが、いかんせん防御力的な部分で考えると着替える方が心もとない。
けれどもとりあえずこれを上から身に着けておけば大半は隠れるので、俺たちが着ている服がそうだとすぐにはわからないだろう。というわけで俺も一応黒いのを取り出してさっさと身に着けた。
……ふむ、鏡で見たわけじゃないからなんともいえないが、まぁ見える範囲だけなら軍服だとは思われにくい……か?
そういう事かと納得した様子のルフトがすぽっと被ったのを見て、多分大丈夫そうだなと思ったのでまぁいいだろう。
フードもすっぽりかぶってしまえば顔も周囲から見えにくくなるだろうし、けれどもそこまであからさまに隠そうとしてる感じもしない。これならまぁ、どっか他の所から来た旅人と言い張って大丈夫だろう。
まぁ、町や村に入る前には一応魔法で耳のあたり誤魔化すけど。
流石に耳はどうにかしないと一発でバレるからな。とはいえ四六時中魔法で誤魔化しっぱなしというのも疲れるのであくまでも人と遭遇しそうな場所に行く時だけの予定だ。
河を背にして、遠くに見える村っぽい場所へと移動を開始する。
異変に気付いたのは、その村に大分近づいてからだった。
その頃には空もすっかり暗くなってしまい、いやもうこれ諦めて適当な所で野宿して明日改めてあの人里に行けばいいんじゃないかなと思ってたんだけど、徐々に見えてきた人里が規模からして村かと理解したあたりで声が聞こえた。
例えば一家の団欒といった楽しげな声であれば気にする事もなかった。そんな声が複数聞こえてきていたならば、村で何か祭りのようなものでもやっているのだろうかと思うだけだった。
けれど聞こえてきたのはそんな楽しげなものとは正反対の悲鳴。
一つ二つなんてものじゃない。まさか、魔物か盗賊のどちらかが村を襲って――!?
ここは帝国だ。だから別に、俺が首を突っ込む必要はどこにもない。
けれど、帝国に関して俺は何の情報も持っていない。
今、帝国はどうなっているのか。それを知るためには行くしかないだろう。
駆けだした俺の隣にルフトがやってくる。並走し、
「行くんですか?」
と、まるで冗談でしょう? とばかりに聞いてくる。
「今は少しでも情報が欲しい」
それがどんなものであったとしてもだ。
ひっそり隠れて様子を窺うだけで済ませるべきなのかもしれない。けれどもそんな猶予もなさそうだ。
――そうして辿り着いた村は、さながら地獄のようだった。
村の規模はそう大きなものではない。帝国の中だからと身構えていたが、帝国以外でも見かけるような、何の変哲もない村と言っていい。立ち並ぶ素朴ともいえる家々。畑、井戸、小さな教会。俺がざっと見た範囲にあるのはそれくらいだが、見えていない範囲にある建物だってそう変わったものというはずもない。
その村の中、集められていただろう村人たちが、重厚な全身鎧を身に纏った帝国兵たちによって切り殺されていた。
一方的な虐殺。上がる悲鳴。命乞いの言葉。泣き叫ぶ声。しかしそんなものは一切無いもののように兵士たちは淡々と、一人、また一人と処分していく。
処分……って言い方はどうかと思うがその言葉がぴったりだった。虐殺ではあるが、兵士たちからすればそれはただの作業なんじゃないかと思えるくらいに淡々と事が進められていく。
咄嗟に暗がりに身を隠して様子を窺っていたが、どうしたものかと考える。
ここは帝国だ。
フロリア共和国じゃない。
自国の兵士が自国の民を殺している。
一方的に見えるけれど、もしかしたら何らかの罪をこの村の連中が犯してそれを粛正しているだけ、という可能性もゼロではない。
いや、至って善良な人たちに見えるんだが、だからといって俺がここで出ていってどうにかするにしてもな……と思う部分もある。
「ルフト、これは一体」
「……さぁ、今回はたまたまこの村がそうだった、それだけの話では」
「何が起きてるか知ってるのか?」
「…………見ていれば、嫌でもわかると」
一応帝国にいた事があるルフトにそっと問いかけてみたが、ルフトはあまり多くを語らなかった。見ていればわかる、それだけだ。それ以上は語るつもりがないらしい。
飛び出して助けに行くという選択肢はどうやらルフトも持ち合わせていないらしい。
まだ生き残っていた村人が、何故、どうしてこんな事を、と問うているが帝国兵は答えない。逃げ出そうにも腰が抜けてマトモに動けないだろう村人が、それでもどうにか距離を取ろうとしてずりずりと這うように動いていたが一歩、たった一歩帝国兵が動いただけでその距離は簡単に縮まった。
直後、ぎゃあああああ! と絶叫が響く。逃げようとしていた男の足を帝国兵が切り落としたからだ。足、おれの足がッ! と半狂乱になり男はもがいている。
こうなってしまっては、もうどうしたってあの男が逃げる事は不可能だろう。切り落とされた足がそこにあるから、魔法を使えばくっつくだろうと思ったが、切り落とされた足を帝国兵は容赦なく踏みつぶした。
……踏みつぶした!?
いや、いくらなんでも潰せるものか? 切り落とされたからとて、その足は割としっかりしているように見える。筋肉が程よくついてるだろうし、骨だってある。それを、いくら重々しい全身鎧を身に纏っているからとて、熟れた果実を潰すように踏みつぶせるものだろうか?
目の前で自分の足がそんな事になってしまい、ますます男は泣き叫び喚き散らした。
なんて事しやがるこの悪魔。地獄に落ちろクソ野郎。おれたちが一体何したっていうんだ。
ひぃひぃと嗚咽混じりになった声はとても聞き苦しく、かろうじて拾えた言葉はそれだけだったが……そんな言葉を投げかけられた兵士は一切の反応もなくもう一歩男へ近づいて、首を刎ねた。
「あ、あなた……いやあああああああ!」
男の近くにいた女が悲鳴を上げた。返り血が飛んで赤く染まった女は自分の口に手をあてて必死に何かをこらえようとしていたが、限界だったのだろう。その場で胃の中のものを吐き出していた。
びしゃびしゃと大地に落ちる吐瀉物に、しかし兵士たちは一切の反応を示さない。
「うっ……」
女は男の妻なのだろう。よく見れば腹が少し大きい。妊婦か、おいおいおいそんな人にとんでもねぇストレス与えてるとかどういう事!? 状況がさっぱり理解できないがこれは助けに出るべきか、と思ったがルフトが俺の腕を掴んだ。
「手遅れです」
「いや、手遅れって」
散々吐くだけ吐いた後で、女は腹をおさえて身体を丸めて縮こまった。
男の首を刎ねた兵士が顎で何かを指すような動きをすると、別の場所にいた兵士が何かを持って近づいてきた。片手でも持てるような小さめの箱を両手で持っている。そこから何かを取り出した兵士は女の顔を無理矢理上げさせて、
「いや、なに、なにぃ……!? ぉえ」
箱から出した何かを無理矢理口に詰め込んで吐き出せないように口を強引に閉じた。一切加減もされずに顔をおさえられているせいか、女は苦しげに藻掻いているがやがて力尽きたように動かなくなる。兵士が手を離すと、抵抗もなく地面に倒れた。
「姉さん……よっ、よくも……!」
少し離れた場所に倒れていた別の女が顔だけを上げて兵士を睨む。
「お願い精霊様! 殺して! あいつら皆殺しにしてよぉ!!」
姉さんと呼んでいたくらいだから、妹なのだろう。彼女は力の限りに叫んでいた。同時に魔法が発動――する事はなかった。
悲痛ともいえる叫びに応える精霊はいなかった。叫びの後はしんと静まり返っている。
「うそ、うそ、何で!? さっきまではちゃんと……じゃあ、姉さんを、姉さんを助けて!」
ぼろぼろと涙を流しながら再び叫んだ女だが、やはり何の反応もない。
「無駄だ」
今まで一切何も喋らなかった帝国兵が無慈悲に告げる。
「この国の精霊は我らと共に在る」
「だったらなんで!」
「今までは戯れだったのだ。家畜に手を貸していたのも。だが、人に歯向かうのであれば力を貸すはずもない」
「……え」
何を言われているのかわからない、そんな顔をしていた。
正直俺も何言ってんだ? という気持ちで一杯なんだが。
いやあの、この村の人帝国の人だよな?
さっきまでは、とか言ってたくらいだから、ここに帝国兵が来る前とかは普通に魔法が使えていたって事だよな?
でも今力は貸さない、と。言葉をそのまま受け取るなら、帝国兵は人間だけどこの村の人たちは人間ですらない、どころか家畜……?
俺が現状を理解しようとしているうちに、女の方も意味を理解したのだろう。その表情は怒りで歪んでいる。
「誰が、誰が家畜っ!? この村の皆、ちゃんとした人間よ!! 侮辱しないで!」
「家畜が人を名乗るか……愚かな」
それは、心の底から見下したような声だった。正直自分に言われたわけじゃないのに俺もカッチーンときた。直接その言葉を言われた本人の怒りはもっとだろう。ぐっと地面を握りしめるように拳を固め、どうにか立ち上がって――
「馬鹿に、するなああああああああ!!」
握りしめた手を帝国兵へと振りかぶる。少量の掴まれた土が帝国兵へ投げつけられた。とはいえほぼ意味はないだろう。顔面を完全に覆うような兜のせいでピンポイントで目に土が入るような展開もほぼガードされた。あれがなければ目に入らなくても鼻とか口とかに土がついた時点でちょっとくらいは隙を作れたかもしれない。
叫んだ女はそのまま帝国兵に向かって駆けだしていた。距離はそう開いていないのですぐに接近できるだろうけれど、流石にそれは無謀では!? 思わず助けに入ろうかと思ったが、ルフトががっしりと俺を掴んでいるせいで動くに動けない。
「ああああああああああ!!」
叫びながら突進していった女だったが、しかしその足が唐突に止まる。
「あ……?」
見れば黒い何かが女の腹を貫いていた。女が向かっていた帝国兵は何もしていない。けれどそのすぐ近くでゆらり、と。
「ね……さん……?」
蠢くそれを女も見た。信じられないと言わんばかりの表情で凝視して、そのまま倒れる。
先程何かを無理矢理飲まされた女の姉、妊婦だった彼女がそこにいた。いや、これを姉といっていいのかちょっと困るんだが……
口から黒い触手を出してるとか、ちょっと俺もどういうリアクションとればいいのかわからない。