夢はささやかにちょっといい寝具を揃えること
ケーネス村を発って数日。
指示書が届けられる事もなかったので、俺たちはそのまま進んでイミルアの町へとやって来ていた。
こちら側に潜入した帝国の連中が異種族を連れ去ったりするなんて話が出れば、そういうのを救出したりするようにっていう指示書が来たりもするし、場合によっては指示書よりも先に精霊から情報を得る事もあるのだが、そういった案件も今の所は無いようだ。
とはいえ、ティーシャの街と比べればここはライゼ帝国に近い位置にある。近い、といっても国境まではまだ先だが。それでもこの辺りはティーシャの街と比べれば潜んでいてもおかしくはないのだ。そのせいか、町を見回る兵士の目もやや厳しい。
ティーシャの街と比べるとイミルアの町は小さな所だ。けれど、人の通りが多い。行商人なんかもちょっと見渡せば数人視界に入る。行商人以外にもいかにも冒険者です、みたいな奴だって視界に入ってくる。この町の住人だろう奴だっているけれど、それよりも外から来た相手の方が多い印象だった。
そういうのに紛れて帝国の奴らが潜入していても何らおかしくはない。だからこそ見回っている兵士の警戒は無理もない話だ。
俺たちは連日の野宿のせいで正直ちょっと疲れていたので今回はきちんと宿をとって休む事にした。
ちなみに部屋はそれぞれ別だ。大部屋一つとった方が料金的には優しいんだが、俺が一人でぐっすり寝たいという正直に口に出しちゃいけない欲望から一人部屋を三つとった。
俺だけ個別でハンスとルフトを一緒の部屋にするわけにもいかないだろう。
そもそもルフトだって寝る時はあの仮面を外している可能性がある。同部屋にしたらずっとあの仮面つけっぱとか考えると、流石にちょっと……と思わなくもないのだ。
早急にテントの中でもぐっすり眠れる寝具を用意する必要があるな……と思いながらも、購入するにしても店を見て回る気力が今のところないのでそのまま部屋のベッドに横たわる。
やっべ、このまま寝そう……
とか思ってたらホントに寝てた。
起きたら西の空が赤く染まってた。
……最近野宿続きで疲れが溜まってたんだろうな。そんな一言で済ませていいかはわからないが。
とりあえず部屋から出て一階へと向かう。
この宿も一階で食堂兼酒場をやってるので、とりあえずそこにいけば食べ物はどうにかなる。夕食には早いが正直昼を食べ損ねたので起きたばかりだというのに既に胃は空腹を訴えていた。
お勧めメニューを注文してそれを食べて、まだ外は暗くなっていなかったし折角なので外に出る事にする。
人の通りが多い分、そういった客を見越して夜遅くまで営業している店もそれなりにあるらしい。じわじわと空が藍色に染まりつつあっても尚、人が減った様子もなかった。
離れた場所から楽器の演奏と共にご機嫌な歌声が聞こえてきた。
こんな時間に大道芸人が芸を披露するとは思えないので、多分近くに酒場でもあるんだろう。……宿に近いとなると、夜寝る時うるさくないだろうかこれ……まぁ、酷いようなら魔法で防音結界展開すればいいだけだしあまり気にするものでもないか。
なんとなく外に出て、ついでにまだ営業している雑貨屋などを見て回る。
野宿の時に使ってる道具とかは壊れても魔法で直せるけれど、それでも経年劣化はどうしようもないし、消耗品なんかは魔法で修復するより素直に新しく追加購入した方がマシだったりする。
精霊の数が少なくて上手く魔法が発動しない場合の事を考えて、魔法がなくてもどうにかなる程度には道具を備えておきたいところだ。
……まぁ、魔法が使えない状況って俺の場合は滅多にないんだけども。
使う予定はあまりないけどついでに薬もいくつか用意しておくか、と思ってすぐ近くにあった薬師の店へ足を運ぶ。
そうして多分使うんじゃないかなぁ……と思った薬をいくつか購入して、あとはもう特にないだろうから適当にそこら辺散歩して帰るか……と思っていたら。
「あっ、旦那。やーっと起きたんですか!?」
ハンスの声がした方向を見れば、そこにはハンスと一緒にルフトの姿もあった。
「気付いたら寝てた」
「あら、結構お疲れだったんですね。じゃあ無理に起こさなくて正解でした。ま、急用があったわけじゃないんで起こさなかったってだけなんですが」
「そっちは?」
普段の、町や村ではなくその外を移動している時ならともかくこうして人里の中で一緒に行動しているとは思わなかったので、つい問いかける。
いや、ハンスはともかくルフトはあまり人の多い所だとか、用がないなら行く気もありません、みたいな雰囲気があるから……あと何でボクが一緒に? 一人で行けばいいじゃないですかとか言いそうな雰囲気もあるから……まぁハンスはそこら辺上手い事言って一緒に行くくらいはできるだろうとは思ってるけど。
「あぁ、お昼は宿の食堂で食べちゃったんで、夜は別の所にしようかってルフトくんにも話したら乗っかってくれたので。で、これから宿に帰る所でした」
「そうか」
確かにメニューはそれなりにあったけど、折角野宿じゃなくてちゃんとした人里なら色々な味を楽しんだ方がいいだろう。野宿になると大体が保存食だもんな……保存食じゃないやつでも収納具なら長期間保存できるけど、やっぱこう、気持ち的なものもあるからな。
いくら腐らないって言っても流石に一年前に買ったお弁当とかさ……腐ってないってわかってても気分的に何かこう……ちょっと躊躇うじゃん……? これきっと前世の記憶がなかったら収納具に関しても普通に便利だなで終わってただろうし、その中で食料保存できてるのも何の疑問も持たなかっただろうなと思うんだよな。そういうものだっていう風に納得して。
確かに便利だけど、食料の長期保存に関しては正直大丈夫か……? と思ってしまうのは仕方がない。前世だったらどんだけ食品添加物入ってるんだとか思ってただろうからな。
実際食べて大丈夫なのもわかってるんだけどこればっかりは理屈というよりは感覚的なものだと思う。
前世の幼馴染だったら「え? 食べて問題ないならそれでいいじゃん」で済ませそうだとは思うんだが。
いかんせん俺の場合は前世の運が悪すぎて大丈夫かなぁ……まぁ大丈夫だろう、で食べたら高確率で腹を壊してたからな。変な部分で警戒心が働くのも致し方なし。
「で、旦那は? 起きてからの散歩ですか?」
「いくつか足りなくなった物を買い足していた」
「おっと、そうでしたか。そいつぁ失敬。あとは何を買うとかあります?」
「いや、大体済ませた」
個人的には寝具を見たいがベッドとかは売ってる場所が限られてるからな……ここで探すのはちょっと難しいかもしれない。
じゃあ宿に戻りましょうか、なんて言ってるハンスに頷いて、ついでだから俺も一緒に戻る事にした。
これ以上その辺うろついても多分あとは大体店を閉めるところに出くわすだけだろうし、そんな中をうろついてそこらで酔っ払いに絡まれるのも面倒だからな。
宿に戻る事に関してはルフトも異論はないらしく、三人で宿へと戻る事になった。
「この町ご飯が美味しいですね」
宿の食事もそうだが、二人が夕飯を食べに行った店も美味しかったらしい。にこにこと笑うハンスは今度は旦那も一緒にどうです? なんて言っている。
「そうだな」
その言葉に頷いて、ふと足を止めた。
ばさ、という羽ばたきの音。鳥? こんな時間に? もうすっかり周囲は暗くなってきているというのに、と思ってしまったために思わず音がした方へ視線を移動させる。
前世だったら夜でも明るいせいでカラスが昼だと思って行動してる事とかある、って話は聞いたけど、こっちでそういうのってあるんだろうか……酒場とか確かに明るいだろうけど、それでも店から漏れる明かりなんてたかが知れている。
夜行性の鳥がいるにしても、そういうのは逆に町は明るすぎて近寄らないだろう。
じゃあ聞き間違いか? と思った矢先にまた聞こえた。
まさか幻聴……俺そこまで疲れてたのか……? と思いつつも幻聴じゃない可能性を信じて音のした方へと進んでみる。気になったなら確かめておいた方がいいだろう。ここでスルーした結果、後でやっぱり気になってどうしようもない、みたいになった方が色々と面倒だからだ。主に俺のメンタルが。
「ちょっと旦那、どちらへ?」
ハンスは聞こえていたのかいないのか、よくわからないながらもついてきた。ついでにルフトも。
「鳥の羽ばたきが聞こえた」
「えっ、鳥? 今、夜だけど?」
どうやら俺が聞いた音をルフトも聞いていたらしい。ハンスは聞こえていなかったみたいで、鳥? と言いつつ首を傾げている。
俺だけが聞いたなら幻聴の可能性もあるけれど、ルフトも聞こえていたなら幻聴の可能性は低い。まさか二人そろって幻聴とかそんな事はないだろう。
「鳥って……今飛んでたあれ?」
言いつつハンスが上空を指した。暗くてシルエットくらいしかわからない鳥がくるりと旋回し、降りていく。
「思った以上に大きくなかった!?」
路地裏へと降りていったのを見て、ハンスは「え、ホントに行くの? 何で?」とか言っている。
確かに言われるままに視線を上に移動させれば、思っていた以上に大きな鳥のシルエットがあった。夜行性の鳥にしたって流石にちょっと大きすぎる。かといって魔物か、と問われれば違うような気がする。
魔物であれば既に人を襲っていてもおかしくはない。けれどもあの鳥が降りていったのは人のいないだろう路地裏だ。
「気になるから確認だけしておく」
俺がそう言えばハンスも「確かに気にならないと言ったらウソになるけど!」と言いつつ速度を速める。ハンスもここで見なかった事にして戻るのは後になってから無駄に気にする事になるとわかっているのだろう。ルフトがついてくるのも同じ理由だろうか。
まだ人がそれなりにいる通りから一本隣の通りへ移動しただけで、驚くほどに人の気配が遠ざかった。
先程まで聞こえていた賑やかな人々の声や音は、なんだかすっかり遠い世界の出来事のよう。まぁ音が聞こえてるから何かあればあっちに戻ればいいだけなんだが、それにしたって思っていた以上に静かになられると、それはそれで何というか……
鳥が降りていったであろう路地裏へと足を踏み入れる直前、歌のような音が聞こえてきた。
ゆったりとした歌声は、波間を漂っているような気分にさせられる。
「……まさか」
そこでようやく先程見た鳥が何であるのか、思い至る。
魔物じゃなかった。それだけは確かだ。
しかし――
歌声が止まる。
「あっ、やっぱりルーカス! おひさおひさ!」
歌を歌っていた主だろう人物の声。たっと軽く地を蹴る音。暗いためハッキリと見えるわけではないが、そいつは確かにこちらに向かって駆けよって――
「どーん☆」
なんて言いながら俺にしがみついてきた。