時は流れて
少し前まではいくつかの異種族同士の諍いをどうにかおさめたりだとか、特定の種族を狩ろうとしていた相手を取り締まったりだとかで、そこそこ忙しかったのだが。
それもようやく落ち着いてきたなと思えるようになってきた。
異種族狩りに関してはある時期から大分落ち着いてきたように思える。
落ち着く前に異種族狩りを積極的にやらかしていた国が滅んでからだろうか。徐々に落ち着きを見せてきたのは。
ライゼ帝国が滅んでから十年。最後に異種族狩りをしていた国は、ある日唐突に滅んだとされている。
隣国でもあったフロリア共和国との戦争で滅んだわけでもない。本当に、ある日唐突に、というのが世間での認識だ。
滅んだ原因までは詳しく知らされていないせいで、様々な憶測が飛び交ったりもした。帝国の地下に埋まっていた遺跡がかつての異種族が暮らしていた場所で、そこに呪いの何かがあってそのせいで滅んだだとか、狩った異種族の中に何らかの特殊能力持ちの奴がいてそいつが何かやらかしたのでは、だとか、有り得そうな話から絶対に有り得ないだろうと思われる話まで、大小さまざまな噂が飛び交った。
大まかな話を知っているフロリア共和国も口を閉ざしていたせいで、それらの噂は尚の事各地を飛びかっていった。
真相を知る一人でもあるハンスはそれらの噂を耳にするたび苦笑を浮かべる他ない。
真実を口にしたところで、恐らくはこれも噂の一つとしてしか見られないだろう事もわかっている。
だって誰が思うだろうか。
ライゼ帝国が滅んだ原因、事の発端は帝国から遠く離れた海に浮かぶかつて群島諸国と呼ばれた場所だっただなんて。帝国と一切関わりがなさそうなそこが、原因だったなんて言われても共通点は? とハンスだって知らなければ突っ込んでいたに違いないのだ。
ちなみにある日突然消滅してしまった群島諸国――廃墟群島と呼ばれるようになったそこも、色々な噂が飛び交ったものだが帝国と結びつくような噂は出ていない。まぁそうだろう。全く同じ崩壊の仕方をしたのであればともかく、帝国と群島諸国の滅び方は別物としか思えないのだから。
ハンスだって一連の事態に関わってなければ、様々な噂の中からそれっぽいものをこれが真実に違いない、と決めてかかっていたかもしれない。真実を知っているので、どれだけ真相に近づいてる気がしなくもない噂を聞いても全然違うんですけどねぇ、としか思わないが。
ともあれライゼ帝国が滅んだ後から徐々に異種族狩りをやろうという国が減ってきたのは確かだ。
捕らえた異種族に呪われたから滅んだのだ、なんて噂もあったし、確かにそういった特殊な力を持つ異種族がいないわけでもない。本当に呪いかどうかはさておき魔法でそれっぽい事をやった可能性はあるのだから。
そうなれば、下手に異種族に手を出して帝国の二の舞にならないとも限らない。
異種族に対してあまりいい感情を持っていない国もそれなりにあるが、だからといって積極的に排除しようとならなくなったのは荒唐無稽な噂も一役買っていた。
滅んだ原因こそ判明していなくとも、帝国と関わりのあった者が死んだ時の事はそれなりに広まっている。ハンスだって何も知らないままだったら何かの呪いだと信じて疑わなかっただろう。
理由はどうあれ、異種族狩りが減って多少なりとも平和になったのはいい事だ。勿論異種族狩りが減ったからとて、今まで狩られた側が狩った側を赦すかといえばそれは話が別だし禍根が残っているのは否定しないが、そこら辺はこれからの行い次第だと思う。この先良い方に進むか悪い方に行ってしまうかは……流石にそこまではハンスの知った事ではない。というかハンスの手には明らかに余る。
組織はなるべくそういった争いの火種になりそうな部分をどうにかして徐々に減らしていこうとしているが、それも長い時間がかかるだろう。ハンスが生きてるうちに解決するとはこれっぽっちも思っていない。
帝国が滅んだ原因とか、組織にいる者は大半が知る事となった。
だからこそ真実が埋もれる事はないかもしれないが、これだけ様々な噂が飛び交っている以上、真実を語ったとしてもきっとそれも噂の一つに加えられるだけになるのかもしれない。
「ま、何が本当であれ、最終的に良い方向に行けば何も問題はない、ってね」
届けられた任務報告書を纏め、ハンスはそんな風に呟いていた。
ミリアの秘書みたいな扱いになって早十年。今もまだ現役のつもりでいるけれど、流石に最近は身体を動かすと前よりも動けてないなと思うようになってきた。
というか最近は疲れるのが早くなってきたように思う。年か……思えば朝顔を洗う時に鏡を見ればシワが増えてきたように思うし、髪にも白いのがいくつかチラホラと目立つようになってきた。
まぁそうだよなぁ、オレだって人間だもん。周囲がいつまでも見た目に変化のない種族ばかりだからうっかりしてたけど、それでももう旦那とお別れして十年経過してるんだし、そりゃ年だってとるよなぁ……
最近やたら目がしょぼしょぼするのも年のせい。いや、書類仕事が増えすぎたからってのもあるけど。
そんな風に思いつつも纏めた書類は所定の位置へと置いて、まだ纏められていない方へと手を伸ばす。
腕を伸ばした拍子に、肩がぼきっとこれまた何とも言えない音を立てた。ずっと同じ姿勢でいたからかもな、と思って書類に伸ばした手を引っ込めてそっと立ち上がる。
そうしてその場で軽く伸びをして、身体をほぐす事にした。このまま書類仕事を続けていたら、終わるころにはとんでもなく身体がバッキバキになってるかもしれない。
一通り動かしてある程度ほぐれたのを確認してから、さて続きをやるかと作業に戻ろうとして。
「お疲れ様です」
「うわっ!? えっ、ルフトくん!? いつからそこに!?」
背後からかけられた声にびくんと身体が跳ねた。驚いた。気配も物音も一切しなかった。
「いつから、ってそうですね、ハンスさんがそこで運動始めたあたりからでしょうか。最近運動不足で身体が鈍ってきた、って言ってたからあぁ、こうやって解消する事にしたんだなって思って」
「やっだもう来た時点で声かけて!? 終わるまでずっと後ろで見てたの!? というかドア開く音とかもしなかったんだけど!?」
「そういや前来た時は軋む音がしてましたっけね。だから魔法でちょっと直しておいたんですけど」
「だからかー! 音しなかったの。でもそれはそれで直してもらったのは助かるありがとね!」
一切の悪気がなさそうな顔で言ってのけるルフトに、ハンスはいやでもびっくりするからせめてドアノックするとかして!? とは言っておいた。危うく心臓が驚き過ぎて止まるところだった。
文句というには微妙な言葉を発しつつも、ハンスはふとルフトを見た。
「何か?」
「いや、なんていうか……一瞬旦那が帰ってきたのかと思った」
「あぁ、たまに間違われるんですよね」
十年、という時間は人間種族からすれば結構な時間であるし、短命種族からしてもそれはそうなのだが。
長命種族からすれば下手したら数日くらいの認識しかなかったりもする。
だからこそルフトはあまり自覚していなかったのだが、それでも十年という時は過ぎているのだ。
当時十五歳だった少年は既に二十五歳。種族的にはまだ子供と思われる年齢であったとしても、見た目はすっかり青年のそれへと変化していた。
背も伸びて、更にかつては肩のあたりで揃えていた髪も大分伸びて今では後ろで無造作に結んでいる。それもあって彼の父であるルーカスとそっくりになっていた。違うのは目の色くらいだろうか。
「そういやルフトくんはサグラス島に戻った事あったっけ?」
「あれ以来ですか? いえ。まぁまだ十年程しか経過してないし、きっと向こうはそう変わりもないでしょうし、もうしばらくしてからでもいいかなと」
「あー、うん。人間種族だったら十年って結構な時間だけど、ルフトくんたちからすれば確かにまだ数日経過した、くらいの認識なのかもね」
「……ま、確かにそうかもしれません。特に今は」
そう言うとルフトはかすかに肩をすくめてみせた。
かつて、自分がまだ幼く母と二人帝国にいた頃。あの頃であれば時間の流れというものはきっとそこらの人間種族とそう変わらないと思っていただろう。
帝国を出て、その後組織に入って。
あの頃は色々と目まぐるしいものであった。
けれども今は。
別に何に追い立てられるでもなく、多少騒がしい日々はあっても平和なものだ。
だからきっと母の故郷でもあるサグラス島にいる二人も穏やかで平穏な日々を過ごしているに違いない。
もうしばらくは夫婦水入らずにしておこう。自分も一緒にいたいという気持ちはあったけれど、それはもう少し先の話でもいいはずだ。とにかく、今ルフトにできる親孝行らしきものはとりあえず新婚気分を味わわせるべく二人にさせておこうとかそういう感じだった。
……まぁ実際の所二人きりになれているかは微妙なのだが。
何せ母の実家。そして近所にはプリム。
そして父に憑いてる実体化可能な精霊が六名。
……あれこれボクがそこに混ざっても何も問題なかったのでは? と思わなくもないのだが、いくらなんでもロクに働かずにずっと親にべったりなのもどうかと思ったのだ。あの時は。
少なくともあの時に両親と共にサグラス島にいる事を選ばずにこうして組織にいる事は、間違いじゃなかったと思っている。
この十年でそれこそ色々な体験をしたのだから。
「ところでハンスさん、ご飯食べました?」
「いや、この辺の書類纏めてからって思ってたんだけど」
「……終わるんですか? これ終わる頃には昼食が夕食になってたりしません?」
「あ、やっぱそう思う? じゃあもう諦めて先に食べてこよっかな」
「ご一緒しますよ」
「そういえばルフトくんはどうしてここに?」
「こっちに戻ってきたついでにご飯誘いにきたんです。来て正解でしたね」
「……ミリアさんから何か言われた?」
「そうですねぇ……ハンスさんが優秀なのはいいんだけど、自分がただの人間だって事時々忘れてるんじゃないかって心配はしてましたね」
「あー、うん、周囲が色々と凄いからね。足引っ張らないように頑張ろうとするとどうしてもね」
「早死にしますよ」
「やだ怖い事言わないでマジで現実になりそうだから」
うへぇ、と顔をしかめてハンスは机の上に置かれた未処理の書類の山を一瞥した。確かにこれ終わってから、とか思ってたら下手したら今日のご飯くいっぱぐれるなと今更ながらに理解したのだ。
急ぐものでも無し、そこまで根を詰めなくとも良いだろう。
ハンスが出かけるそぶりを見せたので、ルフトもこれ以上ここに留まる理由もない。ドアを開けて、踵を返す。
「あっ、あっ、ちょっとルフトくん早い。一緒にって言ってたんだからオレ置いてかないで? そういうとこまで旦那に似る必要ないと思うんだよね」
「……そうでしたね、ハンスさんもう年だし」
「いやまだ現役ですけどぉ!?」
確かに最近ちょっと衰えてきたかな、と思える部分はあるけれどそこまでではないはずだ。
とはいえそれもルフトなりの軽口である事はわかっている。事実歩く速度を少しだけ落としたルフトに、ハンスもそれ以上言う事はなく。
「それで、何食べる?」
そう、問いかけるのであった。




