今更な昔話
――懺悔をしよう。
なんだか随分前にもこんな風に思った事があるけれど。
多分これはもう手遅れの話だ。
前はほら、前世の記憶が蘇った拍子に戸惑いつつも襲撃者を殺した事に対する懺悔だったけど、今回は何ていうか、それとは少し違う。
かつての俺は組織の中に所属して行動していたとしても、異種族狩りをしていた相手をボコボコにする事はあっても命まで取る事は滅多になかった。
身動き封じて他の組織の連中にこいつ異種族狩りしてましたー、みたいなノリで押し付けてた。
話は俺の故郷がまだ存在していた頃まで遡る。つまりは俺の前世の記憶が蘇る以前の話だ。
俺の両親、それ以外のエルフが暮らす平和で長閑な里。
森に囲まれた中で暮らしていたから、そういう意味では他所のエルフの里とそこまで変わりはないはずだ。
極まれに外からの旅人が訪れる事もあったらしいが、そこら辺はあまり俺の記憶にはない。
ただ、父が他のエルフとしていた会話からそんな事もありましたよ、みたいなのを察した程度。
里の中には俺と同年代の子供はいなかったようだが、それでも少し年上のエルフはいた。
そいつは活発なやつで、よく里の周りの森を駆けまわっていた。森はあの場所で暮らすエルフからすれば恵みを与えてくれる場所であり、遊び場でもあった。
魔物がたまに出るようではあったが、そこまで強いものでもなく幼い子供はとにかく逃げろ、と言われていたはずだ。少なくとも俺は両親にそう言い含められていた。
弓の扱いを教えたからとて、必ずしも倒せるとは限らない。一人の時に遭遇したら迷わず逃げなさい。確かにそう言われていた。
そもそも前世の記憶が蘇る以前の俺はとても大人しい子供だった。
言葉が喋れないわけじゃない。けれども自分から率先して話すタイプでもなく、相手から話しかけられても大半は相槌。
随分と大人しい子だなぁ、なんて他の大人のエルフたちからは言われていたし、うちの子人見知りなのかしら……と母は言っていた。
実際にあまり他の人と積極的に関わろうとはしていなかったから、多分あの里に暮らしていた皆からすれば俺はとても大人しくて人見知りがあって滅多に自分から喋ろうとしない子、という認識であったに違いない。
ただ、少し年上のエルフはそんな俺の事を子分だとか言い出してよく森の中に連れ出していた。
多分同年代の友達とかいないから、年の近い俺に目を付けただけで深い意味はなかったはずだ。
普段は森の中で駆け回り、食べられそうな木の実を採ったり食べられるキノコを採取したりして家に持って帰ったりだとかしていたと思う。ある程度遊んだ後は、その間に見つけておいた食料を確保して帰る。
ただ遊んでいただけではない、子供なりの気遣いだったのかもしれない。
ところでそんな感じで森の中を駆けまわっていた俺たちだが。
ある時うっかりはぐれた事があった。
四六時中森の中で一緒だったわけじゃない。追いかけっこだとかで逃げたり追いかけたりした事もあった。
けれどもその時は確か食料を探して帰ろうという時だった。
普段は木の実だとかキノコだとかを見つけて持って帰るのだが、その時は確か……ウサギだったかな。動物を見つけたんだと思う。
とはいえ俺もそいつも弓矢なんて持ってなかった。
その頃にはある程度弓の手ほどきを受けていたし、手元にあればウサギくらいなら仕留められたと思う。
俺より年上のそいつもそう思っていたようだし、だからこそ手元に弓がない事を嘆いた。
嘆く、というよりはうっわー、今手元に何で弓ないんだろー! みたいな感じでどっちかっていうと悔しがる、みたいなものだったか。
そこで諦めておけば良かったのかもしれない。けれどそいつは、魔法でいけるんじゃね? とか思い至ったらしく、その考えを実行した。
よからぬ気配を察知したウサギは一目散に逃げたし、そいつはそれを追いかけていった。
いくら魔法を使えるからといって、目に見えない範囲までどうにかできるくらいに扱えるわけじゃない。
そいつはウサギを見失わないように追いかけて、俺は取り残された。
はぐれたのなんて、そんなありがちな理由だ。
今から追いかけるにもすっかり距離が開いてしまったし、俺はその場で待つ事にした。
けれど、その時。
俺の耳は確かにある音を捉えていた。
それは声だった。
そいつの声じゃない。
かといって、里の大人たちでもない。
もしかして、里を訪れようとしていた旅人が途中で怪我でもして動けないのではないか。そんな風に考えたんだったか。
勿論違う可能性もあったから、俺はそろそろとその声がした方へ近づいた。もし里を襲いにきた賊みたいな感じの人なら急いで大人に知らせなければ、という思いもあった。
しかしそこにいたのは賊でも旅人でもなかった。
黒くて長い髪。
それを見て、当時の俺は前世の記憶なんて当然まだ思い出してすらいなかったけれど、それでも何だか懐かしいなと思ってしまったのだ。
だからこそ、警戒心も何もないままに近づいてしまった。
「……大丈夫?」
どう声をかけていいものか悩んだ挙句、結局のところ無難な言葉になったのはある意味で当然だった。そもそも普段からあまり周囲と積極的に話すような奴じゃなかった。そんな俺の語彙力がこんな場面で豊富に炸裂するなんてあるはずがない。
その声にそいつはそっと顔を上げた。
雪みたいに真っ白な肌。キラキラと輝く金色の目。本来ならば二つあるだろうそれは、しかし片方潰れていた。
「大丈夫?」
馬鹿の一つ覚えみたいにそれしか言えなかった。
血が流れていたわけじゃない。潰れてそれなりの時間が経過したであろうそこは、見ていてただひたすらに痛々しいだけだった。
だから、だろうか。
後先の事なんて考えずに俺はそいつの顔に手を添えて、
「この怪我が治りますように……」
だなんて祈るように魔法を使っていた。
魔法は精霊の手助けを借りて行うもの。
俺が暮らしていた故郷周辺にはそれなりに精霊がいたので、俺も深く考えて使ったわけじゃない。
けれど。
よりにもよってその魔法をかけた相手が、精霊だったなんて気付いてすらいなかった――
精霊っていうのは基本的にそこらに漂ってる魔力の塊に意思が宿ったものだ。
そういう風に聞いている。
実際のところはどうなんだかわからないが、アリファーンや他の精霊もまぁそんなものって言ってたし、微妙に細かい部分が違ったとしても大まかにはそうなんだろう。
知らず俺は実体化できるほどの力を持っていた精霊に、よりにもよって魔法をかけた。
魔力の塊、そこにある負傷。それらを治すためには、かなりの魔力を消耗したのだろう。
目の前の精霊が自分の怪我を治すために力を使った、とかであれば良かった。
けれども目の前の精霊は弱っていたので、上手く魔法を使うには至らなかった。
結果、目に見えない、普段そこらを漂っている精霊たちが力を貸してくれたのだが――
多分そこで、大半の精霊たちが力を使い果たしたんだと思う。
目に見えなくても小さな囁き声は聞こえていたのに、直後に何も聞こえなくなってしまったから。
一瞬でしんと静まり返った森の中。あからさまな異変というわけでもないが幼い俺は何が起きたのかわからなかった。
静寂の中、それでも怪我が治ったらしく潰れていたもう片方の目が開いたその人を見て、無邪気に安心さえしていたと思う。
「大丈夫?」
俺のその言葉に、今度は小さくではあったが頷きが返ってきた。
もう痛くないね! みたいな感じで俺は喜んでたんだったかな……
「でも、疲れたから少し休んでいいかな?」
男なのか女なのかよくわからないけど、別に不快な声ではなかった。
怪我が治ったからって確かにここまで来るのに今までたくさん歩いたんだろうな、とか思った俺は、
「うん、ゆっくり休んで」
なんて答えてしまったのだ。
そう、答えてしまった。
俺はそいつを精霊だなんて思ってなかったし、旅人だと思っていた。
けれども実際そいつは精霊で、その返答にそいつは――すっとその姿を消した。
目の前から消えたそれに驚いたけど、知らなかったんだ。
そいつがまさか俺の中で休んでいただなんて。
これが、思い返せば俺が精霊憑きとなってしまった一番最初の話である。
これだけなら別になんて事のない話だ。
けれどもこの時、多くの精霊を犠牲にしてしまった結果、これが原因で俺の故郷は滅びる事となったし、挙句本来の精霊憑きとは異なる形で俺はよりにもよってこいつに身体を貸し出す事となってしまった。
故郷が滅びる原因を作った事に対する懺悔は勿論ある。
当時の俺は気付きもしなかったけれど、その後悔は後になってやってきた。
現在俺はクロムートらしきやつが出した黒い水に包み込まれるように覆われている。
本来なら、ここで乗っ取られていたのかもしれない。
けれども。
「全く……いくらなんでも呼び出す事すらしないって、何考えてるんだい」
その声がどこから出たかは……わかっている。そうだ、俺の口からだ。俺の口から出た言葉だというのに何というかとても他人行儀なのは俺が言おうとした言葉ではないから。
目の前は真っ暗で何が見えるわけでもない。
けれどもそこに、ぼんやりと誰かの姿が浮かんで見える。
クロムート、とカイ……だろうか。一人しかそこにいないはずなのに姿がブレて見えるせいでどっちなのかよくわからない。
「何だ……お前、その姿は一体何だというのだ……!?」
戸惑ったような声はクロムートのものだった。
「何、って……わかってるだろう? お前らとは違ってちゃんとした精霊さ」
おどけたように肩をすくめてみせる。別に俺の意思ではない。
その姿、と言われても俺自身鏡があるわけでもなし、どうなってるかはよくわからない。
けれども、まぁ、予想はつく。
昔々、まだ俺が前世の記憶を思い出す前の事。
よりにもよって俺は、弱っていた精霊にその身を貸してしまった。
単なる精霊憑きとは違う、滅多な事ではないけれど、今回のような事があれば俺はあっさりと身体の主導権を奪われて――恐らく外見も変化している。
きっと今は黒い髪に金色の目に変化している事だろう。
俺の身体を悪気なく乗っ取ったこの精霊、名をザラームと言う。
俺の懺悔は、とても今更だが故郷が滅ぶ原因の一端を担ってしまった事と、よりにもよって自分の身体の主導権を他者に明け渡すような真似をした事だ。
一歩間違ってたらその時点で俺という自我は消滅していたわけで。
前世の記憶以前の問題だった。