案外呆気ない
帝国と関わっていた冒険者たちが黒い液体吐いたり包まれたりして死んだ、という話は覚えている。
実際見たわけじゃないけれど、多分見た人からすれば衝撃映像だっただろう。
目の前の光景は、まさしくそれと同じなのかもしれないが黒い液体を吐いたからといってすぐさまクロムートとカイが死ぬような感じはしない。
耐性、とかそういった言葉がよぎったがそれとも違う気がする。
プリムが逃げた方がいい、と言った意味はすぐさま理解できた。
ぶよん、という音が聞こえてきそうな勢いでクロムートの身体がたわむ。
歪む、というよりはたわむと言った方が正しい気がした。
まるで体内の脂肪や筋肉、骨といったものがなくなって中身が全部水にでもなったかのようにクロムートの身体が肥大して、痩身痩躯だったのが嘘のように丸くなる。水をたっぷり入れた水風船のようなそれに、ルーナが信じられないものを見るように「クロムート……?」と小さく名を呼んだ。
口から黒い液体を吐いたクロムートではあったが、一瞬にして体型が変化した直後には口からだけじゃない、鼻や目からも黒い水を流していた。
プリムの先程の言葉が蘇る。
このままだと弾けて消える事になる――と。
先程までならまるでミイラみたいだし、木の枝みたいに細っこい身体が果たして本当にそんな風になるんだろうかとも思ったが、今のこの様子を見れば信じる他ない。ちょっと針か何かでクロムートの身体を突いたら、その拍子にパンッ! という音とともに弾けそうな気さえしている。
「ぐ、が、はっ……ごぼっ!?」
クロムートはまだわかる。黒い液体を操っていたとはいえ、その力がもう自分でも制御できない程になってしまって、とか言われれば大体はわからないでもない。
けれどもカイはどういう事だろうか? こちらも苦しそうに黒い液体をボタボタと吐き出している。
カイは自分の力を制御しきれずに、というわけでもないだろう。
確かに自分が実験の果ての精霊になった存在だ、と気付いて精霊としての力を実際使っているのかもしれないが、自分がそうだった、と理解したのは割と最近の話だ。だからこそ、こちらも力を制御し損ねたと言われればわからないでもない。
けれども、クロムートと対峙していた時の様子からどう考えても制御をミスったとは考えにくい。
経験値という意味ではクロムートの方に軍配が上がるとは思うが、より精霊に近いとなるとカイの方なんだろう。基本ステータスとかゲームでいうところのそれは、カイの方が上だと思う。
だからこそ、カイはサグラス島にいたクロムートやそこにやって来た俺たちを廃墟群島まで吹っ飛ばすなんて事もしてのけたわけだろうし。
経験値も不足してて、なおかつ自分の力もろくに使いこなせなければそんな事ができるはずもない。
「あいつがアレを取り込もうとして、侵食した結果がコレ」
アリファーンがポツリと呟いた言葉に何となく把握する。
クロムートはカイが出していた黒い蔦を吸収しようとしていた。
けれどもそもそもその力が限界に近かった。
ここでクロムートの身体に反動が来て今に至るとかなんだろう、とは思う。
そしてカイ。
黒い蔦は独立してカイ本体と関係ないと思っていたが、もしかしたら繋がっているのかもしれない。見た目はカイと繋がってるわけではないけど、そもそも自分の力で操ってるわけだから何の繋がりもないとは言えない。
そしてクロムートが吸収しようとした結果、反動で逆にクロムートの力が流れ込んだか、単純にお互いの力が反発したか……
そうじゃなきゃカイが口から黒い液体を吐くというはずがない。
このままだと恐らく二人そろって自滅する、とは思うんだがプリムがここから逃げた方がいいと言ってたしな……確かに何か嫌な予感するから逃げた方がいいんだろうとは思うけど。
「なんだ、なんだこれは……!?」
ぶよん、とかぽよん、とかいう効果音でも聞こえてきそうなくらいクロムートがパッツパツになる。少しずつその身体が大きくなっていく。あっ、これどう考えても空気入れすぎて破裂寸前の風船とかそんな感じのやつ……! と思った時にはもうほとんど考える事もなく叫んでいた。
「全員逃げろ!」
ここでクロムートが破裂したら、中身が飛び散る。
中身が黒い液体だというのは疑うまでもない。そんなものを浴びるような事になったら、何というかとても不味いのではないか、と思うわけで。
ミリアが鳥精霊に頼んで鳥を出してもらうよりも、既に実体化している俺に憑いていた精霊たちが動く方が圧倒的に早かった。
ラントがまず防護壁とばかりに地面から壁を出現させた。もし中身が飛び散ってもこの壁である程度防げるだろう。そうして次にハウが風を操りハンス達を上空へ逃がす。真上、というよりは壁の後方へ。
イシュケに抑えてもらう事も考えたけど、イシュケが得意とするのは水を操る事だ。
けれどもクロムートの出した黒い液体を操れるかどうかはわからない。イシュケ自身が魔法で出した水でその黒い液体を防ごうとした場合、最悪イシュケが取り込まれる可能性も出る。だからこそイシュケはエードラムに庇われるようにしていた。
ハンスたちと俺のいる場所とは少しばかり離れていた。
俺がいる場所を六時の方角とすると、ハンス達は二時の方角。俺も逃げようとしたが、多分ハンス達と同じ方へ逃げるより別の方へ移動した方がいいだろう。
来た道を引き返そうにも足場が悪い。
「アリファーン!」
「え、え、どっち!?」
名前呼んだだけで大体俺がやろうとした事を察してくれたようだが、しかしそのどっち、とはどういう意味だろう。ここら一帯の木々を焼き払って逃げやすくする事か、それとも――
「あいつらに向かって全力でいい!」
「そっちね! オッケ!!」
それなら得意だとばかりにアリファーンはありったけの火力でもってクロムートとカイを焼き払おうとした。
カイが操る黒い蔦は見た目だけなら植物だが、実際の植物ではないのであまり燃えたりはしなかった。けれども今はカイ自体も苦しんでいるようだし、動きを抑えるくらいは可能だろうと思う。
それに――
パン!!
となんだか思っていたよりも軽い音がして、クロムートが破裂する。
同時に黒い液体が周囲に飛び散った。
普通に考えてクロムートの液体も本当に液体かどうか微妙なところはあるが、それでも燃やせないはずもない。アリファーンの火力なら、それこそ全力でと告げた以上全部を一瞬で蒸発させることはできずとも、周囲に飛び散るのをいくらか抑える事はできるはずだ。
「くそ、させるか……!」
アリファーンを止めようとカイが黒い蔦を動かす。けれどもその蔦に触れた黒い液体がどろりと蔦を溶かした。
「なっ、クロムート!? よせ、やめろ! そんな事したって――う、うわぁああああああ!?」
カイの目には何が見えていたのだろう。
俺としてもちょっとアリファーンの全力の火力とか近くにいたら巻き込まれるんじゃないかと思って距離を取ったものの、安全圏とは言い難い。
それでも目を離すのも危険な気がしたからじりじりと少しずつバランスを崩さないようにしながら後ろに下がっていたけれど、俺の目に映ったのは黒い蔦が黒い液体によって溶かされただけだ。
そもそももうクロムートの姿はどこにもない。
だというのにカイの目にはまるで何かがいるかのような反応だ。
ごう、とクロムートがいた場所とカイの周辺が凄まじい勢いで燃え盛る。
何をどうしたらここまで燃えるんだ、というくらいの勢い。
前世だったらもうこれ建物とかこんな勢いで燃えてたら中の人の生存絶望的だなとか思えるくらいの凄まじさだ。
そもそも炎が赤くない。青い。ところどころに赤い炎も見えなくはないが、大半は青く燃え盛っている。
そんな中、カイは誰かに何かを言っていたようだが、それも最後に悲鳴となる。
いやまて、カイはそういやクロムートにその身体捨てたら精霊になれるよ、みたいな事言ってたよな。
で、クロムートは自主的とはまた違うけど身体を維持できずについ先ほど破裂した。
それは、カイが当初思っていたのとは違うけれど身体を捨てた事にはなるまいか……?
カイの周辺にあった黒い蔦が一斉に燃え落ちるように萎れて消える。
カイは燃えた――かに見えたが黒い液体に覆われるようにして溶けた。
「……もう大丈夫かな?」
アリファーンが炎の勢いを弱めつつカイがいた場所を覗き込む。
普通の人間がそんな事したらまだ炎は完全に消えてないから大惨事だが、アリファーンなのでできた事、なんだろう。ちょっとやそっとの水をかけたくらいじゃ水の方があっさりと蒸発しそうなくらいの熱気が周囲に広がる。
二人の姿はもう見えない。
最期は案外あっけないものなんだな、なんて思う。
いや、カイはとっくに死んでたみたいなものだし、クロムートだって普通の人間として生きていたならとっくに死んでておかしくない年数が経過してるわけなんだけども。
パチパチと炎が爆ぜる音がする。
二人を最大火力で燃やし尽くそうとしたアリファーンの炎は、徐々に消えているとはいえそれでも多少は周囲に燃え移ったらしい。
「アリファーン、流石にここいら周辺燃えたら大惨事だから、そっちも鎮火しておくように」
「えー? いや、まぁ、仕方ないかー。消火活動は得意じゃないんだけどなー。
あ、そんな目で見なくても。やるよ、やるったら」
こいつ……本当に放置しとくとそこかしこ放火しかねないからな……何て物騒な精霊なんだ……
俺が魔法を使おうにも、今この場にいる精霊はアリファーンくらいなので改めて魔法を使う意味がない。
何故って今鎮火しろって言ったからな。これでアリファーンがもっとごねてやる様子がなかったら強制的にもう一度魔法で、みたいになったかもしれないが、まぁやるって言ってるからいいだろう。
流石にちょっとどころじゃなく暑いので、更に数歩下がる。正直ハンス達みたいにここから見えない距離まで移動したいくらいだが、アリファーンがちゃんと消化し終わるまではこの場に居た方がいいだろう。
アリファーンの火力がとんでもないからどうにかなったけど、そうじゃなかったらクロムートが破裂した時点であの黒い液体が周辺を満遍なく汚していたに違いない。
あの黒い液体がそこらにばっしゃばしゃにかかったとして、何の問題もない可能性もあった。
けれどもどう考えても自然に優しい素材ではない。
少なくともあれで死んだ人間とかはいるので楽観的に大丈夫だろ、とか言えないんだよなー。
「はー、久々に全力で燃やしたーって感じしたけど、最後は消化不良だなぁ。もっとこう、島全体まるっと燃やしたりとかしない? しない? そっかぁ」
やるわけないだろ、とばかりに首を横に振って見せればアリファーンはあからさまにガッカリしてみせた。
いくらここが人の住んでない廃墟群島だからっていきなり燃やし尽くすわけないだろ……
まだ周辺が熱気で暑いものの、ひとまずは大丈夫だろう。
あとは……イシュケあたりにここら一帯水で改めて冷やしてもらえばどうにかなるか……?
「っ、ルーカス! 危ない!!」
そんな事を考えていたら、アリファーンが唐突に叫んだ。
危ない、と言われてもすぐさま何が危険なのかがわからなかった。
これが例えば別の土地だったら魔物だとか、隠れて様子を窺っていた盗賊の類とかを思い浮かべたがここは廃墟群島。かつて群島諸国と呼ばれていた島の一つだ。
魔物が棲んでる様子はないし、誰かが住んでるはずもない。
「諦めるものか……その身体、もらい受けるぞルーカス……!」
声は、背後からした。
咄嗟に振り返る。
「な……」
背後にクロムートがいたなら今の声も納得できた。
けれども背後にあったのは黒い液体で、それは今まさに俺を覆いつくさん、みたいな感じだった。