飽和
「少し見ないうちに、また酷くなってしまったものだな……クロムート」
熱に浮かされたように名を呼んだクロムートに対して、しかしルーナの反応はこれだった。
クロムートからすれば最後にルーナと会っていたのはまだルフトが帝国にいた時。ルフトが七歳の時にルーナが帝国を出ていった……んだったか? その後しばらくルフトは帝国にいて、その後ようやく帝国を出てお隣のフロリア共和国へ。そこで組織に所属して三年……だったか。
となると、クロムートからするとルーナがいなくなって大体八年、か……?
けど実際はほんの数日前だ。
その時点ではクロムートは気付いてすらいなかったけれど、ヴァルトの姿で出会っている。
ほんの数年ぶりに会った、と思えばまぁ、変わったとか言われてもおかしくはないけれどルーナの言葉は酷くなった、だ。ある意味でそのセリフがひっどいな!? と思わなくもない。
いやまぁ、今のクロムート満身創痍って感じだからその言い分もわからないでもないんだけどな?
水浸しで色んなものが洗い流されて逆に綺麗になったのでは? と思うかもしれないが実際のクロムートは帝国で見た時と比べてなんというか……更に細くなっているような……
あと、今は黒い液体はないけどそのせいだろうか? 何というかクロムートの表面若干干からびてるようにも見えるんだよな。
乾燥肌とかいうどころじゃなく、まるで……
「えっ、こんなミイラみたいな感じでしたっけ?」
ミイラみたいだな、と俺が思うのとほぼ同時にハンスが思わずといった感じで声に出していた。
そういやハンスも一応クロムートの事は帝国で見てはいる。帝国で目撃した時からそこまで日数が経過したわけでもない。一か月とちょっと、くらいは経過してるけどそれだけだ。
これがもっと半年とか年単位で経過してれば外見が変化しててもそれだけの時間があればね、とか言えるけどそこまで大きな変化があるとは思えない程度の時間しか経過していない。
ましてや、俺とディエリヴァ、そしてヴァルトは廃墟群島で一度クロムートと遭遇している。
あの時のクロムートは帝国で会った時とそこまで変わっていないように見えていたが、今は明らかに違う。
廃墟群島でハウ相手に戦った時から今までの間、どこかで休むなり何かを取り込んで力を回復させたはずだ。
けれどもそれはカイによって台無しにされた。そう考えても蓄えた力を消耗したにしては……と思えてくる。
さっきまでは何かもうカイとクロムートが知り合いであったとか新たに追加された情報についていけなかったからそこまで目がいってなかったけど。
「いえ、少し前に見た時はここまでではなかったはずですが……」
ディエリヴァだった時の事を思い返しても、ルフトもおかしいと思ったのだろう。ハンスにそう答えている。
ピィ、と小さな声がしてそちらを見れば、ルーナの懐から白い小鳥が姿をのぞかせた。
「酷いってのはそういう意味じゃないよ。色んなものが混ざりすぎてもう限界なのさ。馬鹿だねぇ、なんだってそんな事になっちまったんだか」
「ひぇっ、鳥が……喋った……!?」
プリムの言葉にハンスが肩を跳ねさせる。
「わ、鳥さんお喋りできるの? ミリアともお話できる?」
「悪いけど今それどこじゃないんで」
鳥精霊と常にいるミリアからすれば言葉を喋る鳥なんて興味しかなかったのだろう。しかしプリムはそれどころではないと一蹴し、ミリアもその言葉に納得したのだろう。
「あとでお話してね」
とだけ言って引き下がる。
うん、あれ実際喋ってるの鳥じゃなくてルアハ族の人なんだよな……まぁ、そのうち判明するだろうからいいか。今それ話してる余裕なさそうだし。
ともあれルーナの言う酷い、の意味はプリムの言葉から何となく理解できた。
「な、にを言って……わたしは力を増したはず。事実今までとは比べ物にならないくらいに力を得た。だからこそ、今ならルーナの故郷へ赴く事だって可能だと……」
「ルーナ、あんたこれ何? 友達? 言ったよね、友達は選べって」
「友、と呼んでいいのか微妙なところだが、少しばかり放っておけなかった」
「友達じゃないの?」
「どちらかといえば、隣人のようなものと認識していた」
強めの口調で鳥から説教されてしゅんとしているルーナとか、正直傍から見てるとどういう状況なのかさっぱりわからない。まぁ言ってる事まで理解できないわけじゃないんだけど。
しかし隣人。言い得て妙だとは思う。
精霊に最も近い種族と言われるルアハ族。
人工精霊として成功例だと思われていたクロムート。
精霊繋がりで見ればまぁ、同じではないが近い存在に思えなくもない。
ルーナが気にかけたのはまさしくそういった部分か。
「あんたもあんただ。何だってまた呼んでもないのにこっち側に来ようとした?」
「ルーナに会いたかった。帝国を出て、その後どれだけ探しても見つからないのはきっと故郷に帰ってしまったからではないか、と……」
いや、実際は普通に各地を転々としてたっぽいけどな。
追手撒いてその後廃墟群島に居たって話だし。
「もしいなかったとしても、決して無駄になる事でもない、と」
「ハ、その力でわたしらを取り込もうと? やめとけやめとけ、仮にこっちに来たとして、その時点であんた死んでるよ」
あ、やっぱそういう意味合いか。
愛する人の故郷とか、ある種の聖地巡礼みたいな感じに思ったけどクロムート的にはそうだよな。ルーナ以外のルアハ族を取り込んでしまえばその分だけ近づいた事になる、って話か。
それにしたってそれ言っちゃうのどうかと思う。
プリムはルーナの近所に住んでるとかいうおねーさんらしいけど、仮にそういった知り合いを取り込まれたとしてルーナが喜ぶはずもない。というか普通に敵視するよな。
俺だって家族とかご近所の親しい間柄の人そういう目に遭わされたらそいつの事どう頑張っても好意的に見れないんだが……え、クロムート色んな実験のせいでそういうちょっと考えたらわかりそうな部分とかも捨て去っちゃったの? 倫理観というよりは常識とかそっち寄りの考えだと思うんだけどこれ……
精霊も人間とかそれ以外の種族と価値観違ったりするから意思の疎通大変な部分あるとはいえ、流石にここまでじゃないような気がしてきた。
「一人くらいなら油断したところを狙えば可能だろう」
「そういう意味じゃないんだよ。あんたはね、もう限界なの。これ以上取り込もうなんてしたら、あとは弾けて消えるだけ。そういう意味での酷い、なんだよ」
シマエナガみたいな小鳥に言われてると考えるととてもシュール。中の人がルアハ族だってわかってる俺らはともかく、クロムートとカイはどうなんだろうな、この状況。果たしてどう思ってるんだ……
「いいや、まだだ。まだ間に合う。今からでもその身体を捨て去れば精霊となる事ができるはずなんだ」
クロムートが何かを言うよりも先にカイがそんな事を言って新たに黒い蔦を出現させた。先程出したものはイシュケがやらかしたウォータースプラッシュ! みたいな攻撃で駄目になってるし、そっちを操るよりも新しいのを出した方がマシだと判断した結果だろう。
「戯けが! お前のその言葉を信じる根拠はどこにある!」
ルーナが今この場にいるからか、クロムートのやる気がさっきまでと明らかに違う。
まぁそうなんだよなぁ……仮に自分より先に精霊として存在できてました、とか同じ実験受けてた相手に言われても、じゃあそこでそいつの言うとおりにして自分も同じようになれるかはまた別の話って感じだもんな。
そもそも人工精霊として残された資料にあったのは言うまでもなく合成獣としての資料だ。
作ろうと思えば、まぁ、多分同じようなものは作れなくもない。けれどもそれは、精霊っぽいけど実際に精霊とは呼べない代物だ。
そしてカイ。
こちらが本来の成功例だと本人が言ったとして、彼に行われていた実験とクロムートに行われていた実験全部が同じだったわけでもないはずだ。
途中いくつかかぶりはしたかもしれないが、全く同じ方法でやってきたというわけでもないだろう。
何せ何をどうしたら成功するのかなんて当時の群島諸国の研究者だって理解してなかっただろうし。
だからこそ、カイが例え実は成功していました、となってもどういう経過でもって成功したかはわからない。何せ群島諸国の研究者はその成功したカイの姿を見てはいないのだから。
カイに行われてしまった実験のいくつかが奇跡的な噛み合い方をして成功したとしても、クロムートはそうじゃない可能性もある。今からカイと同じように身体を捨てさせたとして、本当に精霊になれるかなんてわかりっこない。
これはさっきから思ってる事だし、多分今頃になって理解がおいついてきたらしいハンスも「いや、無茶苦茶な……」なんて言ってるからクロムートがカイの言葉を受け入れないのは至極当然というものだ。
ルーナの目の前で無様な姿を晒すわけには、と思っているのか、クロムートもカイを迎え撃つべく黒い液体を目の前に出現させた。人一人入れそうな黒い泡、それらがいくつも浮かび上がる。
カイはそれらを脅威とは思っていないのだろう。黒い蔦で泡を割るように貫いてそのままの勢いでクロムートへ蔦を伸ばした。
割れた泡はそのまま消えるかと思ったが、クロムートへと伸ばされた蔦へ僅かに残っていた黒い液体が絡みついて強引に地面へ繋ぎとめる。
「……ッ、く、この……っ」
思い通りに動かない蔦にカイがやや焦ったような表情を浮かべた。
じゅう、と黒い蔦が溶けるように消えていく。クロムートによるものなのだろう。
「やめろクロムート! そんな事をしたら今度こそ本当に――!!」
何をしているか思い至ったのだろうルーナが制止の声を上げるも、クロムートがその言葉に従う様子はない。
まぁ、従ったらカイの攻撃普通に通るしな。
帝国にいた時は何か黒い鎖でもってアリファーンの動き止めたりして力吸い取ってたみたいだけど、そういやハウがあの力は使えなくしたとか言ってたし。
あれ一時的なものだと思ってたけど、案外効果が長続きしてるようだ。
ともあれ鎖ではなく別の方法でカイからその力を吸収しているらしいのは理解できた。
カイの身体からぼたり、と黒い液体が滴り落ちる。
こちらも黒い何かに覆われるようになっていたが、カイの身体にあるのは別にクロムートが仕掛けた何か、というわけではなさそうだ。
もしそうならとっくに吸収されてておかしくないわけで。
……正直なところ、カイはてっきりクロムートが作り出した帝国住人みたいなアレと同じやつかと思ってたが、現状を見る限り人工的に精霊になった際のもの、なのかもしれない。あの黒いの。
「例え身体を捨てずとも、お前の力を奪いきってしまえばその分精霊に近づく事が――」
クロムートの言葉は最後まで続かなかった。
ぐにょん、と視界が揺れるような感覚。最初は目の錯覚かと思った。
しかしそうではない。ルーナやルフト、ミリアもまたその光景を見ていたようだし、ハンスに至っては「ぅええっ!?」なんて声を上げている。
黒い液体を操っていたクロムートの身体が、不定形に揺れた。まるで形を保っていられないとばかりに。
一切の力を失ったかのように黒い液体がばしゃっと音を立てて地面へ落ちる。同時にそこにあった黒い蔦もない。
カイがいる方へ視線を向ければ、体調不良をこらえるように、口元を手で押さえている。
ばしゃっ、という音がしてカイの下半身が原型を留められずに液状化し地面に落ちる。
カップの中の液体が揺れた時のように、二人の身体がぐにゃりと歪む。
いや、どっちかっていうと水面に映った景色が風だとか投げ入れられた石コロだとかで歪められたように、の方が近いのかもしれない。
ごぼっ、という音がして、クロムートが黒い液体を吐き出している。
それと同時にカイもまた、黒い液体を吐き出したのだろう。押さえていた手を離して、驚愕した様子でそれを見ている。
「ルーナ、これ多分不味いことになってるかもしれないからさ、逃げた方がいいと思うんだよね」
ピチチ、と可愛らしく鳴いた鳥からは、何だかとても不吉な言葉が飛び出してきた。