警戒態勢
閲覧制限のある本を無事に戻し終えた後、俺にできる事は特にないなという事で一先ず宿に戻ってきた。
戻って来てみれば、ルーナとルフトもどうやら今日は出かけずに宿にいたらしく、部屋に戻ろうとしたところでバッタリと遭遇した。
ルーナは昨日あちこち見て回って疲れたから今日は休むつもりで。
ルフトは昨日カイにちょっかいかけられたのもあって、今日もそうだったらヤだなぁ、という感じで。
他の場所を見て回ろうにも、今の所特にこれといって気になる場所はないし、それに図書館以外の場所でカイに遭遇する可能性だってある。折角気分を変えて他の場所を見ていてもそこで気分を悪化させた元凶と遭遇してしまったら、と考えるとそれなら今日は外に出ないで過ごそうかという事にしたらしい。
ルーナとルフトはさっきまで宿の中の食堂で軽食を済ませて、これから部屋でじゃあ久々に話でも、というところだったらしい。
そこに俺が戻ってきた、と。
久々に親子水入らずでのんびり話でも、と俺としては邪魔をするつもりはなかったんだが、ルーナは図書館に俺が出向いたのを知っていたはずだし、それでこれだけ早くに戻ってきたという事は何かあったのか? と疑問にも思ったらしい。
ルフトも俺がハンスを待ってる間の暇潰しに異種族について学びたいとか言ってた相手がカイだという事は昨日の時点で知っていたし、正直あまり関わりたいという感じでもなかったようだがそれでも気にはなっていたようだ。
二人そろって視線だけで速やかな会話を済ませたのか、当たり前のように部屋についてきた。
……別に話してもいいが面白い内容ではないんだよな。
とりあえず昨日の時点で、カイに付きまとわれていたルフトはその後俺とカイが知り合いというか顔見知りである事は察した。その後宿に戻った時には結局どうなったか、まではあまり話していなかったけれど、それでも何かがあったというのは察していたらしい。
その何かがあったから今日は朝早くから図書館に行った、という認識だ。合ってる。
「異種族について学ぶ、というより本命は精霊学の方だったのか……」
「精霊学、ねぇ……ボクにはよくわからないんですが、それ学問として成り立ってます?」
ルフトの言葉はわからないでもない。
でも一応ギリ成り立ってる、はず。多分。
多分とか言ってる時点でもうそれが答じゃないか? と思うのだが、全くの無意味というわけでもないので無駄と切り捨てられない微妙っぷりよ……
「精霊学っていうのは精霊との関わり方とかそういうのを学ぶと同時に長い年月をかけて精霊側にも人間や異種族はこういうもの、っていう認識を植え付けてく、のが本来の目的みたいなものだから」
微苦笑としか言えない表情でルーナが言う。ルフトとしては理解しかねる、という感じではあったがそれでも母の言う事だ。そういうものかと納得だけはしたようだ。
実際ルーナの言う事はある意味で正しい。
精霊と直接やり取りできる相手なんて極一部だ。精霊憑きとか。けど、そういった精霊は憑いてる相手とほぼ一緒にいるので他の精霊と接触しているかはわからない。むしろ自分が憑いてる相手に興味を持たれて憑く精霊が増えると困る、と思うタイプからすればあまり接触しないだろう。
俺の場合は……割と成り行きなので例外とする。
ついでに精霊憑きが全員精霊とやり取りできるわけでもない。中には自分が精霊憑きである事を知らないまま生涯を終える者もいる。まぁ精霊憑き自体がそんないないからな……数が少ないからこそ、精霊とやり取りできる者もまた何だか伝承扱いになってる感は否めない。
……精霊学っていうのはそもそも世界中でやらないと意味がない学問でもある。世界中そこかしこを漂ってる精霊に協力してもらわないといけないわけだから。
そういう意味ではどこかの国だけでやってる学問よりも進みが遅いのは仕方がないのかもしれない。
正直な話、精霊学が発展するのは多分あと何百年とか何千年先の話になるだろうと思っている者が大半だ。長寿な種族であれば気を長くもってのんびりやってけばいいか、くらいの認識かもしれないが、人間のように頑張って百年生きられるかどうか、くらいの短命種族からすれば今やっても意味はないけれど、遠い未来の子孫にとっては意味があると信じてやっている。それくらいふわっとしたものなので、学問と言われるとまぁ、それホントに学問? ってなる奴がいるのも否定できない。
ぶっちゃけると多分前世とかにあったゲームの裏技、それも本当かどうか微妙にわからない嘘話とかが広まる方が多分圧倒的に早い。昔、インターネットとかまだそこまで広まってなかった時代でもそういう噂は全国的に広まってたらしいし、確かにそれと比べるとこっちの世界の精霊学の進みは止まっていると思われても仕方がないくらい遅い。
そのカイが昨日の時点で唐突に姿を消した話。
そして今日、図書館上階の閲覧制限のある場所に入り込み、そこで本を物色していた事を話せばルーナは何かを考えこむように、ルフトは露骨に表情を顰めていた。
「閲覧制限がかけられた本を許可なく勝手に読むような事をすれば仕掛けられた魔法で酷い目に遭うって話だったと思うんですが……そいつ痛覚ないんですか?」
「ない、というよりはわかっていない、とか理解してない、とかそういうやつなんじゃないか?」
少なくともであった当初のカイを思い返すに、普通の人間とそう変わらないように見えていた。ルフトに付きまとっていた時も、その後少し話をしていた間も。
けれど今日、あの場所で見かけたカイは体のほとんどが黒で覆われていた。カイの身体があの黒いのに溶けかけているようにも見えたが、逆にあの黒いので本にかけられた魔法を防いでいた、とも考えられる。
肉が焼けるようなにおいもしていたが、そういやあいつ痛そうにしてたっけ?
「図書館、大丈夫なんですか?」
流石にそんな事になれば図書館の方も警備を厳重にしないといけないだろう、と考えたのかルフトが問いかけてくる。最悪一時的に閉鎖、なんて事も考えてしまったのだろう。昨日はカイに付きまとわれて早々に立ち去ったけれど、まだ読みたい本とか読み終わってないやつがあるのだろう。そうなれば閉鎖されて一般の立ち入りを一時的とはいえ禁止されるのは困る、というわけか。
「あぁ、恐らくもう出ない。恐らく望みの内容の本を見た時点で目的は達成されたはずだからな」
「本を漁っていただけではなく、目当ての内容に辿り着いていたのか」
「……あぁ、とはいっても、一部を読んでその部分だけを鵜呑みにしただけだ。冷静になれば戻ってくるかもしれないが……それはないだろうな」
カイのあの様子からして、冷静になってくれるかどうかも微妙だ。
というか、冷静になったとしても恐らくもう図書館には普通に入れないだろう。あの黒いのに覆われたまま訪れたとして、そしたら今度は確実に賊扱い。仮に本来のカイの姿になったとしても、図書館側である程度情報が流れてるだろうしそうなればもう立ち入りを禁止されていてもおかしくはない。
盗難に関しては未遂とはいえ、閲覧制限のある本を勝手に入り込んで読んだり荒らした事実はなくなったわけじゃない。
「戻ってこない、と言い切れるんですかそれ」
「戻って来たとしても今度は賊扱いは確定。また侵入したとして、そうしたら今度は容赦なんてない」
というか、図書館側でも知りたがりの幽霊みたいな怪談話はそれなりに知られてはいたようだが、それがカイである事まで知ってる奴は多くなかった。けれども今回の件で全体的に周知されたことだろう。今まではそこまで迷惑をかけるものでもなかったから放置されていたに過ぎない。けれども今回、図書館側にとって害があると判断された。
図書館を荒らす者に容赦なんてするはずもない彼らが、仮に幽霊だからといって鉄槌を下す事を諦めるとは思えない。もし姿を見せれば危険なのは間違いなくカイだ。
空間を転移する事もできるようだけれど、だからこそ当面の間あの閲覧制限のある本が置かれた階にも見張りというか護衛が置かれる事になるらしいし。
あいつの存在が何であれ、図書館に姿を見せた時が最後になるんだろうな、という気しかしない。
一見すると戦いとか無縁そうな図書館側の連中も、あれでああ見えて本を傷つけるような奴らに容赦なんてしないだろうしな……むしろああいう連中がブチ切れた時の方が余程厄介だと思う。こう、ありとあらゆる手段を躊躇わずに使います、とか平然とやらかしそうな気がして。
「…………なぁルーナ」
「どうした?」
「あ、いや……なんでもない」
カイを覆うようにしていたあの黒い液体めいた物質。あれはとても見覚えがあった。あの場に一緒にいた職員にも言ったが帝国で見たやつととても似ている。
けれど、帝国が滅んだ時点で帝国と関りのあった連中は全員黒い液体に包まれるだか吐き出すだかして死んでいる。
なら、カイのあれは同じに見えても別ものなのかもしれない。
軽率にクロムートと結びつけるのは浅慮というものだろう。
それに、いくらクロムートと共にいた時間があったとして、ルーナが果たしてそこまで知っているかどうか……というかルーナが接していた時はあまり力を使ったりしていなかったようだし、知らない可能性の方が高い。
……一応、組織に連絡入れるべきだろうか。いれたところでどうしろとって思われるだけなような気しかしないんだが。