トラブル
カイの存在はこの街に現れる怪談で、特に害はないと言われていた。
好奇心のままにあれこれ問いかけるだけの幽霊。幽霊、でいいんだよな?
今まで実害らしいものは特にないので遭遇してもあまり気にする必要はない、とまで言われた。
なら俺もそこまで気にする必要はないんだな、とちょっとだけ心が軽くなったものの、だ。
翌日、それでも念の為図書館へ行けば何というか昨日とは雰囲気が違っていた。
なんというか図書館側の連中がピリピリしている。
表立って出さないようにしてるっぽいけど、それでも隠し切れないピリピリ感。
図書館に訪れた他の奴らもその空気だけは察しているらしく、本の問い合わせをしようにも何となく気後れして遠巻きにしているようだ。
「何かあったのか?」
俺としても正直あまりこういう時に話しかけるのはな、と思いはするものの、今日は別に読書に来たわけでもなくカイが何事もなくまた現れる可能性を考えて足を運んだだけなので、万一カイに関する事でそうなっているかもしれない、と考えると聞いておくに越した事はない。
俺が声をかけたのは昨日カイについて聞いた奴で、だからか俺の事を覚えていたのだろう。あ、と小さな声が上がった。
「あぁ、組織の……いえ、何というか、侵入者が出たかもしれなくて」
昨日問い合わせた件の他、俺が着ているのが組織の制服でもあるという事で歯切れが悪いものの一応教えてくれた。ただの一般利用客であれば多分それすら教えてもらえなかっただろう。
「侵入者……? 確かに貴重な本もあるだろうから、そういうのを狙った、って事か……?
出たかも、というのは痕跡だけで被害があるというわけでもないのか?」
「えぇ、まぁ。ちょっと荒らされてただけで本が持ち去られただとかは……」
それもそれで妙な話だ。
侵入して、貴重な本を盗もうとした。
それはわかる。
けれども実際は盗めずにそのまま撤退。
「防犯システムが作動した、とかか?」
「えぇと……ここだとなんなので、ちょっといいですか?」
「あ、あぁ」
確かに図書館に入った矢先で何かおかしな空気だな、とか思って声をかけたので、ここで話し込んでいたら誰が聞いているのかわかったものじゃない。
とはいえ、一応組織もこの図書館だけじゃない、ヴェルンの防犯には一枚噛んでるので俺が話を聞いたついでにじゃあちょっと手を貸してほしいとかそんな感じなのだろう。じゃなきゃこんなホイホイ話すはずがない。
そういうわけで関係者以外立ち入り禁止のスタッフルーム的な場所まで移動する。
スタッフルームといっても傷んだ本を修復したりするのに利用している部屋、といった感じで休憩室といった感じではない。
埃っぽいのとカビっぽいのとあと紙の匂いが混じったような、何かもうどう表現するのが適切なのかもわからない匂いがする。
こんな所に長時間いたら肺とか大丈夫か? っていう気が凄いする。しかしここで働いてる奴からすればこれはもう当たり前のものなんだろう。平然としている。
「防犯、といっても大したものないんですよね、ここ。
ほら、盗んだとしても出どころわかっちゃう物だから簡単に足がつくっていうか、そういうのは領主さまが配備してる騎士の方とか経由で色々……」
「あぁ……」
宝石とかならまだ出どころ誤魔化しようがあるけど、本はなぁ……確かにここにしか置かれていない、なんてものだったらそりゃ出どころわかりきってるし、そんな盗品とあからさまにわかりきってるやつ購入したとして、大っぴらに見せびらかせるはずもない。写本です、で誤魔化せばもしかしたらワンチャンあるか? と思わんでもないが、仮にそういうのを入手するならまず人目に触れさせないのが基本だよな。
何かの研究資料として手元に置きたいとかそういう。
珍しい品を人様に見せびらかして、とかそういうのには向いてない。
下手に闇市に流そうにも領主含めその他の権力者もついてるなら……まぁ、確かに盗むのも馬鹿らしくなってくるな。金にならないというか、なっても直後にお縄になる可能性が高すぎる。
「あと、一応精霊がね、色々協力してくれてるんで……もし盗もうなんて奴がいたらそれこそひどい目に遭うんですよ」
「充分しっかりした防犯になってるな、それ」
確かに精霊もずっとここの警備をしてるわけではなさそうだけど、本に何らかの術を施してあるなら誰も見てないと思って手を出したら……の典型的なやつ。
ちょっと意識を切り替えて精霊の声に耳を澄ませてみれば、確かに図書館の中でもそれなりの数の精霊がいるだろう事はわかった。とりあえず少し離れた場所で本を読んでるらしき奴の上にいる精霊はネタバレをやめてやれ。聞こえてないとはいえネタバレはやめろ。
精霊の声に耳を傾けたままだと何か知らなくていい情報まで知ってしまいそうなので、意識をまたも切り替える。
「普通の本ならまぁ、ちょっと盗もうとしたりした時点で手にビリっとくるような感じなんですけど」
「普通の本でそれなら貴重な本はどうなるんだ。八つ裂きか?」
「そんな恐ろしい。というかそんな事になったら本が汚れるじゃないですか」
「そうだな」
盗人の命なんぞどうでもいいとばかりの態度に、俺もあっさりと頷いた。
そうだな、ここの連中はどっちかっていうとそうだわ。ちゃんとした一般客ならともかく本を盗んだり傷つけたりするような奴の命と本なら本を取るわな。
「侵入者が出たのは、上階の特別図書が置いてある階です」
「特別図書?」
「えぇと、禁書扱いになってるものとか保管されてる階でして。一般の方の立ち入りは禁じてあります」
「あぁ、あれか」
図書館の中をぶらっと見て回った時に、俺もその手前までは行ったな。許可もないから立ち入ってはいなかったが。
「禁書、と一言で言っても色々とありまして。例えば薬の作り方なんかの一見すると普通の内容のものもあるんですが、ちょっと裏を返して応用しちゃうととんでもなく問題のある毒薬になってしまうので情報を流通させないようにしないといけないものだとか、勿論そのまま最初から最後まで世に出すには問題しかない内容のものだとかもあるんです。なので基本的に立ち入り禁止なんですよね。何らかの研究の際にそこの資料が必要だ、なんて場合であっても許可をとって、それからこちら側で見張りをつけた上で本を持ち出さずその階の部屋で読む事を条件に、とか色々と面倒な決まりはあるんですけれども」
「まぁそうしないと問題があるっていうなら仕方ないんだろうけれど、確かに手間はかかるな」
多分読んだ書物の内容をそこらで流布しないとかそういう決まりもあるだろうし。
……知ってしまった知識をうっかり酒飲んだ時にべらべら喋ったりした場合どうなるんだろうか、とは思ったが、その場合もこの街の中では何らかの罰とかありそうだよな。
「で、そこに侵入者が?」
「はい。朝来てまずは全体的に見回りをするんですけれど、昨日は誰も立ち入っていないはずのそこの、本棚から何冊か本が抜き出されていて」
「持ち出されてはいないと言っていたな。という事は、そこら辺に?」
「えぇ、ただ本棚から落ちただけ、というにも不自然な散らばり方でして」
なんだろうな。
学校とかなら何かこう、ちょっとはっちゃけた生徒が深夜の学校に侵入して、うぇーい、侵入してやったぜー、みたいなノリで侵入した証として荒らしまわりました、みたいなのもあるかもしれないけど、流石にこの図書館でやるとか馬鹿の極みすぎてまずやらないだろうし。
というか普通に犯罪。学生の悪ノリでやらかすにはちょっと罪状が重すぎる。
他の町ならどうだか知らないけど、ヴェルンは割と図書館関係の犯罪は重罪だからな……
「盗もうとして何か本にかけられた術でビリっとした拍子に驚いて逃げたとか、か……?」
「にしては侵入経路とかがさっぱりなんです。どこから入ってどこから出ていったのかとかそういう痕跡がさっぱりで……」
「……現場を確認する事は可能だろうか?」
「えー、と、ちょっと確認してきますね。組織の人ならまぁ、大丈夫だとは思うんですが……念の為確認とってきます」
「あぁ、頼む」
待っててくださいね!? と念を押されたので、とりあえずじっと待つ事にする。待つだけならここじゃなくて別の場所が良かったんだが……まぁ、最初に感じた妙な匂いも今は鼻が慣れてきたから問題ないか……
――で、案外あっさりと許可がおりたので昨日は立ち入る事ができなかったエリアに足を踏み入れたわけだが。
元々一般向けの本は下の階に、専門書やら閲覧に制限がかけられている物は上の階にという感じなので上にいけばいくだけ人の気配が少ないし、しんと静まり返っている。
今日はまだ閲覧制限のある本の閲覧許可を出した人もいないらしく、いつも以上に、というところか。
「上の階っていつ来ても静かすぎて、朝はまだしも夜の見回りは不人気なんですよね。幽霊出そうで」
許可が下りたついでに俺を案内しているのは、引き続きそいつだった。受付に関しては他の人に任せてきたらしい。
「幽霊出そうって、そもそも出てるんじゃないのか? 何か知りたがりの幽霊が出るとかどうとか。俺が問い合わせたカイがそうだったわけだし」
「あぁ、それ、後になって聞かされました。でも名前までは知らなかったんですよ」
ま、幽霊と仲良くなって自己紹介し合うまでに至ればともかく、そうじゃなかったらそもそも名前なんて知る機会もないか。貸出可能な本を借りるとかならその際に名前を記したりもするから知られる可能性はあるけど、カイは図書館の中に入り浸っていて借りるという事はしなかったんだろう。じゃあ、何かよく見かけるけど名前までは知らないな、で済む話なのかもしれない。
「それで、もう元に戻したけどこの辺りです。荒らされてたの」
そう言われて見回しはしたものの、気になる点はない。荒らされていた部分はとっくに戻されたようだし、あえていうならちょっと薄暗いかな、とかそれくらいだ。
何だかドミノ倒しでもできそうだなと思えるような配置の本棚。そこから離れた場所にある長机と椅子。本棚の中身が閲覧制限のあるものばかり、というのを除けばこの階も割かし普通の図書室にしか見えない。
荒らされていた、と言われたあたりの本棚を見るが、そこに並んでいる本のタイトルを見る限り凄く貴重な本、というわけでもなさそうだ。この辺りにあるのは言ってしまえば歴史書みたいなものだし。
歴史書なのに閲覧制限があるっていう点で闇が深いとか思ってはいけない。
世の中にはあまり表沙汰にしない方がいい出来事というのがあって、でも忘れちゃいけないから一応書物として残しておきましょうね、みたいなのがいくつか存在している。ただ、それだけの話だ。
「他の場所は問題なかった、って事か?」
「えぇ、荒らされていたのはこの辺りだけで――ひっ!?」
トサ、とそこまで重さはないがそれでも何かが置かれたような音が近くでして、そいつは思わず悲鳴を上げかけた。
「他に誰かこの階に……?」
声を潜めて問いかければ、全力で首を横に振られる。
では、俺たちがここに来るのを見て何となくついてきてしまった、とかそういう奴だろうか……
流石に放置というわけにもいかないし、確認するしかない。
音がした方へ足を進めていくと、近づくにつれてパシッ、だとかバヂッ、だとかいう音も聞こえてくる。
いやこれ、本にかけられてるとかいう術発動してないか……?
だがそうだとしたら、その防犯対策の餌食になってる奴がいるわけで。侵入者はもしかして上手い事ここの連中の目を逃れてずっとここに……? と思いながらも近づいて――
「い、いやあああああああああ!?」
そいつの姿が確認できたと思った直後、一緒についてきていた司書はまるで乙女のような悲鳴を上げた。