サグラス島
「い、一体いつから私がヴァルトであるという事に気付いて……!?」
「最初からだが」
「なん……だって……!?」
そんな驚かれるような事だっただろうか。
いやそもそも最初の時点でこっちが名乗る前から普通に俺の名前呼びかけてたし、取り繕い方へたくそか、みたいな感じだっただろ。
「その割にはこちらに対する対応がちょっとアレだったのでは……?」
「そっちが他人の振りしたいみたいだったから、他人対応してただろ」
「なんたる……」
がくり、と音が聞こえてきそうな勢いでヴァルトが膝をつく。
いやそこまで? 本気で隠しきってると思ってたわけ?
いくらなんでもそれはなくないか?
「それで? サグラス島、だったか? 僕が聞いた話ではそこ神域とか呼ばれてるらしいし何なら足を踏み入れた奴は祟られるって聞いてるんだが。
廃墟群島の近くのあの島だろ?」
「あぁ、そうだ。知っていたのか……」
「実際どうかは知らないけど、そこに行く意味があるのか? 本当に?」
「勿論あるとも。少なくともここでこの子を治療するよりは遥かに」
具体的にどういう事なんだろうか、と思いはするが、ここでぐだぐだと追究しようとするよりは、本当にそうであるなら直接行った方が早いだろう。
何せ目と鼻の先、という程度には近いのだから。ここから更に他の大陸へ行け、というよりは余程。
「祟りというのは?」
「……それに関しても問題ない。少なくとも私たちは」
……となるとやはり何らかの防衛機構なのだろうか。
ともあれヴァルトが問題ないと言うのならそれを信じるしかない。怪我は塞がり治っているはずなのに一向に良くなってる気がしないディエリヴァをこのままにしておくわけにもいかないしな。
本人は大丈夫だとは言うものの、到底そうは思えない。立って歩こうにもふらついてるし、ほんの一歩二歩歩いただけで既に肩で息をしているような状態だ。これで大丈夫だから、という本人の言葉を信用するほうがどうかしている。
「わかった。行くぞ」
ヴァルトにそう告げれば彼もまた深く、しっかりと頷いてみせた。とはいえどういうルートで行くつもりなのだろうか、と考える。どちらにしても海のあたりまで行かないと俺の魔法は使えない。しかしここから下って海岸まで行くにしても、恐らく先程の巨大蟻たちが死んでるだろうし魔法で水の竜を作るにしてもすぐにできるかちょっと微妙な気がしている。
島周辺に船の残骸が漂っているような状況で、巨大蟻の死骸だけ上手い具合に別の所へ流れていくなんて事はないだろう。
移動するのにひとまずディエリヴァを抱えあげたものの、なるべく巨大蟻の死骸が少ない場所から行きたいところだ。大群はディエリヴァの目に触れてはいなかったし、女王蟻と思しき羽蟻はアリファーンが燃やして虫だという原型を留めていたかも疑わしい状態だったが、海岸に行けば多分巨大蟻が浮かんでるのを目の当たりにする。そうなった場合ディエリヴァがパニクる可能性は限りなく高かった。
その旨をヴァルトに伝えれば、彼は何て事もないように「その事か」と言う。
「それなら問題ない。ここからなら一瞬で行ける」
「一瞬って」
いや流石にそれは無理だろう、と思った。だが――
ヴァルトが何かを口にした。言葉は俺の耳をもってしても小さすぎて聞こえなかったが、その直後に風が吹いた。ハウが攻撃の為に操る風の音よりも更に激しい音。周囲がズタズタに切り裂かれるのではないか、と思える程の風の音はしかし確かに耳で捉えているものの、俺たちの周囲で風はそう強く吹いているわけじゃない。
ヴァルトが使った魔法の効果だろう、とは思うがそれがどういうものなのかがわからない。
「なぁ、ヴァルト」
だからこそこれから先どうするつもりなのかを聞こうとした。
「……お?」
しかしそれより先に、自分の身体がふわりと浮いたのを感じた。
浮いた。浮いてる。風に吹かれて自分の身体が浮くという事態に、一瞬理解が追いつかなかった。魔法で空を駆けるように移動する事はある。けれどあれは自分の魔法で自分の意思で身体を動かしているわけで。
自分で発動させたわけじゃない魔法で、自分の意思とは無関係に身体が浮くという状況に思わず抱えていたディエリヴァを更に強く抱きしめた。
そうでもしないと落っことしそうだったので。
足下が地面から離れて、何だか途端に不安になる。
「では、行くぞ」
ヴァルトがそんな事を言っていたが。
正直それに返事をする余裕はなかった。
自分の意思じゃない状態でぷらんぷらん足下が揺れてるこの不安定さよ!
足下がないジェットコースターだって前世には存在していたけれども、あれは安全バーで身体を固定されていた。けれど今、安全バーなんてものは存在していない。
ヴァルトが俺を傷つける事は流石にないとは思うけれど、傷つけるつもりがなくても事故っていうのは存在するわけで。
というか、事故を起こすつもりがなくても事故は起きるわけで。
なぁこれ本当に大丈夫なのか――?
そう問いかけようとしたものの、ぐいん、と身体が急上昇した事でその言葉を口から出す事は叶わなかった。
「っ……!?」
気を抜くとハンスとタメ張るレベルの情けない悲鳴が飛び出そうだったので、どうにかその悲鳴を飲み込んだ。
あああああ、飛んでる、今俺飛んでる――!!
そんな、初めて魔法で空を飛んだ時の気持ちを思い出したがあの頃と比べるとハッキリいって恐怖しかなかった。
自分の意思じゃないってだけでこんな怖くなる事、ある??
――前世のゲームで、割と長いシリーズになってるやつがあるんだけどさ。
それで今まで行った場所に一瞬で行ける、所謂ワープとかテレポートみたいな魔法があるんだけど。
あれ使うとキャラが画面の真上にびゅいんって飛んで、そこから一瞬画面が暗転して目的地に到着するっていうやつ。
もしかしたらあの魔法ももしかしてこんななのかな、って思ったんだ。
ヴァルトの使った魔法は風で身体を飛ばして勢いに任せて移動させるようなものだったんだと思う。着地に関してもばっちりだった。ゲームにもよるけど勢いに任せた自由行動がきかない一直線な手段って高確率で着地には全く考慮されてなくてすんごい勢いで地面に落下とかいうのあるし。
あれよく生きてるな、ってプレイしてて思うんだよな。死なないのは仕様にしても、HPとか絶対減ってるだろって思う勢い。むしろ無傷なのおかしいって思うわけで。
まぁそこも毎回HP減らされたらプレイするのに毎回その移動手段使うたび回復しないといけないっていう手間がかかるとユーザーがかったるいとか面倒とか不満の声上がりそうだし、昔の不便さ際立つゲームならともかくそうじゃなかったら間違いなくネット掲示板で酷評もの……
その移動手段を使わなきゃいいだけなんだろうけど、ストーリーの進行上イベントとかでどうしても使わないといけない、なんてのが何度もあれば確実に不満の声が出そう。
……まぁそこはさておき。
そんな事を考えてしまう程度にはヴァルトの移動に使った魔法が心臓に悪かった。
もう自分が風になったんじゃないかと錯覚する勢い。えっ、俺今ちゃんと原型留めてる……?
ディエリヴァを落とさないようしっかり抱えていたけれど、それでも本当に抱えていたか不安になって何度か見たけど何でか信用できなかったもんな。俺の目が。
あまりの勢いに実は早々にディエリヴァを落っことして俺が抱えていると思ったのは妄想の中のディエリヴァでは、とかちゃんといるにも関わらず疑いだす勢い。危うく俺の娘が概念的な何かになるところだった。
「ここが……サグラス島?」
「あぁそうだ。ここが、こここそが……」
俺の問いに頷いてヴァルトが口を開くも、それは途中で止まってしまった。
「……いや、いい。行こう」
結局言おうと思った事は言わないまま、ヴァルトはこっちだ、と告げて歩き出す。
俺としては正直ちょっとだけ休憩したかったが、優先すべきはディエリヴァだ。ほんのちょっとしか離れてなかったというのに何だかとても恋しい地面を踏みしめながら、俺もまたヴァルトの後を追うようについていった。