正体カミングアウト
ひとまず巨大蟻の脅威はなくなった。
ハウに様子を上空から確認してもらったところ、まだ何匹かは生きてるらしいけれどそれも時間の問題だろうとの事だ。
隣の島から海を渡ってきた時は船の残骸もあったからそこら辺通っただろうし、そこからちょっと外れて海に落ちた奴らもすぐに海の底へ沈んだわけじゃない。沈みかけてる蟻を足場に渡った蟻もいたようだが、今回は羽蟻を追って足場も何もない海へと移動していったようなので、徐々に沈んでいってるところらしい。
藻掻くようにしているやつらが大半らしいが、全滅するのは時間の問題だというのは理解できた。
とはいえまだまだ事態が一段落したとは言い難い。
大丈夫だと言ってはいるもののぐったりとして動けそうにないディエリヴァ。
そしてどこか呆然と立ち尽くしているアルト。
ディエリヴァよりもまずはアルトだろうか。逃げ出さないだけマシかもしれないが、いつ気が変わって逃げ出すかはわからない。
「さて、さっきのは一体どういう事だ?」
正直あまりやりたくはないが、腰にある剣の柄に手をかけながら問いかける。
勿論切りかかるような事をするつもりはないのだが、いざとなったら実力行使も辞さない、といった――要はパフォーマンスだ。
冗談でも怪我をするかもしれない事はやっちゃいけないよとは前世で言われてたから、そこはかとなく気は進まないんだけどな……
そんな俺の態度にアルトも何か思うところがあったのだろう。一瞬右足が後ろに下がりかけたが、どうにか踏み止まる。
逃げようと考えたが無駄だと判断した……か?
まさか俺の気迫にたじろいで、とかそういう事ではないだろう。ちょっとシリアスな空気を出しはしたが、脅そうという意味はないから敵意も殺気も出しちゃいないし。
「さっきの、とは一体どれの事だろうか。
クロムートを知っていた事か。それとも」
「家族」
一言、それだけを告げるとアルトはそっと首を横に小さく振った。それは否定しているというよりは観念したように見えた。
言葉の綾、というのはある。
あるけれども、流石にあの状況であの言葉はいくらなんでも言葉の綾にしたって聞き流すには難しい。
私の友に何をする、だとか仲間に何をする、であったならば俺もそこまで気にしなかった。
初っ端からこいつはアルトなんて名乗ったもののヴァルトである事は明らかだったし、そうでなかったとしても世の中には出会って挨拶した時点で今日からお前は友達だ! とか言っちゃうような人間関係のハードルが色々と低い相手もいるわけで。
アルトが仮にヴァルトであるという事を隠し通せていた場合、俺はそういう出会ったその時点で皆ブラザー! とか言っちゃう奴なのかと思っていたかもしれない。
そういう相手であったなら家族という言葉を使ったとしても違和感はなさそうだが、生憎こいつは初っ端の時点で取り繕うのを失敗している。ヴァルトであると俺に知られている時点で、そういう全人類皆友達なのさ! とか言う奴じゃないのは重々承知の上だ。
勿論クロムートを知っているらしいという事も気にはなるけれど、どちらがより引っかかるかと言われれば家族と呼んだ点だ。
ディエリヴァは俺とルーナの子、のはずだ。
こうまで俺の顔とそっくりで実は血のつながりは一切ありませんと言われる方がおかしい。
仮にアルトの……ヴァルトとディエリヴァが親子であったなら。
……ヴァルトが父親であるならば、母親は誰だ?
ルーナが母、というのであれば、この二人の子でありながら俺に似ているというのはどう考えてもおかしい。
俺要素がある時点でおかしい。
ヴァルトが俺に似た別の女エルフと子を作ったというのであればもしかしたら、とは思う。その女エルフがルーナという名である可能性。
……正直限りなく低いと思う。
俺に似た顔立ちの女エルフ、というのは探せばもしかしたらいるとは思う。けどそのエルフの名がルーナであるという可能性はとても低い。
それにルフトは言っていた。父親似なのだと。
であればディエリヴァだって当然そうだ。
この時点でヴァルトが父親であるという可能性は潰える。
さて、アルトが一体どういう返答を出すのかと思っていると、ごほごほとディエリヴァが咳き込んだらしく、つい俺はそちらへ視線を移動させていた。
その一瞬が逃げ出す隙となるのは充分だったと思うのだが、アルトはハッと顔を上げてディエリヴァへ駆け寄ろうとしていた。
相手によってはここで俺が警戒して食い止めるべきだとは思うが、警戒する必要のない相手だ。
だからこそ俺は形だけ警戒してますよ、というのを崩さないままにそっと一歩分横へ移動してアルトがディエリヴァに接近するのを許す。
駆け寄ったアルトはディエリヴァと目線を合わせるように跪く。
「ディエリヴァ、きみが目覚めたのはいつだ?」
「……最近です」
けほけほと小さな咳を繰り返しつつも、何でそんな事を? と言いたげではあったがその質問に答える。
「一月以上経過しているか?」
更に重ねてされた質問に、ディエリヴァは少し考えてそっと頭を横に振った。
ディエリヴァがルフトの魔法によって三年程眠っていたというのは本人の口から俺は聞いて知っているが、どうしてアルトがその事を……? という疑問は勿論ある。
けれど今は水を差すような真似はしない方がいいと思った。
実際俺の方でも考えてみる。
ディエリヴァが目覚めてから確かにまだ一月経過したとは言い難い。
彼女が目覚めたその日に俺と出会い、そこから数日帝国で過ごしていた。その後はフロリア共和国へ向かい、そこから魔法で海の上を移動してクルメリア大陸へ。ミズー集落へ行ったもののそこに滞在したのだって一泊だ。
その後はここへ来たわけだが、本来なら何か月もかかるようなところを俺が魔法で最短距離のルートでもって移動したために恐ろしいくらいショートカットされてんだよな……
下手したら魔物と遭遇しただとか船が故障したのでちょっと修理するのに時間がかかるだとかで、普通の移動手段を使用していたら一年くらいは経過しててもおかしくないわけだ。
何事もなければそれくらいのんびりしてても良かったんだけど、いかんせんクロムートがいつ仕掛けてくるかわからない、というのがあったために俺ものんびり観光しながら旅する、なんて方法を選べなかった。
けれど、一月経過している事が何か重要なのだろうか。
骨兜のせいで表情は上半分が隠れてるのでわかっているとは言えないが、それでもアルト的に何か不都合な部分があったのだろう。その雰囲気は重々しい。けれども何が悪い、というのでもないんだろう。アルトがディエリヴァに問いかけた時の声は、心底心配しているといったものだった。
「そうか……厳しいな……しかし……」
小声で何やら呟いたかと思うとアルトは顔を上げてこちらを見た。……多分、見ている。これで見てなかったらどういう事だと思うので見ているはずだ。
「ルーカス、このままでは彼女は危険な状態にある。このままにしておくわけにもいかない」
「それはまぁ、そうだろうな」
怪我は既に傷を負った部分は塞がっているものの、それでもディエリヴァの顔色は悪いままだ。毒、という可能性を疑った。けれども解毒魔法を使っても完全に良くなったとは言い難い。
アルトは本来クロムートの攻撃を食らったのはディエリヴァではないと言い出していた。
怪我をしたのは確かにディエリヴァだというのに。
けれど、荒唐無稽な話だと思いながらももしかして……と思う部分はある。
「治すために、この場では少し問題がある。負担を減らすために場所を移動させたい」
「……他の島に治療に適した場所が? 到底そうは思えないのだが」
「適した場所があるというのは事実だが、それはこの廃墟群島ではない。ここより少し離れた場所に位置する島。大いなる聖樹が存在するサグラス島だ」
聖樹、ねぇ……まぁ魔法があったり精霊がいたりファンタジー感たっぷりな世界だし、そういうのがあってもおかしくはないと思う。世界樹とかあるって言われても納得する。
けど、ここから少し離れた、という点で俺としては思い当たるのは一つだけだ。
そこ、ミズー集落の長老が言ってた神域とか足踏み入れたら祟りがあるとか言われてる島なのでは?
廃墟群島に来る前に念の為間違わないように確認した、あの島なのでは?
言われてみれば何かそういう神木だとか聖樹だとか言われてそうなのあったし。
御利益ありそうな大木なわけだし、何かこう、不思議な力で魔法じゃ治しきれない怪我を治す事ができるとか言われても俺は納得するとは思うけど、懸念すべきは長老が言ってた祟りだ。
そもそもそんな便利な存在があるならそれこそこぞって誰も彼もが利用しようとするはずだ。けれどもそうではない。祟りというのがどういうものかはわからないが、余所者を受け入れない防衛システムがあるとか言われてもおかしくない。辿り着くのにとんでもなく厄介な試練とかあるんじゃないだろうか。
それまでの危険を冒してまで行く必要あるだろうか? 他の方法探した方がいいのでは?
そんな、俺の難色を示す感じの表情をどう受け止めたかはわからない。
けれどもアルトは何かを言いつのろうとして、しかし一度開かれた口からは言葉が出る事なく閉じられる。
そして少し遅れてアルトは何かの覚悟を決めたかのように、両手を頭上へと伸ばした。
すっ、と骨兜がアルトの頭から外される。そうして素顔が露わになる。
「すまない。私はアルトではない。事情があったとはいえ、きみを騙すつもりはなかった。ルーカス。
私は、私はヴァルトなんだ……」
「うん、知ってるけど」
「えっ!?」
「いや何だ、えって」
あっさりと頷いた俺に、アルト……じゃなくてヴァルトは心底驚いたように声を上げた。
いや、最初の時点でバレバレだっただろ。
その状態でむしろ俺が騙されるアホの子だとでも……?
正直こっちが「えっ」て言いたいんだが。