簡単なミッション
「アレフ、目標を発見したわ。準備はいい?」
「あぁ勿論。そっちは準備できてるか? ケイン」
「いつでもいいぜ」
いかつい型の双眼鏡を手にしていた女の声に、アレフと呼ばれた男はすっと表情を消した。同時に近くにいたもう一人の仲間に声をかける。
彼らはとある国に所属している所謂エージェントのようなものだ。諜報機関、と言えばそれっぽいが、実際のところはまだそこまでの規模でもなく、単なる雇われ所属部隊みたいな扱いである。
今はまだ扱いが軽くはあれど、それでもきっちりと成果を上げれば出世の見込みはある。
アレフ、と呼ばれた男は音を立てないように移動を開始する。
がっしりとした体躯の精悍な顔つきの青年である。一見すればどこからどう見てもただの旅人にしか見えない。鍛え上げられた身体から、それなりの場数を踏んできた事もうかがえる。
同じようにしてケインと呼ばれた男もまた足音を消したまま移動を開始した。
こちらはアレフと比べるとやや痩せぎすの長身痩躯の男だ。目の下には隈が色濃く残っており、頬もこけている。アレフと共に並べば不健康さが際立つ程だ。
こちらも一見すると旅人のような出で立ちである。腰には二つ、彼の手には不似合いともいえる大振りのダガーがぶらさがっている。
到底使いこなせるような気がしないような見た目ではあるのだが、不思議とそうは思えなかった。事実ケインはこの大型の生き物の首でも一撃で切り落とせそうなごつい刃物を使いこなせているので、油断はできない。
最後に、名を呼ばれはしなかったが双眼鏡を手にしていた女もまた移動を開始した。
彼女の名はジニー。彼女もまた誰が見ても旅人だとしか思えないような見た目をしている。
三人が三人とも、誰が見たとしても魔物退治などを生業として各地を転々としているような、そんな旅人にしか見えない。だからこそここに来るまでに誰かに警戒される事もなかった。
彼らが発見した目標は、こちらの存在に一切気付いてないらしく警戒した様子もないままに歩いていた。
足を止める事もなく、また周囲を見回すような事もなく一定の速度で移動している。
それはまるでふらりと近所を散歩しているような、そんな気軽な足取りですらあった。とはいえここは近所というわけでもない。
マルグリテ平原。
時折魔物の存在も確認される、決して安全とは言えない場所だ。
本来ならば警戒して然るべき場所であるはずなのに、ターゲットは警戒した様子もないままに移動している。アレフとケイン、そしてジニーはそれぞれターゲットへ向かって接近しているが、もし向こうが逃げようとした場合の事を考えて三方向から接近している。奇襲をかけるには向いていない場所。多少草木が生い茂っているけれど、身を隠すには少しばかり向いていない。それどころか走れば草を踏む音で確実に気付かれてしまう。
ジニーは双眼鏡で再びターゲットを確認した。
金色の髪は長く腰のあたりまで伸びている。
それを根元のあたりで一応結んではいるようだが、風が吹いた拍子にその髪がふわりと舞い上がるように顔にまとわりつく。ジニーであればそんな事になれば鬱陶しそうに振り払うけれど、ターゲットは表情を一切変えず軽く手で払っただけだ。
どこか格調ばった感じの黒い服は、彼が所属しているところの制服、というやつだったか。その他にマントと、それを留めている金具、格調ばった感じがすると思ったのは、恐らくそれが何の飾り気もないマント留めであればそう思わなかったかもしれない。留め具にはやや大きめの宝石だろうか、それが輝いていた。
ゴテゴテしているわけでもないが、質素というわけでもない。
格式ばった場所にいる貴族というわけでもないが、それでも下町を視察する際の貴族的にそこそこラフな衣装です、みたいな雰囲気がした。
腰には細身の剣がぶら下がっている。
全体的に見て、ふと以前別の町で見た演劇を思い出す。
そうだ、何というか、あの劇で見た貴族に似ている。ジニーはこんな時だというのにそんな事を思っていた。
全体を何となく双眼鏡で見ていたが、彼の歩みは止まらない。このままだともう少し行けば包囲できるだろう。音を立てないよう注意を払いつつも腕を動かして、アレフとケインにサインを送った――が、直後に送ったサインを取り消す。
双眼鏡で見ていただけだ。距離はまだ大分ある。
ここから気付かれるはずもない。
しかしターゲットの男は、足を止めよりにもよってこちらを見ていた。
気付かれた――!?
まだ距離があるにも関わらず!?
ジニーは思わず声を上げそうになるがどうにか飲み込んで、即座にアレフとケインに先ほどとは別のサインを腕で示した。ざっ、と大地を蹴って駆けだす音がする。ジニーもまた同じく駆け出す。
奇襲を仕掛けるなんて話じゃない。相手は確実に気付いている。
双眼鏡をひとまず下ろして、そこで気付く。
そうだ、奴は人間じゃない。人間とよく似ているけれど、その耳を見れば一目瞭然ではないか。伸びて尖った耳。エルフと呼ばれる種族の特徴的なそれ。
こちらは気配を消して物音も極力立てないようにしていたが、それでも向こうはその音を捉えたという事か……!
真っ先にターゲットのもとへ辿り着いたケインがその両手に似つかわしくないごついダガーを手に襲い掛かる。あの細腕でよくもまぁ、あんな重い一撃を出せるものだと毎度のことながら思う。
エルフの男もまたケインの存在には気付いていたらしく、ほんのかすかに上半身をそらすようにして最初の一撃を躱し、続いてやってきた二撃目を腰に下げてあった剣を抜いて弾いて躱す。
少し遅れて辿り着いたアレフが、大剣を抜いて振り下ろす。命中していれば今頃エルフは真っ二つだっただろう。しかしそれはギリギリで躱されていた。
アレフの攻撃もケインの攻撃も、どれもがギリギリで回避される。時折命中しそうになった攻撃は剣で受け流され、致命傷どころか傷一つつける事もままならない。
もっと距離を取って逃げるようにしてくれれば、ジニーの武器であるボウガンで狙う事もできるのだが、あの二人とギリギリの距離にいるのでは援護もできない。ジニーの腕前は下手くそというわけではないが、一流というわけでもない。この状態で撃ち込めば、仲間に命中する可能性がある。
ターゲットのエルフの男は、それなりに知られた存在だった。
エルフにくせに弓矢を使うでもなく、剣を手に戦うといっても積極的ではない。
更には今まで魔法を使ったところを確認されてすらいないので、こちらからすれば色んな意味で狙い目の存在だった。捕らえて情報を引き出すために拷問するもよし、そのまま首を刎ねて手柄を立てたと上に献上するもよし、情報を引き出せなかったとしても、彼の所持品に何らかの情報が得られる物があるかもしれない。
ジニーたちが所属しているところとは敵対関係にあるエルフの男は、色んな意味で有名な存在だった。
他の者は単独行動をする事が少ないが、こいつは基本的に一人で行動している点。武器は剣しか使わないし、戦う時も消極的。あくまでも攻撃を防ぐ時にしか剣を使わない。
更には魔法を使ってこない。
他のエルフなら敵の姿を認識した時点で弓矢でもって攻撃しているか、魔法を撃ってくるかだが、彼はそういった行動をとらないと既に知られているので狙いやすい。
とはいえ、今までに彼を狙った者は大勢いた。しかし彼の戦い方自体が消極的なのもあって、仮にこちらが不利になったとしても積極的に襲うわけでもない。逃走する相手を追うでもなくそのまま放置するので、倒せないと判断したならば一度引いて色々準備を整えてまた挑戦すればいい。
多少の抵抗はすれども、こちらに積極的に危害を加えてこない相手。
そんなのが敵対組織にいるのだ。狙わずして何を狙う。
とはいえ、ややこちらに分が悪いかもしれない。
どれだけ攻撃を仕掛けても、一向に致命的な一撃を与える事ができていない。ジニーはこの状況を変えるために、ボウガンを構えた。
「二人とも、離れて!」
その声と同時に撃った。アレフもケインも心得たようにばっと横に跳んで回避する。キン、と矢が剣によって弾かれたが、次いですぐさま撃つ。それもまた剣で防がれたが、その隙にケインが飛び込むようにして切りかかった――が、それは浅くわき腹を撫でただけだった。一撃、とはいえ致命傷とは到底言えない。
「――? なんだ……?」
瞬間、空気が変わった気がした。
エルフの男の身体が一度強張ったような動きを見せ、次にどこか焦ったような様子で軽く視線だけで周囲を見る。
鮮やかな菫色の目は、戸惑っているようにも見えた。
「何か知らんがチャンスだケイン! 畳みかけるぞ!!」
「応!」
アレフの声にケインが応える。その声により驚いたようにエルフは二人の方へ視線を動かして――それから自分が手にしていた剣を困惑したように見る。エルフに一体何が起きたのかはわからない。けれども確かにチャンスであった。先程までは攻撃を仕掛けても中々隙がなかったが、今は何故だか隙だらけなのだ。
アレフの一撃を躱そうとするも、それはフェイントで直後ケインが放った蹴りがエルフの腹に直撃する。
「ぐっ……!?」
小さな呻き声が聞こえた。魔法を使ってこないというエルフだが、今までの情報から声が出せない可能性もあるとされていたのだ。しかし今の様子を見る限り、声は出せるらしい。
見た目にひょろっとしたケインではあるが、その細い足から繰り出される蹴りも実は相当な威力がある。そんなのを真っ向から食らって、エルフは後ろへと吹っ飛んだ。そのまま少し離れたあたりで踏み止まるかと思ったがあっさりと倒れ、そのまま地面を転がっていく。
先程までと違い、今の奴ならば捕らえるのも容易に思えたし、声を出せるのであれば情報を引き出す事だってできるだろう。すぐに殺すよりはまず先に情報を……アレフもそう考えたのか、剣を手にして追いはしたが振り下ろそうとしている狙いの先は首ではなく足だ。とりあえず片足だけでも切り落としてしまえば逃げられなくなる。
だが――
「え?」
ジニーには最初何が起きたのかわからなかった。視界に映るのは赤い、それこそ鮮烈なまでの紅。聞こえてきたのは荒い呼気。次いで、どさりと重たい何かが地面に倒れる音。
「ア、アレフッ!? ぐあっ!」
「ケイン!!」
ジニーの理解が追いついた時には既に手遅れだった。
アレフの首は胴体とおさらばしているし、今もその身体からは赤い液体が容赦なく流れていっている。態勢を立て直したエルフに首を切り落とされたのだ、とジニーより先に理解したケインは、エルフが手にしていた剣を投げ命中させた事でこちらも倒れている。
頭に突き刺さったそれを見る限り、どうしたって手遅れだ。
ほんの一瞬。こちらの優位を感じたと思った直後にあっという間に形勢逆転された。
「このっ! よくも二人を!!」
聞いてた話と違う。そもそもこいつは襲われても相手を殺したりはしないんじゃなかったのか。だから安全な仕事だと思っていたのに。
ジニーは咄嗟にボウガンを構え、エルフ目掛けて矢を放つ。相手は動く様子もない。狙いは奴の脳天。これなら外さない……!
剣もない状態では矢を叩き落とす事だってできないだろう。仮に外したとしても、すぐさま次の矢を放てるようにセットしてある。二人の仇だ。命乞いをしたところで助けてなんかやるものか……!!
矢が命中すると思われた直後、風が吹いた。
「え――?」
その風はあまりにも強く、ジニーが撃った矢をへし折るように真っ二つにすると今度はジニーに襲い掛かる。
ザシュッ、という音と同時に自分の中にずぶりと何かが沈みこむような感覚。
「かはっ……!?」
喉の奥からせり上がる熱い何か――いや、これを自分はよく知っている。血だ。咄嗟にボウガンで矢を撃とうとして、その手に何もない事に気付いた時には手遅れだった。視界の隅にボウガンが転がっているのが映る。
「なん、で……」
魔法だ。ただの風がボウガンの矢をあんな風にするはずもないし、ましてやジニーの身体を刺し貫く事なんてするはずがない。
どうして。
だって魔法は使わないって話だったじゃないか……!
聞いていた話と違い過ぎるイレギュラーに、ジニーは声にならない悪態を吐いた。もっとも、声を出せたとしても出てくるのは声のかわりに血の塊だっただろうけれど。
どさ、という音が聞こえる。自分の身体が大地に倒れ伏した音。
どくどくと聞こえるこれは果たして鼓動の音か、それとも命の流れる音か。
開いているはずの目はしかし徐々に光を失って、どんどん視界を黒く染めていく。
ジニーが最期に見たものは、既に光を失ったアレフの首だった。