丹羽雄吾-2
月島が転校して、陽子はかなり落ち込んでいた。そこでやっと気付いた。好きな幼なじみの一番大切なものを奪ったのだと。
「月島、転校したから元気ねえのか?」
隣同士だから、相変わらず登校は陽子と一緒だった。たまらず声をかけた。自分がその張本人ということを抑えながら、慎重に陽子を慰めた。
「……うん、そりゃね。突然、なんも予告なくやしね。ただ……なんかあったんちゃうやろかって。あたし、そういや楓ちゃんの行動、ちょいおかしかったなって……思うんよね」
陽子は俯きながら、そんなことを言った。頭がぐるぐると回る。何が正解の返事となるだろうか、俺はみすぼらしくも考えていた。俺を守るための返事。
「……さぁ、あんま俺は分からんな。女子の間でなんかあったんやろかな」
「……うん、あたしも分からん。雄吾、聞いたこととかあったら教えてな」
「ああ」
通学路がやけに長く感じた。これからずっと、陽子に隠し通す日々が待っているのだ。
六年生も慣れてきた頃、頭の中から少し月島のことは離れていた。もう、陽子に伝わることはないと思って安心していた。
その日、陽子はかなり朝早く家を出たようだった。うさぎ小屋当番は陽子だったっけ? そんなことを思い、通学路が一緒の低学年たちと登校した。
俺がいる六年二組は普段通りの日常が流れていた。ただ、五時間目が終わった休み時間、うちのクラスの女子が何やら嬉しそうに話をしているのが耳に入った。
「なんか、たぶん一組で事件起こったんかも。みんな暗いねん」
わあわあと二組の生徒が一組の様子を見に廊下へ出た。俺もふらりと廊下へ出た。廊下から覗いた一組は確かに異様な空気に包まれていた。
男子はあほのように遊び回っているが、女子は皆が各々の席に座ったまま下を向いている。石川は机に突っ伏していた。いつもお喋りしている石川の、そんな姿を初めて見た。俺は陽子を見た。陽子だけが顔を上げ、窓の外を見ていた。
嫌な予感がして、ざわざわと面白がる二組の生徒を残し、先に教室へと戻ろうとした。向こうから一組の担任、井川が歩いてくるのが見えた。教壇に立つ時と家庭訪問の時、井川は笑顔をいっぱいにして大きく口を開け、明るさいっぱいの先生となる。こうして、ほとんど誰にも見られていない時、井川は能面のような顔をしている。血が通っていないような。
井川は一組を覗く二組の生徒を見て、あからさまに嫌な顔をした。井川が近づいてきて、目が合った。一人だけ自分のことを見ていた存在に気づいたのだろう、井川は俺に強張った笑みを向けた。
「ほら、二組の生徒、チャイム鳴るわよ!」
井川は教務手帳を叩きながら、教室に入るよう促す。じっと、その様子を見ていた。
その日の放課後、いてもたってもいられずに、仲間と遊んでから帰ろうと、ダラダラ中庭に残っていた。
「丹羽……ちょっといい?」
学校の中庭で仲間とふざけあっていた最中、後ろから肩をぐいっと掴まれた。ふざけあっていた仲間たちが目をぱちくりさせている。陽子の声だということは気付いていた。ただ、「雄吾」ではなく、「丹羽」と呼ばれたことで、すぐには振り向けなかった。
振り向くと、皆が目をぱちくりさせていた理由が分かった。陽子の表情は怒りに満ちていた。中庭へ僅かに流れていた風が止み、亀がぽちゃんと池に逃げる音だけが聞こえた。
「あぁ、陽子。どした?」
取り繕った声と自信のない表情だった。陽子はそれを見透かしていたように思う。
「ださいで。あたしがいっちゃん嫌いなやつやわ」
陽子はそれだけ言った。
俺と陽子は釣り合っていた。そう思っていたが、いつからか天秤は陽子の方へ傾いていたように思う。勉強もスポーツもできるが、陽子には正義があった。子供の頃の俺は正義を持ち合わせていなかった。やっと気がついた。初めて、悪いことをしたのだと分かった。
陽子が何を言わんかはすぐ理解できた。石川たちの様子がおかしかったのも、おそらく陽子が気付いて問い詰めたのだろう。俺は黙って下を向くしかなかった。
「ださい。ただ、そんだけ。優芽たちよりよっぽどださい。雄吾はそんなやつじゃないと思っとったのに」
陽子はそれだけ告げて、涙を溜めながら踵を返し中庭を出ていった。最後に雄吾と呼んでくれたことが、深く胸に突き刺さった。