プロローグ
給水塔は六丁目の高台の上にある。
この町で一番海抜の低い二丁目から向かうと、給水塔までは小さな山登りと言っていい。
夕暮れと夜の間に差し掛かった空は、茜色と紫色の二層に別れている。名残惜しそうな茜色が、徐々に上空から迫る紫色に押し込められていく。
あたしは吐く息を白いわたあめに見立てて、それを大きな口でほおばった。大きなわたあめがふわりと砕ける。そこらに無味の小さなわたあめが散らばっていく。あたしはぶんぶんと腕を振って、小さなわたあめたちを宙に溶かした。
もう給水塔が随分大きく見えてきた。逆円錐形の給水塔はベージュ色で、普段は太陽の光を反射させて明るく見える。こうして闇を背負うと、ものものしい要塞のように見え、昼の姿より大きく見える。
給水塔の最上段に、ぽつんと小さな人影を見つけた。あたしは給水塔に続く最後の急勾配を息を切らせて駆け昇った。
「楓ちゃん」
あたしは給水塔の螺旋階段を昇りきらないうちに、そう呼んだ。
楓ちゃんは、ぽつんと給水塔のへりに足を投げ出していた。声に気づいてこちらへ顔を向ける。暗いけれど、楓ちゃんが笑っているのが分かった。ゆっくりと風が吹いて、楓ちゃんの肩にかかった髪がなびく。
「陽たん!」
楓ちゃんの声が夕闇の空に昇っていった。あたしは手を振って駆け寄り、すちゃりと隣に腰かける。楓ちゃんは顔をくしゃりとして、笑った。
給水塔のへりに腰かけると、織笠町の全景を臨むことができる。町の半分ほどに、明かりが灯り始めている。明かりと明かりの間は離れている。小さな町だ。あたしたちはこの小さな町で生きていた。
あたしと楓ちゃん。この星の織笠町という小さな町で生まれ育った小さな命。給水塔のへりに同じ長さで投げ出した足。この足が全く違う道を歩んでいくなんて、あの頃は想像していなかった。
「星、見えてきた」
うっすら、ほのかに、紫色の空に星が浮かんでいる。
「ん、まだ五個くらいやんね」
風が薫る。静かで、さらさらと葉が揺れる音が鳴っている。虫たちの声は聞こえない。虫たちも夜空に浮かび始めた星に見入っているのだろうか。遠くでワンと吠える犬の鳴き声が聞こえる。何かをねだるような鳴き声だ。こっちに昇って、もっと近くで星を見たいのかもしれない。
隣の楓ちゃんに顔を向けると、楓ちゃんはワクワクしたような顔を空に向けていた。
「あ、いや、もう十個くらい見えとるね」
給水塔に来ると、楓ちゃんは学校では見られない笑顔を浮かべていた。あの頃、小学校五年生のあたしは何で楓ちゃんが学校で笑わないのか、よく知ろうともしていなかった。あたしは楓ちゃんの周りで何が起こっているのか、よく分かっていなかったんだ。
「まだ暗くないけど、綺麗やねえ」
うっすらとした星を見ながら、楓ちゃんは嬉々とした表情を浮かべている。楓ちゃんは星が好きだった。幼い頃からずっとだ。星だけじゃない。楓ちゃんは生きるもの全てを愛していた。
だから、あたしは星を見ると今も思い出すんだ。楓ちゃんのことを。