第二話
俺の転属が決まったのは年暮れの大晦日前夜だった。
それは、何処の戦地かも書かれぬままに届いた、機械化歩兵部隊指揮官への内定書だ。
シベリア方面第三師団の仲間からはやれ「栄転だ」やれ「飯を奢れ」だのと言われ、かと思えば「左遷だ」「飯を奢ってやる」とも言われた。飯を奢る、或いは奢られる約束が無数に取り付けられた上に、年の瀬から新年と目出度い空気感や勢いに押されて連日連夜、それこそ出立間際まで毎晩街に繰り出し酒で夜を明かす羽目になった。
おかげで、正直余り良い記憶では無い。
軍学校時代の同期からも電報が届けば「おめでとう、ハーレム連隊だ」「彼女を斡旋してくれ」「夜の土産話を期待する」とくだらない内容から「呪ってやる」などという祝福のメッセージが届き、読んでは片っ端から捨てていく。
(ただ、一つ気掛かりなメッセージがあったな……あぁ、駄目だ。完全に酔いが醒めないうちに読んだからどんな内容か忘れちまったな。だが、あれは確か退役した先輩の……まぁ、そのうち思い出すか……)
俺は楽しくはないが、それなりに平和的な停滞と思いの外趣味の時間に興じられたシベリア戦線での日々を思い出しながらグラスに注いだビールを飲み干した。
そして、何故かまた満ち満ちと瓶から注がれる。
「ちょ、ちょっと無視しないで欲しいっす! です! 最初っから上司に嫌われてパワハラとかほんと勘弁なんですよ! コーヒー噴かせてしまったのは誤りますから、機嫌直してほしいっす! です!」
「はぁぁ……ほれ、ビール代だ」
俺はポケットからくしゃりと握りあげた一枚の札を手渡した。
しかし、女は……加々爪は身を縮こまらせて遠慮する様子を見せる。
「い、いやいいっす、ですよ。謝罪なので……」
加々爪は僅かに震えていた。
それもそうか、これから本格的に戦地に配属になる。軍と言っても配属地域や部隊によっては何が何でも危険と隣り合わせという事は無い。
だが、機械化歩兵部隊は違う。
機械化歩兵というのは重火器等を装備するだとか、戦車部隊に随行できる部隊と言った意味合いは既に薄れた。前者は重装歩兵、後者は随伴歩兵とそれぞれ改められた。
現代における機械化歩兵は何を指すか。それは、人類がその英知と粋と技術と資源、他のあらゆるものを心血と共に注ぎ込んで作り上げた新兵器。人類反攻の要であるパワードスーツ『ヴァルキリーアーマ』を装着して戦う部隊を指すようになったのだ。
彼女はそれを装着し、全軍全兵士の最前に立って『蟲』の脅威と戦うことになるのだろう。新兵であることを差し引いても生理現象を催す程度には恐怖があっておかしくない。
そんな中で味方、或いは自分を指揮する上司に気に入られないというのは、相当な不安と恐怖をもたらすであろうこと想像に難くない。
俺は若干の怯えを見せている少女を見て、流石に大人気無いかと苛立ちを納めて小さな溜息を吐く。
「違う、部下に酒を奢ってもらったなんて話が出来てはかっこもつかないだろうが。怒ってないから安心して受け取れ。むしろ、言いなれない言葉を無理して直してる方がウザイから素で話してろ。俺はお偉方ほど頭は固くないつもりだ」
「あ、ありがとうございます。あと、その、これおつりが……」
「一度受け取った金を突き返すな。余ったんなら飴かジュースでも買ってくればいいだろうが」
しばらく加々爪はポカンと阿呆のように口を開け、ぼぅっとしていた。
そして、ようやく言葉を理解すると札の額面から瓶ビール代を差し引いていくら残余金が出るか数えはじめた。
それが思いの外余ると解ると顔を上げ、今度は目を輝かせて笑った。
「ふふ、両方買えちゃいますよ。ありがとうございます! 思いっきり頭の固い人だと思ってたっす。案外、手先は冷たくても心は……って感じなんすね。上官が優しい人でよかったっす。美百合と気軽に呼んで御用を置命じ下さいませ」
「頭が固いと思ってたってオイ……はぁ、優しい訳じゃないんだが、まぁ勝手にすりゃいい」
「どもっす!」
「かっるいなぁー」
(さて、どうしたもんかな……コレは)
そうして俺は視線を落し、すっかり染みの出来た軍服に頭を抱え、ギリギリの移動スケジュールの何処で洗濯すればいいものだろうかと悩むこととなる。