第一話 シベリア戦線からの転属
「……で、第三次世界大戦で二十五億人、蟲とのファーストコンタクトで二十億、蟲への反撃攻勢と現状の継続戦闘で十億の命が失われたとされてる」
「へぇー、お兄さんめっちゃ詳しいっすね!」
「おいおい……軍学校でなくとも習う義務教育じゃなかったか……? これは」
「軍学校でなくとも……ってことは、お兄さんは軍人さんなんですね!」
戦地から日本への久々の帰国も束の間のこと、俺は実家へ顔を出す余暇さえ与えられぬまま、別の戦地へと送り出される汽車道中で頭の軽そうな女と同じ客室が宛がわれたことで質問攻めに遭っていた。
騒々しいのが好みじゃない身としては、東京の雑踏や鳴り響くクラクション、離れるにも電車の耳障りな金きり音にモーターの回転。どうにも都会の喧騒は馴染まない。
(しばらくは静かな汽車の旅が楽しめると思ったんだがな……)
「軍人さん軍人さん! 今まではどんな戦地に居たんですか? 蟲ってどんぐらいでかいんすか? やっぱ最前線はヤバいんすか? もっとお話が聞きたいっす!」
「クソうぜぇ……あぁ、シベリア戦線へ戻りたい……大陸戦線は騒々しいんだろうな……しかも、辞令がコレジャな……」
辞令書を取り出して一瞥した後、眼前の頭が空の割りにマラカスのように騒々しい眼前の女に視線を戻す。
一つ叩けば二も三も音のなる人間ってのは好きじゃない。まして、年端の女と来れば専らよく喋るもので、俺がこれから送られる部隊はそういった少女達が主力となって戦う機械化歩兵大隊だと言う。
「勘弁してくれよ……」
「軍人さん! 軍人さんはシベリアって、あの北海道よりも北のめっちゃ寒いって噂の所行ってたんですか? 濡らしたタオル何回回せば凍りますか? 熱湯放り投げると雪になるんすよね? バナナで釘打ってみたいっす!」
目の前の女はガキみたく無邪気に目を輝かせ、家猫か何かのように人懐っこく、耳が生えてりゃピコピコと、尻尾が生えてりゃフルフルと振り回しているのであろう様が目に良く浮かぶ。
幻視できるところまで行くと可愛げも無いでは無いが、鬱陶しい事に変わりも無い。
俺は微かに潤む目元を拭って適当にあしらう様に答えた。
「あぁ~……うるせぇ、うるせぇなぁ。俺は傷心中なんだよぉ、静かにしてくれよ……」
「ん~? お兄さん、東京で振られちゃったとかですか?」
「あぁーそうだよ。みくるちゃん、あんなに通い詰めて高いお酒注文したのに……欲しがってたバックも買ってあげたじゃんよ……」
「あちゃ~……大丈夫です? 私のおっぱい見せましょうか? 揉みます?」
「ブハッ」
俺は思わずコーヒーを噴き出した。
眼前の女、頭が軽くて五月蠅いだけでなく、大切なネジまで何処かへ落してきたらしい。ポンコツここに極まれり、最近の若い奴はと言いたくないが、本当に大丈夫か? 若い奴らは。
「売女か! お前は!」
ちょっとツッコミにしては口の悪さが過ぎたかと少し反省する。
しかし女は、驚きと混ざる罵声をものともする様子を見せず俺ににじり寄る。
「ありゃ、大変です、ハンカチ有ります?」
「そりゃあるが……ほら」
「お拭きしましょう」
女は床に両膝を突いて俺の股の間に挟まる形で座り、俺のハンカチを手に取ろうとする。
すかさず俺は手に開いて見せたハンカチを持ち上げた。
「結構だ」
「何でですか? 拭いた方がいいですよ?」
「それは重々解ってる。だが、それは自分ですればいい事だ」
「ちぇー、淑女アピールのチャンスだと思ったんすけど」
俺はハンカチを握り締めた拳に自然と力が入るのを堪え、拳が振り下ろされない様左手で抑えつけていた。
「淑女なら股の間に挟まりながら俺の股間部をまじまじと瞬きもせずに見つめるような事はしないだろうな」
「おや、こりゃ失敬っす」
「ふざけてるのか? というか、この場面で気づかうつもりなら自分のハンカチを取り出して拭くだろ、普通」
「あんまり持ち歩かないんで忘れたっす」
黙って無視したいのだが、気づけば女のペースに巻き込まれて喋っていた。
俺は溜息を吐き、呉までの道中もう暫し女に付き合う事とした。諦めである。
俺はみくるちゃんを思い出し、そして振られた辛さをグッと堪えつつ、頬杖をついて車窓から長閑な田園風景を眺めた。
(最新の服や化粧道具とか散々買ったのになぁ……)
煙草ケースを開けると中身が無い。補充を忘れたらしい。
「しかも、新天地の辞令で気を持ちなおそうとしたらな、お前みたいな年端の行くか行かないか解らん小娘たちの御守りをさせられると来たもんだ。本当に今年はついてない。本厄年は過ぎた筈なんだがなぁ」
「あれ、もしかして軍人さんってもしかして、第八師団の○四六部隊の人っすか?」
「……ん? なぜわかる。いかにも俺は第八師団○四六連隊、新任の連隊長、神道龍彦少佐だ。まぁ、着任と同時に中佐になる予定だが……そういえば、お前、東京に居たことも知ってたな? 聞かせて貰おうか」
俺は表情を変えず、目元だけを僅かに開きながらゆっくりの胸元の拳銃に手を添えた。
このご時世、蟲の脅威が比較的薄い地域だと稀に木っ端軍人が襲われることもある。或いは、俺個人に恨みを持つ人物か、はたまた軍内部の政治争いにいつの間にやら巻き込まれたか……。
かつて首を殺り合っていた人類は、新たな脅威の出現で手を取り合って久しいが、それでも隣人を足蹴にしないとも限らない所に人の闇深さは変わりがない。
「しっ、失礼しましたっす! すじゃない、失礼致しますた! わ、私は埼玉第四兵学校を今年卒業し、第八師団○四六混成連隊、機械化歩兵大隊配属となりました、加々爪美百合伍長です! 今後とも末永く宜しくお願い致します!!」
「冗談じゃねぇぞ……」
俺は思わず座席にもたれ掛って天井を仰ぎ、目を覆うのだった。