プロローグ
21XX年初頭、人類は遍く天地の果ての果て、隅の隅、地球が四角ければその角にまで詰め込まれるであろう程に増殖して蔓延る数字上での最盛期。
それは、ある日当然はじけて消えた。
人々は、いや、社会が。いや、経済が。いや、政治が。いや或いは、人類そのものが。
限界だったのだ。
20世紀、誰もが名を知る人物にビル・ゲイツとピーター・ドラッガーが居た。
そして、影響力のあるビジネスリーダーとしてその両人の次に名の上がる人物でアルビン・トフラーという男が居る。
「世界で最も有名な未来学者」として20世紀後半に名を馳せたアルビン・トフラーの1980年の著書『第三の波』で語られた「第三の波」つまりは第一の「農業革命」、第二の「産業革命」に続く「情報革命」詰まる所の情報化社会を迎え、そして二十二世紀の門がその顔を覗かせた頃、ついにダニエル・ピンクが語った「第四の波」が訪れた。
第三の波の中で既にグローバル化が進展し、国境や物理距離で隔てられた溝は埋まり、各国の中産階級者は喜色を浮かべ、或いは悲鳴を上げた。「M字社会」への移行が起きたのだ。
途上国など賃金が安い国でできる仕事は途上国へ流れ、ITや機械が仕事を代替し、反復性ある仕事はアウトソーシングされた。
一方で中産階級に燻った、或いは上流に居ながらもさらに上を目指せる人材はさらに進んだ国に引き上げられていく。
そうして中流が極端に減って上流と下流に別れたM字社会。人々は幸福や自由を求めて効率化しているはずが、一部の人間に使いきれないほど集まる有り余る富は人類全体の効率化、つまりは自由や幸福に結び付かずにいた。
いや、専門的でまどろっこしい言葉は読んでいて苦痛だ。語る人物の「俺は頭がいいんだぞ!」と物知り顔のにやけ面が浮く事だろう。
少し噛み砕けばこういう事だ。
まず始め、農業革命。太古の昔、人間は猿であった。狩猟採集文化から農耕文化へ緩やかに移行し、生活様式は一変して人類は安定して人を増やすようになった。
次に、産業革命。誰もが知るイギリスの「アレ」だ。今更語るまい、蒸気機関によって工業が発展し、あらゆるものが機械化して生活様式どころか社会を一変させ、爆発的な人口増加が始まった。
そして、情報革命。世界は音声や映像で距離の概念を薄め、かつて想像しえないような仮想空間を生み出し、スーパーコンピューターがあらゆる情報を処理する。個人や企業、政府を始めあらゆるものが情報を持ち、情報に触れ、否応無く情報と共に生きる事が押しつけられた社会となった
農業革命により、人々は狩猟したものを平等に分け合う原始共産主義、並列な社会から初めて農業を指導するものとされるものという、差が生まれ、上下という認識が発生した。
産業革命により人は搾取するものとされるものが明確に解れるようになり始め、貧富の差は広がった。
情報革命により、情報の量、或いは使い方一つで伸し上がれる時代にもなる一方、富も情報も集中し、格差は致命的なものとなっていく。
そして「第四の波」で格差は限界を超え、世界は破綻を迎える。
そうして、人々は不満を募らせ続けた。それでも一世紀、耐え続けたのだ。称賛こそあるべきなのかもしれない。
富者と貧者、企業と個人、資本主義と共産主義、民主主義と社会主義、中央政府と地方政府、北半球と南半球、宗教、肌の色、そして果ては男女という性の違い。
ありとあらゆる対立軸を思いつく限り絞りつくして一つの鍋で煮詰めた様な、そんな混沌とした最悪の時代。人類は憎み合い、いがみ合った。
世界全体が火薬庫どころか火薬そのものとなった時、些細な摩擦は火花となり、世界を焼き尽くす。大惨事、いや第三次世界大戦である。
そして人類はその人口の二割を失い、世界が荒廃した時、さらなる悪夢を見る。
戦争利用を目的に開発された生物兵器『蟲』の暴走である。
しかし、数奇な事に人類は久方ぶりの平和を手にした。それは安寧でも安定でもなかったが、全人類共同の敵の出現により皮肉にも人類は一丸となって協力し始めたのである。
こうして、人類同士は手を取り合い相争う事を止め、新たな脅威である『蟲』の駆除という、新たなる戦いに足を向けるのであった。