母は毒親かもしれない。
母親に言われたことをよく思い出してしまう。
もうなるべく考えない方がいい、と思って2ヶ月くらい連絡を拒否しているのに、存在が遠のいたにも関わらず考えてしまう。ひとつひとつ、思い出しては自分は悪くない、母親も人間 悪くない、と思って許していくしかないのか。
中学生の頃、洗顔の時に石鹸を使うようになってから、朝と夜よくよく泡を立てて洗っていると
「そんなにゴシゴシ洗ってたら将来シワだらけになるわよ」
と言われたことを思い出した。
それから、お風呂あがりにいい香りのするボディクリームを塗っていたら
「臭いからこっちに来ないで」
と言われたり、高校生になってヘアスプレーやボディミスト、金額的にはチープな香水をわたしは、「お守り」とか「朝のスイッチを入れる行為」のような感情で使うようになると母は、わたしが学校で男子にモテたくて香りを身につけているというような言い方で
「そんなの付けても男は寄ってこない」とか
「そんなの付けても寄ってくるのは軽い男」とか
「人は見た目じゃなくて中身、まずあなたは中身をなんとかしなさい」とか
言われていた。
くせ毛がコンプレックスで毎朝念入りにアイロンをしていたときも部屋をのぞいては「ずっと鏡見てるね、そんなにしてモテたいの?」などと言ってきた。
わたしは、友達がモテていて「モテるのも正直面倒くさそうだな」なんて思っていた10代だったから、「見た目を意識したら男にチヤホヤされる」という意識というか事実を知らなかったし考えたこともなかった。純粋な女子高生だった。
通っていた高校の雰囲気的にも、クラスみんな分け隔てなくて仲が良かったし、わたしは面倒くさい人間関係に顔を突っ込むこともなかったから平和だった。ある意味とても狭い世界で保守的な感じで過ごしてた。
母親の発言が理解できるほどモテを考えたこともモテようとしたこともなかったしそもそもの経験が足りない、高校生にしては子どもだったのかもしれないし、母親が思っているよりわたしはさっぱりとしたタイプの人間だったのかな。
しかし、その後も自分を貫けばよかったのに徐々に化粧や香水で自分の見た目を飾ることや、モテを意識したような服装は、見た目から男を狙った悪い行いなんだと、自然と思うようになってしまったような気がする。
今のわたしは化粧っけがないし、出来るだけ何もしないで美人でいたいとか思ってしまう。
「美容は自尊心の筋トレ」という本、まだ読めていないけれど、このタイトルのワンフレーズだけでもパワーワードだなと思う。
自分が美容と離れているのは自尊心の欠如なのかも?と思った。
美容やファッションになんの突っかかりもなく純粋に楽しめている人たちは、自分に自信があって、自分がそれを身につけることに身の引け目を感じているような様子がなく、むしろ自分がそれを身につけるに相応しい、それ相当の価値がある人間だと思っているように、わたしの目には写っている。
先日、岩田屋でCHANELの化粧品を買ったけれど、「自分にCHANELなんて贅沢すぎる」「10年早いんじゃないか」「もったいない」「わたしなんかがCHANEL?!」なんて考えがほんの少し、やっぱり、生まれてしまった。
でももうこれからはなるべく、好きな化粧品を買ったり好きなアクセサリーを付けても、それらは全て自分のテンションを上げたり、エネルギーとして使うためだと思いたいし、身につける前に自分にはもったいないと思わないで、それを付けることで、それ相当の人間になれるのだと思いたい。
自分のために自分を飾ることは悪いことじゃないと言い聞かせたい。
いつの日かのメモ。
長田杏奈さんの「美容は自尊心の筋トレ」
読んでみたいです。