雷獣 4
冬場の雷は夏場の雷よりも恐ろしいと言われているがそれは火事、予兆がないこともそうだが他にも理由がある。
冬季雷の特徴は、夏期の雷が雲から地面に向かって下向き放電するのに対し、地面から雲に向かって上向きに放電することだ。
そして何よりも恐ろしいのは、落雷数は夏の雷よりも少ないものの、そのメカニズムにより夏期の雷よりも遙かに高いエネルギーを持っている。
そのエネルギーは驚くことに夏場の落雷の数百倍とも言われている。
そしてそのエネルギーは南条の身に纏う鎧を、そして南条自身も貫いた。
「がはぁっ!」
通常の雷ですら人を容易く殺す威力を持つ、それを数百倍の威力で身体を貫いたのだ。
例え純水の鎧で身体を防御していたとしても防げるものではない。
『南条!』
「……わ、かっ、ている!」
しかし、震えながらも手を掲げて周囲の雲を消していく。
目がチカチカして頭がふらふらするがやるべき事は分っている。
「よくもやってくれたな」
この雲を支配している雷獣が抵抗しているのが分るがそもそも力では此方の方が上なのだ。
妖獣程度に神が支配権の奪い合いで負けるわけがない。
『命ずる。雷雲よ、消え失せろ!!』
八郎太郎がそう命じた。その瞬間、猛烈な勢いで雷雲が目の前から消えていく。
命じておいて風を伴わない動きに強い違和感を感じてしまう。
「いや、……これは消えていない!」
霧散したはずの雲が急速に動き始めていた。
消し飛ばすように命じた雲が形を取り戻し散り散りになる前に無理やり集められてしまっている。
空を覆っていた厚い雲が一点に集中していくのが見える。雷雲が、いや。それを再現した雷獣の力が集まり巨大な白い繭のような雲を形成した。
それは、見る見る巨大になっていき、周りの雲を吸い取っていく。
「そんな、明らかなパワーアップを見逃すほど惚けちゃいないぞ」
空に上がっていく為に使っていた水の大半を込めて目の前の雲の繭に向ける。
それは最初に撃った物にも劣らぬ一撃、恐らく既存の建造物であればほぼ破壊可能の超砲撃、それが雲の繭に叩き込まれた。
「直撃だ!」
『いや、これは……』
繭は不動のまま膨大な水流を受け続けている。
それも先程よりも加速度的に威圧感を増しながら。
「なっ! あの雲は水を吸収している!?」
『それだけではないぞ南条! アレは変成しようとしている』
「変成!?」
『ああ、ヘタをすれば妖獣の枠を超える化け物になる』
その直後爆発的な勢いで膨れあがる繭。
それらが押し出すように風をまき散らす。
「なっ! ギッ!」
『耐えろ、ただの突風だ』
目も開けられず手で顔を庇っているうちに風の音が消えた。
目を開けると空に残されたのは、南条と、雷雲を運んできた張本人が入っているであろう先程よりも巨大になった雲の繭だけだった。
その繭の中から雷光が漏れて割れていく。そしてそれは姿を見せた。
「うっ……」
南条は先程の雷撃のダメージも忘れて思わず、声を漏らした。
それは恐怖ではなく、嫌悪感の余りに出た声だ。
南条と同じ高度にいたそれは、奇妙な生き物としか呼べない物だった。
例えるならば巨大な蜘蛛と言った所か、表面を鱗と毛に覆われ、四肢はカニのようなハサミ状のそれだ。
此方を複眼で見据える目には先程の様なハムスターのかわいさなど破片もない。
その気味の悪さに南条はたまらず叫んだ。
「気持ち悪ー!!」
※※※※※※※
『面如蟹額有旋毛有四足如鳥翼鱗生有釣爪如鉄』
これは広島県の西部に現れた雷獣の解説文として乗っている物だ。
説明としてはカニまたはクモを思わせ、体の表面は鱗状のもので覆われ、その先端は大きなハサミ状であるというものである。
この雷獣は弘化時代の『奇怪集』に載っているものであり、今までの獣然とした雷獣観とは一線を画す存在だ。
とは言え。
「キモい、キショい、気色悪い、気持ち悪い!」
『確かに甚だ嫌悪感を感じる見た目ではあるな』
「何じゃありゃー!!」
『雷獣だろう』
「獣要素がゼロじゃねぇか! 百歩譲って雷虫だよ雷蟹だよ、節足動物だよ!」
『ライチュ○?』
「巫山戯んな! あんなもんがポケットでGOにいたらSAN値チェック判定が連発するわ!」
目の前の雷獣は此方を警戒しているのかしていないのか此方を見ているだけだ。
とは言え、今更戦いを止めるわけにも行かない。
「とっとクタバレSAN値直葬生物」
先程の巻き戻しのように水弾を放つ南条。
その純粋に強大な破壊力を秘めたその一撃は
パシィ
壁に水風船を叩き付けた、そんな音を立てて水弾は弾かれた。
そして雷獣には当たり前の様に傷ひとつない。
「……ウソだろ、おい」
『先程も一撃を防がれたのを忘れたか! それよりも呆けている場合か!』
その一撃が再戦の一撃になったのだろう、姿を変えた雷獣は此方に身体を傾けている。
それはまるで陸上競技のクラウチングスタートのようで明らかに移動の予備動作のように見えた。
雷獣を注意深く警戒しながら水で壁を作り出す。
そんな中突如雷獣が消えた。
「ガハッ!」
それを避けられたのは運が良かっただけだろう。
ただの体当たり、それだけで盾にしていた水の壁は障子紙のように破壊された。
雷速という本来捉えることが出来ない速度、反射的に身体を投げ出した。
辛うじて避けられたものの触れてすらいないというのに衝撃だけで吹き飛ばされる。
避けられたのも予備動作から動きが予測できたからという、それだけの理由だ。
逆に言えば動きを予測していながら完璧に避けることすら出来なかったと言う事。
「なら今度は全力だ! 水牢!」
まだ攻撃の手段はある、とは言え前のハムスター状態の時を考えれば避けられる事は必定、故に水で牢を作り出し足止めする。
相手を囲い、攻撃を当てる。
作戦とすら言えないような物だが、水牢の厚さは先程破られた水壁の数倍以上。
そして固めて壁にした先程と違い密度を高め水飴のように性質を変えた水牢の破壊は容易くはない。
幸い雷獣は此方を舐めているのか周囲を水で囲まれているというのに一向に動きを見せない。
「調子に乗りやがって、たたっ切ってやる」
放つのは前の姿の時に避けられたウォーターカッター。
同じ神の力を使って作った物だからか、水牢の壁を何の抵抗もなく切り裂くそれは雷獣に直撃した。
当たりさえすればビルすら抵抗もなく切り裂く一撃。
しかし、
「クソッタレ! 天丼は嫌われるぞ」
雷獣は当たり前の様佇んでいた。
先程と違いダメージ自体は刻まれている、しかし額を薄く削っている程度の微々たる物だ。
圧倒的なまでに火力が足りない。
「このッ!」
故に狙うのは殻に守られた部分ではなく構造的に脆いはずの関節部分。
殻がどれ程の強度を誇っていようとも、関節は動きを阻害しないために柔らかさが求められる。
それが化外の生物にも適応されるのかは不明瞭だったが、放たれた水の刃は雷獣の足を切り飛ばした。
初弾を除けば漸く当てることが出来た有効打、たたみかけるように放たれる攻撃は雷獣の手足を次々と切り飛ばしていく。
雷獣としても水牢を破壊しようと残る手足を振り回すが、形を持たず粘性の性質を持たされた水牢を破壊することは出来ず藻掻くばかりだ。
そして雷獣は、蟹のようにハサミの付いている足以外の全ての手足をもがれた。
とは言え南条にしてみれば手足をもぎ、水の牢で動きを阻害した所で油断など出来るわけがない。
ここまでして純粋な破壊力、防御力では相手に軍配が上がるのだ。
1度でも判断を間違えれば死ぬのは南条の方だ。
まして相手は化け物、どんな隠し球を持っているのか分った物ではない。
「多少なりとも効くんなら死ぬまで叩き込むだけだ」
延々と放たれ続ける水の刃、それは身動きの取れない雷獣を正面から切断せんと出力を高め続ける。
攻撃を受ける雷獣は恐らく自らの体で一番堅牢なハサミで己を守っている。
だがそれも時間の問題だろう、ハサミが攻撃に耐えられず崩壊していっている。
このまま行けば雷獣を倒すことが出来る。
そんな気の緩みが隙を作ったのか南条は雷獣の挙動を見落とした。
ギチギチッ!
そんな硬質な物同士が擦り合わさる不快な音が響く。
雷獣の蜘蛛を思わせる口が大きく開かれ、その口から膨大な雷光が迸り吐き出される。
南条の出す水流と雷獣の吐き出す雷光がぶつかり合う。
大量の水流と極大の雷光がぶつかり合った結果、大規模な水蒸気爆発を起こした。
「おいおいおい、さっきから爆発しすぎだろ。はた迷惑すぎるだろこの戦闘」
『貴様がさっさと勝負を付ければ済む話だろうが』
爆風によって距離を取った南条、雷獣を見ると、至近距離の水蒸気爆発に巻き込まれたのだろう。
先程以上にボロボロの姿でハサミすら失っていた。
最早放っておいても死ぬだろうとしか思えない姿だ。
そう思い、南条がとどめを刺そうとすると水蒸気の煙が形を持って集まって行くのが見えた。
その水煙がボロボロの雷獣に吸収されていく。
「巫山戯んなよ、クソッタレが!」
『ほう』
そこにいたのは先程までのボロボロの体がウソのような雷獣だった。
切り飛ばしたはずの手足すらもが復活している。
雷獣はここに来て完全に復活していた。
先程の爆発で蒸発し飛散した水分はここが超上空故に急速に冷やされて雲になった。
そして雲は雷を生む。言ってみれば雲とは雷獣の餌であり体そのもの、その雲を吸収して体の欠損を埋めたのだ。
南条としてはたまった物ではない。
南条にしてみれば先程死にかねないほどの高火力の雷撃を受けているのだ。
これ以上の戦闘は危険だというのに、雷獣はほぼ半死半生の状態からあっさりと回復したのだ。
このままじりじりと戦闘が長引けば敗北する可能性が高くなる。
「おい、八。使うぞ」
『仕方あるまい、我としては貴様にもう少し経験を積んで貰いたかったんだがな』
「調子こいて逃げられたなんてことになったら俺が美御子さんに殺されるんだよ!」
『分った分った。さっさと決めるぞ』
相手は手強い、少なくとも今までのように水を飛ばすだけでは倒せない程に。
故に練習はお仕舞いだ。
手札を切ることを決めた。
実践形式の修行はお仕舞いだ。
本気で狩る。
『「本気で行くぞ」』