雷獣 3
水の柱を受けた雲は当たり前の様に不動。規模にしてみれば当たり前で、どれほどの水量だとしても雲を揺るがすほどの物では無い。
しかし、それを操っていた存在は海に落ちた。
落ちたものの名は雷獣。
全国的に知名度の高い雷の化身と呼ばれる妖怪・妖獣だ。
浦島太郎に語られる海底に存在する理想郷『竜宮城』や、山を黄泉の入り口として死後の世界と見ていたのと同じように、かつて落雷に対する知識の無かった当時の人々にとって空とは異界だった。
空の上は神や魑魅魍魎の住まう場所であり、それらが落雷を引き起こすと考えらた。雷獣の伝承は典型的なその例と呼べる。
落雷を、空に住まう獣が地に落ちて行く故に起る現象だと当時の人々は思った。
その思想、それによって生まれた妖怪が雷獣なのだ。
そういう意味では地に落とした事で雷から獣に変成させた事は、雷という自然現象から獣という生物に堕とす神話的プロセスに乗っ取っていると言える。
故に目の前の地に落ちた獣は間違いなく雷獣なのだろう。
「ハムスターだよ! どう見てもハムスターだよ」
そして目の前にはその雷獣が身体を丸めながら頬を膨らませて此方を睨み付けている。
とても可愛い姿だ。
「畜生! 可愛いな!」
本来雷獣は狐とも狸ともハクビシンの姿とも言われている。
基本的には獣の姿であり、それは雷鳴が獣の恐ろしい鳴き声に聞こえ、空を駆ける雷が獣が駆けている様に見えたからだろう。
しかし、ハムスターの雷獣など聞いたことも無い。
そもそもハムスターは鳴くのだろうか。駆けるのだろうか?
「あれ倒すの!? マジで! ハムスターなのに!?」
『喧しい! ハムスターだろうが狸だろうが変わらぬわ!』
しかし、雷獣自身はそんな事は知らぬと言わんばかりに殺意と力を貯めていく。
そしてその殺意に呼応するように上空から雷獣に向けて雷が落ちてくる。
「なッ!」
『おい、早くせねばまた雲の上に昇るぞ。さっさと叩きのめせ』
体中の毛が逆立ち、黄金色に変化していく。
まるで体中が雷と同化しているかのように身体が歪んでいく。
「ピカ○ュウ!?」
『巫山戯ている場合か!』
そう言いながらも先程のように水球を作り出し、雷獣に向けて水流を放つ。
それも先程とは違い穴では無く、線の切れ込みで。
それがどう言う意味なのかというと……。
「ウォーターカッターだ、ぶった切れ!」
放たれたのは水の刃、しかしただの水と侮るなかれ。
ウォータージェットとも呼ばれ実際に現代社会で使用されている物ですらも鉄製品を容易く切断可能なのだ。
まして神の力によって再現されたそれはダイヤモンドであろうと容易く切断可能だ。
音速を容易く超えるその攻撃を目の前の雷獣は自身そのものが雷であるかのように角度の付いた動きで躱す。
「いや、そもそも雷の化身か」
雷そのものと言ってもいい存在、この雷獣をどう倒した物か悩む。
相手は雷速、とてもでは無いが捕らえられる物では無い。
「速さじゃ追いつけないな、当たり前だが」
此方が悩んでいる内に相手は更にエネルギーを貯め込んでいるのか、身体が膨張していく。
只でさえ丸いその姿が楕円形からまん丸に変化していく。
その姿に愛らしさよりも不安を感じる。
「ええいままよ」
取りあえず周囲の水で全てを覆う膜を作り出して目の前の雷獣を囲う。
水の膜とはいえ龍神の権能で創られたその強度は鉄すら凌駕する隙間の無い檻だ。
しかし、その水牢はアッサリと内側から破られた。
本来雷には熱量はともかく質量が無いので破壊力は余りないのだが恐らく雷獣そのものの質量なり魔力なりがそれなりに影響しているのだろう。
「知ってたぞ、ファンタジーめ」
『即興では足止めにもならんか、只の雑魚かと思えばなかなかの敵では無いか』
「なんで嬉しそうなんだよ!」
『雑魚よりも強敵の方が貴様も成長するであろう、ほら此方に来たぞ』
思わぬ強敵に喜ぶ八郎太郎の反応に辟易するが敵を前にそれは隙になった。
先程攻撃を躱したときのように身体を雷に変えて此方に向かってくる雷獣。
とっさに水の壁を作り、盾にする。
しかし先程よりも密度を上げたとは言え同じく即興の水の盾、雷獣の体当たりで破壊されこそしなかったものの衝撃を殺しきれずに吹き飛ばされる。
港のコンクリートに叩き付けられるが痛みに呻く暇も無いので反動で一気に起き上がる。
「クソッタレ! ハムスターのくせになんて威力だ」
『おい、南条。雷獣が再び空に戻るつもりだぞ』
「また落としてやる」
『いや、さっきと違い相手は此方を見ているんだ、難しいぞ』
先程の攻撃が通じたのは奇襲だったからと言う意味なのだろう。
であれば空の上に行く前に即効で倒す必要がある。
「なら全方位で潰してやる」
まるで沸騰しているかのように沸き立つ海面から海水が雷獣を取り囲むような形を取る。
先程の水牢の数十倍の水量で雷獣を覆う更に大きな水牢となる。
もはや兵器を持ってせねば崩せないほどの強固な檻となったそれは対象を完全に閉じ込める前に自壊した。
正確には南条が制御をやめたのだ。
「くそ、遅かったか」
『全力の水牢故に僅かにタイムラグが出たな。相手は雷だ、僅かな隙間であろうとも関係ないのだろう』
水牢から抜け出た雷獣は天に昇った。
雲に入り再び雷そのものとして活動するのだろう、雷も先程までのように激しく雷鳴を轟かせていた。
恐らく此方の手の届かない様に雷速で動き回りながら攻撃するつもりだろう。
少なくとも此方はそうされたらどうしようも無い。
「手詰まりだな、空を飛べればまだチャンスがあるんだが」
『ならば空を飛べ南条、戦場では迷わず行くのだ』
「どうやって!? 俺人間なんだけど」
『人間だからであろう、テレビでやっていたでは無いか。人気のあくてぃびてぃであろう? 幸い水ならいくらでもあるしな』
「は?」
※※※※※※※
雷獣は空に、雲の中にいる。
ならば高速で雲の中を移動する雷獣を仕留めるには最低限同じ土俵にいなくてはならない。
故に南条は空を飛行していた。
とは言え何かしら、ヘリなどを使っているわけでは無い。
手や足、背中などに先程の使っていたような水球を付けて大量の水を排出してその反動で駆け上がっていた。
最近の流行で言うのであればジェットパックとでも言うべきだろう。
「マントでも付ければ一昔のヒーローみたいだな」
地上とは比べ物にならない風を受けて、それでも勢いを止めない。
高度にして一千メートルを超えたであろう上空は、手を伸ばせば目的地である厚い雲に届いてしまいそうだ。
「っ!?」
稲光が走り、南条の身体のすぐ側を抜けていく。
南条を狙った雷撃であることは確かだ。
「めんどうだな、ほんとに」
連続で落ちてくる雷を水を使って宙を走るようにして避けていく。
現人神故に雷撃のような高速の攻撃を見て避ける事が出来る……訳では無い。
いくら神の力を持っているとは言え雷速とはそれほど容易い速度ではない。
だが八郎太郎は水神でもあるが本質は天災、自然災害の化身だ。
故に自然現象に対して勘が働く。
それを利用しての先読みで避けているのだ。
とはいえ、全てを避けられるほど甘い攻撃ではない。
青白い、巨大な雷が南条を目掛けて落ちてくる。
これは避けられない。
「集え」
その瞬間、南条の正面に雨水が集まり盾となった。
雷は標的を捉える前に、水の盾に阻まれる。
とは言えこれで終わりでは無い四方八方から此方を狙う雷は激しさを増している。
「やっぱり……」
南条は必死に抵抗する雲の内部を見て呟いた。
水神である八郎太郎の力を持ってしても掌握されない。それは、通常の雲ではありえないことである。
本来ならこの程度の規模の雲であれば一瞬で掌握してお釣りが来るほどの力があるのだから。
「この雲に同化して、雲そのものが肉体として機能しているということか」
八郎太郎の能力を使用したとき、南条の意思によって自然に干渉するようになる。
言葉を意思を届けなければ、効力は発揮されない。
普通の雨雲ならばともかく、雷獣の生み出した霊的とも言える雲の中に潜む敵まで影響下に入れるのは不可能だ。
雲を消し去りたいというなら最低限、直接雲に接触することが能力発動の条件だろう、そこまではなんとしてでも辿りつかなければならない。
「少しばかり、強引に行かせてもらうぞ」
南条はこのままダラダラ進んでもラチがあかないと判断したのか周囲の水滴をかき集める。
先程の水球と同じようにあり得ないほどに水を凝縮して固めて伸ばして整形する。
そして身体にその圧縮した水を纏わせて簡易的な水の鎧を形成。
「即興水鎧『水亀』だ」
『シンプルにダサいな』
「うるさい!」
『中二要素を除いた結果無難にダサくなった感じが更に残念だな』
「本当に黙れ、お前!」
下らない言い争いをしているが周りの雷を無視して進む。
鎧に雷が当たるがまるで吸い込まれるように当たっては消えていく。
「この水鎧に雷なんぞ効くものか」
『水亀では無いのか?』
「頼むから黙ってくれ」
一般的に水は雷を通すと言われている。
それは間違いではない、そもそも電気が流れるという現象には電気を運ぶ粒子がどのくらい動きやすいのかということと、電気を運ぶ粒子がどのくらい沢山あるのか、という二つの要因で決まる。
普通の水は、電気を運ぶ粒子(H+とOH-)は非常に動きやすく電気が流れやすい。
その理屈で言えば水の鎧は何の効果も無さそうものではあるがこれは只の水でつくられた物では無い。
水神がその力でつくった不純物のない純粋な水、純水で創られた鎧だ。
そして純水は電気を運ぶ粒子の濃度が低いためほぼ絶縁体と言っても良い。
この雷が普通の物ではないので完全に防ぐことが出来るわけではないがそれこそ無視できるほどに軽減されている。
そして進み続けついに雲に到達する。
己の能力が効果を及ぼすことが出来る、その感覚を。
「掴んだ!」
すぐさま八郎太郎の権能を使い、雲という水の塊を操り周囲に漂う雲を掻き消そうとする。
しかし、その前にそれが下から上空の南条に向かって昇ってきた。
「!?」
ポートタワーセリオン、143メートルのガラス張りの建造物はその頂上から先程の落雷とは比べ物にならないほどの雷を上空にした放った。
地上から上空に昇る雷撃、昇雷という完全に想定外の一撃、昇り龍のようにも見えるそれを南条は見るどころか感じることさえできなかった。
南条がその雷撃に気づいたのは終わった時だった。
『南条!?』
普通の雷の動きを捉えられる者などいない。
雷速のそれは発生と到達の瞬間を同時に見てしまう。
遠目から見て線、間近で見ては柱のようにも見える雷は超人であるはずの現人神の反射神経ですら容易く凌駕する。
そしてそれは水の鎧を容易く貫通して南条を貫いた。