犬が喋るとか、ワンダフルだよね! 6
ペットボトル入りのお茶で唇を湿らせ、菅江さんが口を開いた。
「生類憐れみの令って知ってるかな?」
と。
いやいやあんた。
いくらなんでもバカにしすぎだから。私たちは高校生ですよ。
徳川五代将軍の綱吉が出した、天下の悪法でしょ。
そのくらいは知ってるって。
犬を手厚く保護して、人間よりずっと大事にしたとかなんとか。
んで、綱吉についたあだ名が犬公方。
ひどいよね。
いくら犬好きだからって、そこまで犬を優先したらだめじゃん。
「なるほど。やっぱりそういう解釈なんだね」
ふうとため息を吐く。
疲れたように。
私たちはわけがわからず、顔を見合わせた。
だいたい学校で習う程度のことじゃん。
天下の悪法だったってね。
「記憶が戻っていない奇稲田姫だけじゃなくて、素戔嗚尊や八岐大蛇までとは」
なんか嘆いているし。
「江戸時代なんて俺は高天原にいたし、見ていたわけじゃないからな」
不本意そうに伊吹が言う。
七樹は肩をすくめたのみだけど、同意見ってことだろう。
ようするに地上の出来事なんて、いちいち見てないよってことだ。
無情なようだけど、こればっかりは仕方ないよね。
神様はべつに人間を導くために存在しているわけじゃないし。
「これじゃあ迷うのも無理はないといわざるをえないけどね」
なにが?
首をかしげる私をよそに、菅江さんがぱんぱんと手を叩いた。
おいで、とか言いながら。
一人暮らしっていってなかったっけ?
ややあって、それはやってきた。
奥の部屋から、ててて、って走って。
白い毛玉。
イッヌだっ!
モフモフだっ!
「ん? なんかいるの?」
雪那が訊ねる。
あれ? みえてない?
てことは……。
「霊体だな。ようするに幽霊だ」
七樹が説明してくれる。
やっぱりぃぃっ。
犬の幽霊とか、ちょっと勘弁して欲しいんですけどっ!
「いるのっ! みたいみたい!!」
なんで姐御は興味津々なんですか。
あ。そうだ。こいつオカルト好きなんだった。
ゲテモノ好きめ。
だから伊吹とつきあってるのかよ。
「雪那」
声をかけた伊吹が、すいと姐御を抱きしめる。
そして有無を言わせず唇を奪った。
きゃーっ!!
驚きに目を見開いたものの、雪那の表情がとろんとゆるむ。
いやいや。
いやいやいやいや!
なにやってのよ! この変態邪神!!
「おちつけ。美咲。息吹を入れてるだけだ」
「伊吹を入れる!? こんなところで!?」
「何を想像してるんだよ。いまのままじゃ三石にあれは見えないからな」
苦笑しながら七樹が解説してくれた。
ようするに神力を分け与えているらしい。
「……ぁ」
雪那が色っぽい声を出す。
「なんか……からだが熱くなった……」
「やめぃ!」
「いやあ。若い人は情熱的だねえ。僕も今日は風俗いっちゃおうかな」
おいぬらりひょん。何を口走ってやがる。
未成年者ばっかりなんだから、ちょっとは考えろ。
風俗とか生々しすぎる。
「あ。見えた。犬いる」
雪那が目を輝かせた。
結果オーライだけどさぁ。
「伊吹も、他に方法なかったの? 人前でディープキスとかどうなのよ?」
「鼻から入れても良いけど……」
いや。
それは絵面が悪すぎる。
入れる場所ってもうちょっとなんとかならんのか?
くそ仕様かよ。
「あとは、あれをするくらいしかないからな。仕方がないだろ」
カレシどのが肩をすくめる。
「あれって?」
にまぁ、と、私は笑った。
こんなチャンスを逃すと思ったか。七樹よ。
「あれはあれだよ!」
真っ赤になる純情ドラゴンでした。
よし。勝った。
それじゃあ話を聴きましょうか。
「俺の扱い……」
沈んでいく七樹の肩を、伊吹が叩いてやっていた。
邪竜と邪神のうるわしき友情である。
「で、この犬は?」
「簡単に言うとレギオンだね。怨念の集合体だよ」
まったく簡単じゃないよ。ぬらりひょん。
「主人格としては、綱吉だよ」
おいおい。
この子犬、将軍なの?
「の、残留思念じゃな。迷うておった悪霊どもをまとめて、悪さをせぬよう予の身体に封じ込めたのじゃ」
「しゃ、しゃべったーっ!?」
思わず私がのけぞる。
「そりゃ喋るじゃろ。見た目は犬の霊体じゃが、予は人間の残留思念じゃもの」
「ア、ハイ」
そうかもしんないけどさ。
衝撃的じゃん。犬が喋ったら。
「よっと」
「こりゃ。なにをするのじゃ。姐御」
雪那の手が伸び、犬を持ち上げて膝に乗せる。
「OK。綱吉。ウチらの話をずっと聴いてたんだね」
「ぬ……」
姐御って呼ばれただけで、雪那は事情を読みとってしまう。
むしろそれを確認するための行動か。
すげえな。
このJKおそろしすぎる。
「僕からの条件はそれだよ。姐御。綱吉の頼みをきいてやってくれないか?」
妖怪たちの総大将が笑った。
帰路である。
連れだって歩く私たち四人と一匹。
より正確には一匹は歩いていない。七樹の頭に乗っている。
なんでそんなところにいるかというと、精気の補給にちょうど良いのだそうだ。
見た目的にかなり可愛いので許可である。
「べつに伊吹の頭でも良いんじゃないの?」
雪那が指摘するのは、自分のカレシの方に乗って欲しかったからだろう。
可愛いからねっ。綱吉はっ。
ちなみに私や雪那には乗れない。ふたりとも普通の人間程度の霊力しかもってないからだ。
ちゅるちゅる吸われたら死んじゃうのである。
「予はこれでも悪霊の類じゃからの。神とは相性が良くないのじゃ。その点、七樹はモンスターじゃからな」
ふっさふさの尻尾を振りながら綱吉が応えた。
属性的なものだろうか。
七樹はドラゴンだから闇属性で、伊吹はあんなんでも神様だから聖属性とか?
うぷぷぷっ。
伊吹が聖て。
「すげー失礼なこと考えてる顔だけどよ。クシナダ姫さんよ。俺ら神に聖邪の区別はねぇよ」
睨まれた。
つーか私まで一緒くたにまとめられた。
……そうかぁ。わしは神じゃったのう。忘れてたけど。
奇稲田姫って国津神なんだよなぁ。あ、素戔嗚尊は天津神ね。
「力を分けてもらえぬ、ということはないがの。やはりバケモノ同士の方が相性は良いのじゃよ。美咲や」
後ろ脚で、てしてしと頭を掻きながら言う綱吉。
なんつーかあんた、犬そのものなんだけど、将軍ってそれで良いの?
「すでに死んだ身なれば、姿形を嘆いても詮無きことじゃよ。ましてこの姿は、予が犬公方などと呼ばれた結果じゃしの」
「そうなんだ?」
「予が人より犬を大事にした愚かな君主で、そんなに犬が良いなら犬にでもなっちまえ、と願われたのじゃよ」
あくびをしながら、皮肉げなことをいう。
「ていうかさ。そんなに犬好きだったの? 綱吉って」
「べつにたいして好きでもないがの。嫌いというほどでもないが」
おいおい。
じゃあなんだって生類憐れみの令なんか出すのよ。
あの時代って、お犬様お犬様って人間よりも犬の方が大事にされたって習ったよ。
で、あんまりの愚行に怒った水戸黄門が、犬の毛皮を綱吉に送りつけて、いい加減にしないと戦だぞって脅したとかなんとか。
「それを事実と思うかや? 美咲や」
「……歪曲されてるってことね。OK」
私は頷いてみせた。
スサノオ伝説だって嘘っぱちだった。九尾の狐伝説もかなり怪しい。
ということは、綱吉伝説だって捏造された可能性はあるのだ。
何者かが都合良く書き換えた歴史ってやつである。
「そうじゃの。生類憐れみの令は、べつに犬はえらいのじゃ、という律令ではないよ。そもそもひとつの法でもないしの」
「そうなんだぁ」
知らなかった。
ふつーに、そういう法律がどーんとひとつあるのかと思った。
「犬好きでもない綱吉が、じゃあなんで犬公方なんて呼ばれたの?」
雪那の問いは当然のものだろう。
授業で習った歴史が間違いだとすれば、どうしてそんな嘘を教えたのか、伝えたのかっていう思惑があるはずなんだ。
何者かの。
「ふむ。たしかにそれは語らねばなるまいの。予の願いにも関係のあることじゃし」
子犬が遠い目をする。
ものすごく似合っていない。
「まずは予の生きた時代、元禄というのがどういうものじゃったか、そこから理解してもらわねばならぬ」
そう呟いて、綱吉がおすわりした。
七樹の頭の上に。




