優、生還
だが、シルヴァが大口を開けた途端、妙なことが起こった。火炎が来るとクロナたちは身を伏せていたのだが、一向に熱波が浴びせられることがない。それどころか、シルヴァは口を開けたまま微動だにしないのだ。時々漏れ出るのは苦痛に喘ぐ吃音ばかり。
やがて、シルヴァの巨体が頭から地面に倒れ伏そうとしている。炎は回避できたが、予想外の災害に人々は逃げ惑う。さすがに一瞬で火の海にされては防ぎようがないが、ゆっくり倒れてくるデカブツから避難するぐらいは対応できる。むしろ、このくらいできなくてはSランクの称号が泣くというものだ。
咄嗟に機転を利かせたことで、ドラゴンの巨体が倒壊したにも関わらずけが人は皆無だった。無事だったことを喜ぶよりも、いきなりシルヴァが討伐されたことが不思議でならなかった。ざわめく中、クロナがデスサイズでシルヴァの頭部を突っつく。
「おい、死神。急にそいつが動き出したらどうする。余計なことをするな」
「でも、きちんと死んでるみたいだよ。死神の私が言うんだから間違いない」
クロナに促されてアシュリーもシルヴァに触れる。鱗からは温もりが感じられず、至近距離から観察しても微動だにしない。にわかには認めることはできなかったが、こと切れていると断定すべきだ。
生物医療の知識など有していないため、シルヴァの死因など検証できるはずはなかった。とりあえず仇敵を倒せたというのは喜ぶべきだが、クロナとアシュリーは浮かばれない表情をしていた。この戦いにおいて彼女たちはあまりにも大きすぎる犠牲を払ったのである。いくらネフティーヌの力を以てしても、ドラゴンの体内で粉々に融解された肉体を復元するなど不可能。嘆いたところでもう優は帰ってこないのだ。
やり場のない怒りをぶつけるようにシルヴァを殴りつけるクロナ。アシュリーも立ち尽くしたまま顔を背けていた。
「ユー君のバカ。私に断りなく勝手に死んじゃうなんて」
恨みをこめ、シルヴァの喉元に拳を当てる。
すると、違和感を覚えた。ちょうど拳が接触した位置がわずかに隆起したのである。心臓が止まっているのに呼吸ができるわけがない。しかも、謎の隆起物は喉からシルヴァの口の方へと移動している。胸から口に移動する体内物質。真っ先に想起するものといえば。
「ゲロ?」
もちろん、心臓が止まっているのに嘔吐などできるわけがない。ならば何を吐き出そうとしているのか。口の中から新たな敵が出現するというマトリョーシカ展開を危惧し、クロナはデスサイズを身構える。そして、口をこじあけて謎の生命体が顕現する。
「くっせぇぇぇぇぇぇぇえぇぇぇぇ!!」
あまりにも聞き覚えがある声。唯一のチャームポイントであるくせっ毛を良く分からない体内物質で汚し、自慢のランスロッドも半壊していた。だが、跡形もなく粉砕されているどころか、五体満足のまま帰還してきたのだ。
「マジで臭すぎだろ。あいつ、普段何喰ってんだよ。ゴミ収集車が百台くらい集結したみたいな臭いだったぞ」
深呼吸しながら悪態をつく。そんな彼の姿を前にクロナは目を潤ませている。ようやく彼女の存在に気付いたのか、気軽に手を振る。
「お、クロナ。シルヴァはどうした……」
「ゆぅぅぅぅぅぅぅくぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅんんんんんんん!!」
人目も憚らずクロナは優に抱き付いた。勢い余ってシルヴァの首に倒れ込む。優はもがくが、クロナはがっちりとホールドして離さない。優の防御力でなかったら即刻絞殺されていたところだ。
「もう、心配したんだかんね! ドラゴンに食べられちゃうなんて、ドジっ子もいいとこだよ」
「ドラゴンに食われるのはドジで済む範疇じゃねえだろ」
「うむ。優、よく生きていられた。ドラゴンに食われたら普通は消化液でドロドロにされる。生存できるなんて奇跡」
アシュリーも涙を拭いながら労う。優は顎に手を当てながら例の悲劇からの出来事を語り出した。
「いきなりあいつに丸呑みされた後、俺は臭い洞穴みたいなところを真っ逆さまに落ちていったんだ。そんで、これまた臭い液で満ちている湖みたいなとこに墜落した」
「食道を通って胃の中に落ちたわけか」
「まったく、災難だったぜ。かわいい血小板とかいれば和んだのに」
いたところで、血小板は肉眼では視認できない。
「それは冗談として、さすがにこのまま漬かっていてはまずいと思って、ランスロッドを壁に突き刺しながらよじ登っていったんだ」
「胃液に墜落した時点で死んでいてもおかしくないのに、体内を逆走できるなんて信じられない」
加えて、体内でランスロッドをグサグサ突き刺されているにも関わらずシルヴァはなんら反応を示さなかったわけだが、なまじ防御力が高すぎるために痛覚が発生しなかったのだろう。
こうして体内をクライミングしてきた優なのだが、相手があまりにも巨体なため、口まで到達するのは困難を極めた。
「このまま登っていても埒が明かないと思っていたら、急に足元からものすごい熱風がやってきたんだ。もちろん、回避しようがなく、俺は熱風に乗せられて急上昇してきたってわけ」
「うむ。大体分かった。シルヴァは火炎放射を放とうとして優を喉まで運んでしまった。そこで優を喉に詰まらせたことで窒息死したということか」
いくら肉体を鍛えようとも、窒息を防ぐことなどできない。シルヴァとしても、まさか体内から攻撃を受けているとは思ってもみなかっただろう。尤も、最大の誤算としては優を胃液で消化できなかったことである。
まさに一寸法師みたいな活躍をした優だが、そんな彼にクロナはより強く抱き付いた。
「もう、無茶しすぎだよ。私、本気でユー君が死んだと思ったんだから。心配させんのはメッなんだからね」
「お前、俺を殺そうとしたくせによく言うよ」
「私が自分の手で殺して死神にしたいの。こんなトカゲなんかに渡したくないんだからああああああ!」
感極まったのか、優の胸に顔をうずめて慟哭する。いきなり女の子にマジ泣きされ、優は戸惑うばかりだ。
「アシュリーさん、こういう時どうすればいいですか」
「……知らん」
少なくとも笑えばいいというわけではなさそうだ。助力を請おうとしても、「今回だけは若い二人に任せる」と冒険者を連れ立って脱出してしまう。
結局、クロナが泣き止むまで洞窟内を二人で過ごしたという。シルヴァの死骸が他のモンスターからの牽制素材となっていたのが助かりだった。年相応に感情をぶちまける彼女を前に、「こいつが死神じゃなけりゃな」と密かに思ったのは内緒だ。




