食われた優と本気のクロナ
優は必死でもがくが、動かせるのは指先のみ。その気になれば握力だけで潰されてしまいそうだ。そのまま口の付近まで運ばれ、臭い息を吹きかけられる。舌なめずりをしており、食べるつもり満々だ。
「このトカゲ! ユー君を放してよ!」
クロナがデスサイズを振り回しながら突撃する。だが、片足を踏み鳴らされるや、呆気なく吹き飛ばされてしまった。空でも飛ばない限り、近距離攻撃で優を救うのは不可能。ならば、魔法で救助するか。しかし、ウィザードたちは躊躇している。シルヴァには上級の魔法でないと効果が無い上、狙いが狂えば優に命中してしまうからだ。
そして、ドラゴンに捕らえられるというのがどれだけ絶望的な状況か熟知していた。アンデットは人間と比べるとそんじょそこらの事では死なない。だが、絶対に死なないわけではない。肉体の再生が不可能なほどに攻撃を加えられては再生が不可能になる。その最たる例がドラゴンに丸呑みにされることだった。
「しかと眼目に焼きつけよ。我に刃向いし愚者の行く末を。そして少年よ。我が糧となったことを光栄に思い死ぬがいい」
「ふざけんな! こんなとこで死んでたまるかよぉぉぉぉぉぉ!」
優は腹の底から叫ぶ。だが、皮肉にもそのまま断末魔の叫びとなってしまった。抵抗する間もなく、優はシルヴァの口の中に放り込まれる。しばらくモゴモゴと口内を動かしていたが、やがてゴクリと嚥下した。
大口を開けた際、人っ子一人いないという事実にその場の全員が絶望した。身の程知らずの低級冒険者が事故死したと書類上は片づけられるかもしれない。だが、目前で人命が失われたという衝撃は隠しようがなかった。特に、この世界においては規格外の耐久力を誇るアンデットがいる。そのせいで人が即死するという状況は遭遇しにくいのだが、いざ万に一つの悲劇が発生してしまうと、動揺は拡大するばかりであった。
錯乱する人々の中で、ひときわショックを受けていたのはもちろん彼女だった。
「そんな……ユー君が、ユー君が」
壊れた音声付人形の如く、優の名前を連呼する。悲痛な面持ちに、アシュリーは声をかけようとしてもかけられなかった。
一方で、シルヴァは次なる獲物を求めて品定めする。「次は貴様だ」と宣告した通りクロナに目標を定めるが、対面した途端、巨竜は身震いした。
ほんの一瞬の出来事だったが、大胆不敵な巨竜を怖気させたというのは特筆すべきだった。それほど、クロナが発した殺気が強烈だったというわけである。
「よくも、よくもユー君を! お前だけは絶対に許さない!」
怒気を顕わにして、クロナはシルヴァへと斬りかかる。シルヴァの巨体を足掛かりにして跳び回り、あちらこちらへ斬撃をお見舞いする。あまりの素早さにシルヴァは抵抗できずに斬られるがままになっている。
アシュリーたちも追撃しようとしたが動くことができなかった。未だに優が食べられたというショックから抜け出せないということもある。加えて、クロナの鬼気迫る猛攻に手を出すことができなかった。
突然の蛮行にシルヴァは内心驚愕していた。クロナの鎌は優を食べた以前より受け止めている。攻撃力を自慢する輩は山ほどいたが、誰もシルヴァに痛覚を感じさせられるほどの猛者はいなかった。クロナもまた、有象無象の一人と思われた。
だが、優を食した直後から、クロナの攻撃が明らかに勢いを増している。時折じわりと滲む痛み。これがいわゆる痛覚というものだろうか。彼女がアンデットであることは先刻承知だが、よもや自分が防戦一方になるなど予想だにしなかった。
そして、クロナの異変はアシュリーもまた感じ取っていた。
「どうしたことだ。あの淫乱死神、明らかに攻撃力が上がっている」
彼女はエクソシストとしての知識を学んできたが、戦闘について直接的な指導を受けたことはない。しかし、幾戦もの経験が彼女に自ずと戦闘センスというものを習得させていった。その勘が告げているのである。クロナの怒りのボルテージが上がっていると。
よもや、このまま押し切れるのか。そんな希望的観測が人々、そしてアンデット戦士たちの間で沸き起こる。だが、シルヴァが無慈悲に放った前脚の一振りが彼らを絶望へと追いやった。攻勢に出ていたクロナがあっさりと地面に叩きつけられたのだ。
衝撃でデスサイズが手からこぼれ落ちてしまう。クロナは拾おうとするが、シルヴァは尻尾で更に遠方へと弾き飛ばした。恨めしそうに歯噛みするクロナにシルヴァは鼻息を鳴らす。
「我を圧倒したことは褒めてやろう。だが、まだ足りぬな。少女よ。貴様の攻撃力はおそらく10000くらいであろう」
「どうして分かんのよ。あんた、エスパー?」
「ネフティーヌなる神が道楽で定めたようだが、我ほどになると感覚で測定することができる」
返答も滅茶苦茶だったが、衝撃が走っていたのはクロナの攻撃力についてだ。Sランク冒険者といえど、攻撃力10000に達する者はまずいない。優が防御力1000000を叩きだしたという噂とともに、全ステータスが10000近い化け物がいるという噂も流布されたが、まさかすぐそこにいる少女が当人だとは予想だにしなかっただろう。
ならばこそ、ドラゴン相手でも圧勝して然るべきなのだが、次にシルヴァが放った一言は更なる絶望を掻き立てた。
「貴様の攻撃力をすれば我を倒せると踏んだようだが甘かったな。我が防御力は25000だ。素手で破ろうなど論外。いかに強力な魔法であれど我の前では幼子の戯れに過ぎん。我は絶対に倒せぬ不死身の龍なのだ」
誇張表現のはずだが、防御力の実数値が事実であると錯覚させていた。クロナの攻撃力の二倍以上。いくら火事場の馬鹿力を発揮させたとはいえ、いきなり二人前の膂力を会得するなど考えられない。
もはや、勝機などない。誰もが打ちひしがれていたが、クロナだけは四つん這いになりながらも肩を震わせていた。時折漏れ出る笑い声にシルヴァは顔をしかめる。
「小娘、あまりの絶望に気でも狂ったか。哀れなことよ」
「勘違いしないでよね。へえ、防御力25000か。意外と大したことないのね」
「負け惜しみなど小賢しいぞ」
「負け惜しみじゃないもん。だって、私知ってるよ。私が好きになった人は防御力10000000ってね」
「防御力百万だと!? 戯言を! 我よりも防御力に優れた生物などこの世に存在するはずがない」
「そういうのを井の中の蛙って言うんだよ。もっと見識を深めなきゃ」
「ほざけ! 小娘に説教をされる筋合いはない」
ひときわ大きな怒号にクロナは踏ん張るので精いっぱいだ。
そして、次第に洞窟内の温度が上昇していく。誰も炎の魔法を使用していないはずだ。ならば、熱源はどこか。
答えはすぐさま判明した。シルヴァが口元から湯気を噴出しているのだ。
「むう、まずい。ドラゴン族が得意としている炎のブレス攻撃。個体によっては炎の最強魔法を凌ぐ威力が出ることがある」
「聡いな、小娘よ。生で丸呑みしてやろうと思ったが、加熱調理するのも一興。加減はできぬから、貴様ら全員が焼肉になるかもしれんがな」
死刑宣告が下され、歴戦の覇者である冒険者たちも戦々恐々する。為すすべなく洞窟内の温度は上昇する一方だ。防御魔法が展開されるが気休めにもならないだろう。
「我が炎に焼かれて死ね!」
シルヴァの口から火炎放射が発射される。周辺は炎の海と化し、人々の阿鼻叫喚が響き渡る。そして、待ち受けているのはシルヴァによる一方的な虐殺。ナハトの町でも精鋭の冒険者たちが全滅するというかつてない悲劇に見舞われてしまうのか。




