Ⅹ 愛はさだめ、さだめは愛
その場所は草が生えてちょうど寝転がれる心地よさがあった。
唯一の持ち物であるカバンを娘に渡す。中には昔の友人から貰った本が入っており、枕には硬いが、ないよりはマシである。
俺と娘は、そこに寝そべり、暗闇をみつめた。
炎帝のシステムが崩壊したいま、ドーム都市に照明はない。光がなければ暗闇がある。当たり前だ。
この都市も数回の光線を受けて、天井は穴だらけになっていた。上をみると、雪のツブテが流れていくのがわずかに確認できる。
娘は眠っていた。安らかな寝息である。彼女は、ここ数日の無理な移動行程と、食料不足のせいで、疲れ果てていたのだ。俺は上体を起こして彼女の頭を撫でた。
会った頃には短髪だった娘の髪は伸びていた。俺は、ポケットのなかから、ゴムを探す。
「…………」
指先に、四角い板の角が当たった。
俺はゴムを取り出す。
娘を起こさないように、慎重に転がし、うつぶせにした。そして、髪を束ねる。
ゴムを巻き付け、ポニーテールが完成する。
時間はかかったが、きれいにできた。
「…………」
俺は、再度ポケットをまさぐる。そこには、なにも入っていなかった。
胸を撫でおろす。
そうだ、そんなことをしてはいけない。
未練など、とっくに捨てたはずだ。
俺は、娘の隣に寝転がる。
目は開いたまま、眠らない。
もし、夜に光が降ってくるというのなら、その瞬間は逃さないようにしたい。寝ているあいだに死ぬのは、怖い。
夢のまま、人生が終わるのはなんだかとても悲しい気がしたのだ。
しかし、睡魔は容赦なくやってくる。からだを横にするということは、ドアを開けっぱなしにして、どうぞと招いているようなものなのだ。
瞼が重くなってきたころ、隣で寝がえりをした気配がした。勝手にしたポニーテールは具合が悪かったらしい。
娘はいま、眠りが浅いのだろうか。それとも、起きているのだろうか。
俺は独り言くらいの声の大きさで語り掛けてみた。
「起きてるか」
「……………」
反応はなかった。寝ているらしい。
寂しくなった俺は、観念して眠ることにした。瞼にゴーサインを出し、現実に別れを告げる。
そのとき、ようやく返事がきた。
「どうしたの?」
うれしくなった俺は、眠気を吹き飛ばして答えた。
「寂しくなってな」
大人がなにを言っているのだろう。しかし、いまの俺の姿は少年だ。あのときの心に戻っても文句を言う者はだれもいない。
娘は、俺の腕にくっついてきた。
「これで、寂しくない?」
この子の母親に似ているしぐさだ。親子で甘え上手、いや慰め上手なのだろう。俺は、娘の頭を優しく撫でた。
「…………」
「…………」
「なあ、もし今夜、俺たちが死んだらどうする?」
「……さあ、諦めるかな。ここまで逃げてきてだめだったら、もうあきらめよう。それが楽だよ」
「そうだな、それが楽だ。……ところで、お前恋ってしたことあるか?」
「…………」
「なあ」
「…………してるよ、いま」
「へえ、それはいいな。恋はいいぞ」
「……そっか」
「じゃあ、愛は知ってるか?」
「…………?愛と恋って違うの?」
「講釈垂れるいろんな奴の主張を統合すると、結局さほど変わりない」
「じゃあ、知ってる」
「そうか……」
「……………」
そのとき、空が輝いた。俺は目を開けていたが、無反応だった。
いつか来るときが、いまだっただけのこと。
諦めるのが楽だ。
しかし、光は俺たちのいるところには落ちなかった。
爆音が左のほうから響き、わずかに明るくなった。
「……………」
「……………。死ぬのこわいな、私」
この娘が弱気なことを言うのは珍しかった。死の間際になって、こころが弱くなったのだろう。俺には励ます言葉がなかったので、ただ、黙って彼女の頭を撫でた。
沈黙が続く。
やがて、次の光が降り注いだ。
俺たちは、まだ生きていた。
「好きなひとがいたんだ」
「……聞かせてよ」
「もう遠い昔のことなんだけど、そいつは俺を愛してくれた。でも俺は、それにこたえることがうまくできなかった」
「…………」
「そのあと、別のひとと一緒になった。幸せだった。俺は彼女のことを忘れていた」
「……昔の恋より、いまの恋に熱中したほうが、いいよ」
「そうだな、じゃないと失礼だ。……でもあるとき思い出してしまったんだ。その子のことを」
「…………」
「前よりずっと好きになってた」
「…………。なんていうの、その子」
「俺は、風ちゃんって言ってた」
「…………」
光がまた降った。今度は右のほうが爆発した。
「眠っちゃった?」
「……目が覚めちゃった。」
「まぶしいもんね」
「なんだか、ずっと眠っていたみたい」
「夢みたいだよね」
「これは現実?」
「温かいね」
「温かいね」
「温かいのは久しぶりだね」
「そうだね」
「愛って知ってる?」
「なんだかついさっきも聞かれた気がする」
「何度でも聞きたいよ」
「愛っていうのは、奈保ちゃんを好きだと思う気持ちだよ」
「俺が風ちゃんを好きだと思う気持ちは?」
「それも愛だね」
「相思相愛か」
「ね」
俺はポケットに手をいれた。なかには、なにも入っていない。
ここには大切なものを入れていた気がするが、いつのまにかどこかにやってしまったようだ。
「……………もう眠りたいな」
「私は起きたいよ」
「寝たらだめ?」
「いいよ。ゆっくり休んで」
「でも悪いよ」
「私が起きたいだけだから」
「でも……」
隣で少女が立ち上がる気配がした。俺は目を開けようとしたが、開かない。疲れが溜まっていたらしい。
そのとき。
呼吸が奪われる。
「…………」
「…………」
この瞬間が永遠に続くことは、ない。
少女がどこかに去っていった。
光が瞼の裏まで照らす。
死が近い。
なにかが駆け寄ってくる音がする。幻聴だろうか。
「……ほっ……んっ」
聞こえない。
「なほっちゃんっ!」
聞こえない。
「奈保ちゃん!」
……………。
「風ちゃん!!!」
光のなかで、愛を抱きしめた。
熱い、熱い愛だった。
まだ太陽がそらにあった頃は、こんなに地上が暑かったのだろうか。
いや、そんなことはない。
太陽がないほうが、よっぽど炎天下だ。
だってこんなに焼き焦がれるほどの愛なんて、長い歴史のなかでどれほどあったろう。
俺は……最高に、幸せ者だ。
炎天下~日傘に入るは吉なのか。熱中症に気を付けて、今日も俺は走ります~




