Ⅴ 春への扉
「なあ、サンジェル。記憶があいまいな部分も多いんだけど、現状、炎帝は丸裸な状態ってことでいいんだよな」
水槽から出してもらった俺は、タオルで頭をゴシゴシと拭きながら、サンジェルに尋ねた。彼女は、さきほどオーブンから取り出したケーキをうちわで冷ましながら答えた。
「そうね、おかげさまで、あと一歩ってところまで来ているわよ。ケーキもうちょっと待ってね。さきにお茶を淹れてくるわ」
パタパタと動くサンジェルの姿を見るのは、新鮮だった。俺の知っている彼女は、ふてぶてしく人を顎で使う、悪魔のような存在だったからだ。しかし、俺を前に慌ただしくお茶の準備をする様子は、まるで、孫が遊びにきたときの祖母のような……。
そわそわとしてきた俺は、タオルを首にかけて、椅子から立ち上がる。
「皿出すよ。どこにある?」
くるりと髪を翻し、サンジェルが左のほうを指さす。
「そっちの二段目の皿が可愛いよ。フォークとかは下の引き出しにあるから」
左に進むと、暗い闇のなかに、ガラス張りの棚が立っていた。二段目の皿を二枚ほど取り、さらにフォークを引き出しから掴む。
光の当たるところ、この地下施設の数少ない天窓の下には、湯気の立ったスポンジケーキがのった小さなテーブルと、椅子が二つ置いてある。ひらひらしたテーブルクロスには、しみがついており、椅子に設置されたクッションは少しへたっている。しかし、腰を下ろすと尻に低反発の感触が返ってきて心地よかった。
皿をテーブルに置くと、光に照らされ、柄が見えた。皿の縁取りは、バラと、ウサギ。たしかにかわいらしい。
あたりを見回すと、静寂が響いている。どうやらこの施設には、サンジェルと俺以外誰もいないらしい。呼吸をして入ってくる空気は澄んでいて、掃除は行き届いているようだった。
ほどなくして、ポッドとカップを持ったサンジェルが現れる。
「難しい話はあとにして、いまはゆったりと過ごしましょうか」
俺は、頷く以外の選択肢が浮かばなかった。
重ねたケーキの皿をまえに、俺とサンジェルは向かい合っていた。
紅茶のカップを置き、幼女はしっとりとした口を開く。
「まずは、おかえりなさい」
「……ただいま」
実をいうと、ここ一年の間、うっすらと記憶はある。人型兵器『サロ』は、俺、獅子頭奈保の肉体に六つの倒達者のチップを埋め込み、さらに各種技術器官を移植したモノであり、サロの人格が休んでいるときには、たまにこの視界を奪い返して世界を覗くことができたのだ。
だが、それはまるで夢のようにぼんやりとしたもので、どこまでが本当かはわからない。
さらに言えば、もっと前。俺がサロになる直前の記憶すらあいまいになっている。あそこまで戦いを嫌がっていた俺が、どうして兵器になるなんて決断をしたんだ?
……まあ、どうせいつも通りのことだろう。サンジェルに嵌められたに違いない。
「で、説明してくれよ。お前に縛られるのはもうたくさんだ。さっさと終わらせようぜ」
サロとしてサンジェルに従い続けたせいだろう。俺は、もう抵抗する気分にならなかった。悪魔だろうがなんだろうが、もうどうでもいい。嫌なことはすぐにやってしまうに限る。
サンジェルは、不思議そうに首を傾げる。
「そんなに急ぐ必要もないでしょう。でもま、いろいろ後のことも考えるとここいらでもちょうどいいのかな」
「はやいとなにか問題でもあるのか?」
「…………?あんた、忘れちゃったの?記憶がまだはっきりしてないのかしらね。ま、そのうち思い出すでしょ」
意味深なサンジェルの言葉に、俺は引っかかったが、もう座っている気はなかった。
忘れているのとはなんのことだか知らないが、思い出すというのならそうなるだろう。
「さあ、なにをすればいい?」
サンジェルはうん、と頷くと、俺に指をさした。
「とりあえず、死んでみてよ」
「え……」
サロは、『極加速』を戦闘に使うことはほとんどなかった。あいつは、何パターンもの状況をシミュレーションして、勝ちへの道筋を見つけ出すための、超高速演算能力として、これを用いていた。
つまり、想定のなかで何度も死ね。
サンジェルはそういったのだった。
「気が進まないなけど、やるか」
俺は目をつぶり、仮想世界を形成する。そして、虚構を現実にすべく、駈け出していった。
そして数日後。サロよりも効率が悪かった俺は、ようやく勝ち筋を見つけられた。
サンジェルは、あきれたながらもたたえてくれた。
「よく頑張ったわね。あとはその通りにやるだけよ」
「ああ、わかってる。ちょっと休ませろよ」
頭を押さえながら、俺は水槽から這い出る。
気分が悪い。あとは炎帝所在地の岡山を強襲するだけだったのに、こんなに殺されるとは。
槍や剣に、マシンガン。鎌に鉄球に落とし穴。原始的なものから、未来的なものまでさまざまなトラップに俺は引っかかった。最悪だった。
だが、これで本当に終わりだ。あとは、シミュレーション通りの動きを、、もう一度するだけ。
次の日、俺はサンジェルに見送られて、岡山に向かった。
数回、運動神経の悪さから、トラップにかかりつつも、少しの擦り傷で厳重な警備体制の炎帝所在施設『太陽園』に侵入することができた。
鉄管が張り巡らせられた暗室を、歩いていると、突然明かりがつき、目の前にひとが現れた。
「吾輩は、……いや、朕……儂?違うな、そうだ、俺だった。長い間ひとと話していなかったものでな。一人称を忘れてしまっていた。俺は、炎帝。お前はシシガシラナホだな」
そこに立っていたのは、翠色の長髪を流した、白いワンピースの幼女だった。目の中には星のような輝きを持っており、まるでガラス球を埋め込まれたドールのようだった。
「サン、ジェル……?」
炎帝を名乗るその幼女の姿は、髪の色こそ違えど、そのほかは、サンジェルと瓜二つであった。
『炎帝』はふむ、と前髪を触る。
「いかにも、と言いたいところだが、違う。俺は炎帝。それ以外のナニモノでもない。まあ、コウノトリプラントから急遽肉体を想像しようとしたとき、最も君に運命性を感じさせるカタチはこの幼女だったから、これをつくっただけのことだ。からかってすまないな」
「…………」
コウノトリプラントとは、新人類が出生省に届けを出すことで、赤子を創造してもらう施設のことである。そこでは、液体ポッドが大量に並んでおり、新たなる生命がつくりだされているという。
「ああ、そういえば君はそれほど頭がよくないのだったな。忘れていたよ。説明させてもらうと、『炎帝』本体はいま奥のおうにいる。君と対話するにこちらで肉体を用意したのだ」
キラリ、と炎帝の目の奥が光る。
「……本体?っていうか、なにか話したいことでもあるのか?俺はお前を壊しに来たんだぞ」
炎帝は、ふふっと口に手を当てた。
「いや、君をからかうのは楽しいな。サンジェルの癖が染みついているのかもしれない。安心したまえ、君のやるべきことは、この先をいったところにある球体の機械を前に果たせる。その球体、『enter』はいわば脳。地上のシステムを管理するために設置している重要なマシンだ。こいつはドーム都市中の人工照明ほかすべてのエネルギーを集積してもいるから、破壊しようというのなら、爆発に気を付けることだ。……まあ、すでに半分は渡しているからそのようなことは間違っても起こりえないだろうが」
「…………」
俺には、炎帝が言っていることがあまり理解できなかった。というか、このサンジェルに似た幼女は俺にわからないように言っているような気がしてならなかった。わざと、なにかを隠しているような……いや、言わなくても大丈夫だ、と勝手に納得しているような……。
「ま、いいさ。俺自体に戦闘力はない。さっさと先へ進め」
俺は、無言で幼女の横を通り過ぎた。
長い廊下を進み、しばらくすると、頑丈な扉が姿を現した。
「壊せるか?」
後ろから付いてきた炎帝が、俺をのぞき込む。
「なめるなよ」
すうと息を吸い込む俺。
『極加速』。
瞬間腰より繰り出された突きが、爆音とともに扉をひしゃげさせる。
「そのぶんなら心配ないな。さあ、入れ」
「…………」
炎帝を冷たい目で見たあと、鉄の裂け目にからだをすべりこませる。
入った部屋には、四方八方に棘のように管を伸ばした鉄色の球体がひとつ、どかんと置いてあった。その直径は、ゆうに五十メートルを超えており、音ひとつ出さない静けさが、逆に存在感を引き立たせていた。
「これを、壊せば……」
俺は、拳を握りしめる。すると、炎帝は扉の外から声をかける。
「外装に穴を開けたら、内部に貯蔵されたエネルギーがあふれ出すから、ちゃんと吸収するんだぞ!」
アドバイスをしてきた。あいつは、自分が壊されるのにどういう気持ちなのだろう。
サンジェルと戦争をして、必死に抵抗をしていたのがまるで嘘のようだった。
悪魔の生み出した最高の人工知能、炎帝。
なぜこいつが旧人類を裏切り、炎天下などという時代を創り出したのかは聞いていないが、知ったところで俺には関係ない。
俺は、さきほどと同じ構えを取り、深く息を蓄える。
「ふううううううううううう」
そして、放つ。
歴史に刻まれる一撃を。
爆音とともに球体に穴が開く。球のなかには渦巻くエネルギーが存在しており、べろんべろんと俺の手を嘗め回す。気持ち悪い感じがしたが、爆発しては困るので、中身を呪術型の技術器官『転脈管』で吸い取る。
充実していく俺の肉体。これが、この国を支配してきたちからの源。壮大な波が俺の胸にたつ。
そして、次にやってきたのが、情報の波であった。『天照』が、炎帝の制御システムの権限を完璧に掌握しはじめた。いままで不可能だったすべてが、できるようになる万能感が満たされる。
一時間後。
俺は、腕を球体から引き抜いた。
エネルギーと制御システムの情報。炎帝のすべてが、俺に移った。なる気もないが、今の俺は炎帝二世といった状態だろう。
振り返ると、幼女が扉を超えて入ってきた。
「やあ、どうだった?」
「……なんでまだ動けるんだよ」
「そりゃこのからだにはまだ残量があるからな。それで、チケットは受けとれたか?」
「……チケット?」
ずっと、なにを言っているんだ、こいつは。まったくもって意味がわからない。
俺は問いただそうと、幼女に近づこうとするが、小さな手のひらをみせられ、静止を促される。
「まだ思い出していないのか?……ふむ、まあ、そのうち取り戻すだろう。それでは……」
単時点的な意味において、さようなら
唇の震えくらいの小さな振動が、リンとした声となって、空気に伝わった。
そして、一本の棒がぱたんと倒れるように、まったくもって空しい音を立てて、幼女はその場に倒れる。翠色の繊維が蜘蛛の巣のように地面に放射された。目のなかの星は消えていなかったが、しかし確実にそこからは、生命の活動が失われていた。
「なんだってんだよ、いったい……」
俺は、拳を開く。きえゆく照明の代わりに、暗闇がやってきた。




