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炎天下 ~日傘に入るは吉なのか。熱中症に気を付けて、今日も俺は走ります~  作者: 鷹枝ピトン
第三章 災禍の中心で愛を叫んだけもの ~滋養風犬暗殺計画のすべて~
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殺戮すべき小さな世界 あるいは滅殺

 好きという感情は単純で、最初は小さな芽のようなもの。栄養を注いで大切にはぐくめば、きれいな花が咲き、いずれは実を結ぶ。でも、なかには花が咲かない恋もある。ひたすら土栄養だけを吸い取り、ずっとつぼみのままで、枯れ落ちる。一方通行の片思いなんて、珍しい話ではない。



 伊豆麻里は、そんな花を胸に抱いていた。



 何度数え直しても、花弁の枚数は、最悪の花占い。



 きれいなだけに、嫌らしい。



 花の種を与えてくれたのは、サンジェルという名の幼女だった。



 一年前、伊豆麻里はこの幼女に出会い、とある少年の写真を見せられた。



「あんたの望みは、家柄に縛られない人生を送りたいってことだったね。うちは世間一般から言えばテロ組織だから、あたしたちの仲間になった時点で、ほぼその願いはかなえられている。でも、これからあんたには、重要な役割を担ってもらうのだから、報酬を与えるのが道理ってもの。で、提案よ」



「……この、ひとの名前は?」


「獅子頭奈保。あたしたちの計画の、最重要パーツ……いや、失言。キーパーソンとなる人間よ。あなた、年頃なんだし……この子とちょっと恋してみなよ」



「恋……?」



 このころの伊豆は、堅物であった。幼少より神童ぶりをみせていた彼女は、忍者省の教育係によって厳しい指導を受けていた。それは、狭い暗闇の個室で、軟禁状態で行われ、成長期の心の発達を阻害した。唯一の休まる時間は、運転の訓練で与えられたバイクで疾走する一瞬だけ。サンジェルと邂逅するころには、解放を望むまでに、自立した感情を確立することはできていたが、いまだ純情な、少女らしい心を得るには至っていなかった。



 しかし。伊豆麻里は、獅子頭奈保に出会い。



 恋を知った。



 初恋だった。



 自分に優しくしてくれ、そして守りたいと思わせてくれる少年は、純粋な少女心を射止めた。サンジェルは単純接触効果だよ、と言っていたが、伊豆の耳には入らなかった。



 少女にしてくれたこの恋という感情を大切にしないわけにはいかない。彼女はがむしゃらに獅子頭にアプローチした。しかし、初恋は実らないことが多い。



 少年の隣には、強大な恋敵「滋養風犬」がくっついていた。獅子頭の幼馴染という彼女の存在は、邪魔もの以外の何物でもなかった。



 一度、伊豆は、獅子頭をめぐって、風犬と大喧嘩をした。ねこかだらけという喫茶店内のなかであったが、それは殺し合いの領域、全力の立ち合いであった。



 結果。伊豆は風犬に敗れた。忍者省で受けた戦闘の手ほどきは笑えるほどに通用しなかった。



 伊豆は、憎悪と羞恥と嫉妬の渦に飲み込まれた。そこへもたらされた光明、サンジェルによる滋養風犬計画。自分以外の誰かでもいい、風犬を排除してくれる展開は望むところだった。



 だが、第一の刺客、八つ墓兄妹との闘いを見て、伊豆は危機感を覚えた。こんな化け物にだれが勝てるというのか!?他人任せなどにはできない。自分が強くなって、殺すしかない!



 伊豆麻里は、忍者省で武具製作を生業にしていた親戚、伊豆アバレに接触、脅迫し、現時点で最高峰の技術によって、自身の肉体に、身体改造を施させた。



 足りないのはなにか。速さ?力?技術?殺傷力?


 すべてだ。


 ならば、すべてを捨てて、生まれ変わるしかない。



 そうして彼女は、一台のバイクになった。


 風犬を殺すために。



 〇



 嫌がる風犬を車椅子にのせて、俺と園崎さんは、旧武道館をあとにした。これ以上の連戦は、確実に風犬を死に追いやるだろう。もう、どんと構える余裕はない。幸いサンジェルは期間を設定してくれている。それまで、奴の追手から逃げとおすことができれば、もう命を狙われることはない。



 ……あの悪魔が、約束を守ってくれることが前提だが。



「ねえねえ、なほちゃん、たまにぎゅってしてよ」



 足元からの甘え声に、一度足を止めて、風犬の正面に回り込む。



「…………」



 俺は、目をつぶって、無言で風犬を抱きしめた。包帯まみれの全身。長年愛用したぬいぐるみだって、こんなにつぎはぎにはならない。先日の戦いで切断された腕は、「医療用Bond」で接着した。Bondは、虫型ナノマシンを混ぜ込んだ粘液であり、このような部位損失を治療する際に用いられる。しかし、完全な修復には数日かかるため、いまの彼女の腕はちょっと力を込めてひっぱると簡単にちぎれてしまうのである。



「えへへ、幸せえ……」



 恍惚な表情を浮かべる風犬だが、その声はか細い。俺のよく知る風犬は、もっと活発な少女だ。こんなに切ない声を出さない。



 大胆不敵で、完全無欠な俺のヒーローは、ここにはいない。いままで、なぜ目をそらしてきたのだろう。滋養風犬は、いくら化け物みたいに強くても、本当はただの少女なのだ。嫉妬や憧れを向けていた、「滋養風犬」は、いうなれば偶像のようなもので、幻想だったのだ。



 俺は、誰を抱きしめている?



 俺は、滋養風犬という名の、何を抱いているのだ?




「ねえ、なほちゃん」


「……どうしたの?風ちゃん」


「あったかいって、幸せだね」


「そうだね……」


 俺は、ひんやりとした肌を強く引き寄せた。







「ねこかだらけ」の店のまえには、蟻沢さんがたっていた。


「よお、奈保。風犬の容態はどうだ」


 風犬はたまった疲れのせいで、ぐっすりと寝ていた、こてんと首を下げている。俺は彼女の頭を撫でながら、こう返した。


「見ての通りです。おかげさまで」


 蟻沢さんは、少し傷ついたような顔をした。直接ではないが、彼女の仲間が、風犬に危害を加えたのだ。意地悪すぎる皮肉だったろう。話によると、あの件で、サンジェルとねこかだらけの縁は切ることができる契約となっていたという。しかし、どのような理由があったにせよ、加担していたのは事実であり、負い目は感じてもらうのは悪くない。



 なぜなら、蟻沢さんには俺たちの逃亡に協力してもらうからである。人心掌握など、あの幼女の遣いそうな手段であるため吐き気がするが、罪悪感は信用できる。



「……すまない。できる限りは、手を貸してやりたかったんだが、エネルギー貯蓄量が少なくてな……だいたい、三重までしか運んでやれない。そこから岡山までは、どうにか自分で車を使うなりして行ってくれ」



「はい、ありがとうございます」



 園崎さんが、俺に代わって頭を下げる。早速蟻沢さんは、宙に手を当て、転送術のゲートである黒渦を展開する。



「……蟻沢さん」


 風犬の車いすを押しながら、俺は語り掛ける。


「色々終わったら、また一緒に温泉でも行きましょうか」


「…………っ」


 唇を震わせる蟻沢さん。なにかを言おうとしているが、出てこない。俺は背を向けて渦の中に入り込む。



「奈保!」


 蟻沢さんの声に俺は振り返らない。


「背中、流してやるからな!」



 そのときには、水に流すなんて、冷たいことを言わないで。



 お湯でも掛け合って温まりましょう。




 〇



 白銀の世界を駆ける一台の装甲魔動車の影。粉雪に交じり飛来してくるヒョウが、車の外壁に大きな衝撃音を生んだ。火のない時代に聞こえる珍しき爆発は、車内の人間のからだを震わせた。



 非日常のノックに、寝た子も起きる。長いまつ毛を跳ねのけさせ、後部座席の少女が眼を覚ました。



「ん……?」



 乾いた唇からこぼれ出た吐息に、肩を貸していた柊サマンサは気が付く。


「お、起きたか。那須」


「……ここは?いった……」


 寝起きの頭痛に、額を押さえる少女、那須花凛。かつて、サンジェルに次ぐテロ組織「ブレーメン」を率いていた彼女は、京都でのサンジェル勢力との衝突後、地下研究所に幽閉されていた。



 彼女のはっきりとした最後の記憶は、滋養風犬の狂気的な笑顔と、直後の筆舌しがたいほどの鈍痛で終わっている。そこから先の断片的な映像は、夢なのか幻なのかも判断がつかない。幼少期、自身に歌を教えてくれた「天宮シオリ」の姿や、天宮の看病をしていた医者の「北条リリィ」の姿。あれは、果たして現だったのか……。



 那須は、着ている服に目を落とした。薄汚れた灰色のワンピース。そこに、華やかさは欠片もない。



「……そっかあ……。私、アイドルになれなかったんだね……」



 サンジェルに敗北したということは、つまり、ブレーメンの目的、そして自身の夢がかなえられなかったということ。突如波のように上がってきた感情が、こころを一杯にし、那須は目頭に涙をためた。



「……別に、まだ決まったわけじゃないだろ。なれなかったんなら、これからなればいいじゃねえか」



 柊は、那須の眼を見ずに言った。



「炎帝府が勝つのか、サンジェルが勝つのか。どうなるかは知らねえが、次の時代まで生き延びれば、必ずチャンスは来るさ。いまは、俺たちについてこい」



 那須は、口を堅く結んだ。涙がこぼれそうになったのだ。



「……お前って女に優しいんだなー」



 窓を眺めながら、狼尾保奈は、皮肉を放った。






 その五分後。



「俺は夢でも見ているのか?」


 浜田総司は、汗まみれの手でハンドルを握っていた。



 彼の視線の先、窓ガラスの向こうには、二十代くらいの女性が浮遊していた。



 髪の色は黄金で、頭部から臀部にかけての背中にはなにか紐のようなものが漂っている。まるで、その一本一本が意思を持っているかのように、生物的に蠢いている。




 異様な外見のその女、平時に見かければ、変な女がいるという日常の中の非日常が際立っていただろう。



 しかし、この場は、ドームの外、極寒の氷の世界。生身では生存できない過酷な環境。



 そこに浮遊する女は、非日常の中の非日常だった。



 感覚がマヒして、一周回って冷静になる者もいた。



「土方、あの女見覚えがあるわ」



 狩場が荷台から顔を覗かせ、助手席に座る土方に話しかける。土方は、後ろを向かずに答えた。


「富士月見だ。……おそらく追手だろう」



 サンジェルの地下研究所に、富士は幽閉され、忠実な手駒となるように洗脳教育を施されているという話は聞いていた。しかし、なぜここにいるのか。




 女が口を開く。その声はひどく機械的であった。


「わたしは、富士月見version.2。操縦者は、北条リリィ」


「……なにか言っているわね」


 狩場は耳を傾けるが聞きとれなかった。


 分厚い装甲車のなかに、外の音は届かない。だが、危機を感じた浜田総司は、アクセルを踏み込む。



「揺れるぞ。頭を守れ!」



 瞬間、急加速する車体。一番近いドーム都市「三重」の方向にはこのまま直進すればたどり着く。まはや、ドライバーの意思は一つ。ただ、突き進むのみ!






 富士月見version2とは。



 ドーム都市「堺」にて一般人として生活していた、富士月見の妹、「富士向月」を肉体改造して、製作した「富士月見の代替品」である。



 元・神社仏閣保護連盟の姫「天宮シオリ」の主治医であった北条リリィは、「結合術ジョイント」という特許技術を所有している。この技術は、北条の脳を中継器とし、彼女が神経を接続した人物の習得している技術の情報を、契約した人間に送信するものである。




 今回北条は、富士月見の肉体に神経を接続し、富士v2(富士向月)に情報を送信している。




 すなわち、富士v2は、倒達者ではないにも関わらず、富士月見の能力を疑似的に使用できる状態にある。







「死ね」


 一言。北条が考え、富士v2がつぶやいた。


 眼にもとまらぬ速さで、触手が、窓ガラスを突き破る。がひとつでき、その周りにひびが生じた。そして、触手の先端は……浜田の心臓をも貫いていた。



 目を開く浜田。思考停止する車内の一同。



 数秒後、やってきたのは、男の死。




「……まずい!」



 土方が声を上げる。浜田は、アクセルを踏んだまま、絶命した。車は、このままでは、暴走してドームまで止まらない。急いで土方は浜田をどかそうとするが、力が足りない。




「どいてください!」



 後ろから手が伸び、浜田の服の襟をつかむ。狼尾は、力を込めて浜田を後部座席に引っ張った。巨体が真ん中に座っていた那須花凛のひざ元にのしかかり、可愛らしいうめき声があがる。



「ううっ!」



「那須ちゃん大丈夫か?すげえ力だな、未来」



「うるさい柊!」



 土方は空いた運転席に座り込むと、ハンドルを固く握った。富士v2は、正面にはいなかった。おそらく、追い越したのだろう。バックミラーを覗くと、触手の生えた背中が映っていた。



「こわっ!なんすか先輩あれ!」



 狩場とともに荷台に詰め込まれていた千堂千歳は、状況が飲み込めていなかった。背後のガラスに張り付き、奇妙な女の尻をここで初めて視認した。



 懐から小型の機械を取り出す狩場。



「敵よ、千堂くん頭下げて。みんな、車内寒くなるけど我慢してね」



 那須の肩の上を、狩場の細い腕が通り過ぎ、ぐちゃ、という音とともに浜田の胸に機械が取り付けられる。『羊夢』。奇術型倒達者、狩場瑠衣の「千人隊」を発動させるアイテムである。



 浜田の全身が光り輝く。



「富士に特攻してきて」



 狩場の命令とともに、からだを起こす浜田総司の「死体」。そして無表情に後方のガラスを殴り割ると、極寒の車外に飛び出ていった。



 再び沈黙する一同。冷気が舞い込み、薄着の那須はくしゃみをした。



「え、えげつねえっすね狩場さん……」



 髪に厚いガラス片を乗せた千堂が若干引いた眼で、横の狩場を見た。



「時間稼ぎにもならないと思うけど……」



「…………」



 土方が、ハンドルを叩いた。



 〇




 ドーム都市「三重」。旧人類のある時期より、隣接していた都市、名古屋を滅ぼし発展を遂げた。そんな歴史のある町に、俺たちは蟻沢さんの転送術により到着したのだが……。



 ゲートの出口に、その人物はいた。



「なんでここにいるんですか?」



 俺は車いすの持ち手を汗で濡らしながら、返答を待った。すると、少女は小型の機械を出してみせた。



「あれは、『小羊夢』……!しまった、通信機か!」



 園崎さんは、慌てたようにポケットから同じ型の機械を放り出した。どうやら、会話を盗聴され、待ち構えられていたらしい。



「いーえ、偶然ですよ。だって、私と奈保さんは赤い糸で結ばれていますから、そういうこともあるでしょう」



 少女は、……伊豆麻里は、全身に殺気を纏っていた。まるで、この世のすべてを呪っているかのような邪気のたたずまい。




「なに、あの子。この間見た時と、全然違う……」





 後ろで園崎さんが身を震わせた。一般人である彼女にも感じ取れるほどの波動。いよいよただごとではない。



「……偶然、ですか」



「ええ、運命です」



 一歩、一歩。伊豆は俺たちに近づいてくる。園崎さんを下がらせる。鼓動が耳に響く。つばを飲み込む。伊豆との距離は約3メートル。





 ド。ド、ドド、ド!ド!ド!ド!





 …………。





 鋭い空気。




 少女の手から、小刀が放たれる。軌道上には、車いすで眠る風犬。の、心臓。






「……!!!」





 先端が胸の谷間に潜り込んだとき、俺は、椅子をひっくり返して、風犬を地面にたたきつけた。



「痛っ!」



 風犬が悲鳴を上げる。急いで彼女の胸を確認すると、服に切れ目が入っているだけだった。ナイフは椅子の背もたれに突き刺さっており、回避は成功していたようだ。車いすを起こし、目を覚ました風犬を再び座らせて駆け出す。



「んんー?なっなに、どうしたの奈保ちゃんっ?」



 寝ぼけた目をぱちくりしながら俺を見上げる風犬。



「……いまは俺に任せて、風ちゃん。園崎さんは隠れていてください!」



 ずんっ。

 

 熱い。いや、痛い!



 脇腹を見ると、そこには手裏剣が刺さっていた。


 振り返ると、冷徹な目をした伊豆さんが、指先をこちらに向けた状態で固まっていた。



「逃げないでくださいよおー」



 舌をペロリと出し、唾液で頬を濡らす少女。妖しい笑顔を浮かべ、手首をくるりと返す。



 瞬間、その小さな指の間あいだに、手裏剣をはさめていた。



「また、一緒に愛し合いましょうよ!そこの女をさっさと殺して!」



「…………!!!」



 園崎さんが叫んだ。



「獅子頭くん!どうしてこうなるまで放っておいたの!」



「っ!」





 返す言葉も、ない!!!




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