世界の隅にたつ都市をさまよう者 あるいは撲殺
その夜。
園崎は、寝床を探しに街を放浪した。東京の街には、宿屋がない。武功会という大企業がなくなったこの町では、出張人がいなくなったのだ。
ドーム天井に設置された人工照明……この時代における太陽は、すでに沈んでいる。夜道は危険というのが通説だが、この町においては、先述した浮浪者狩りの影響で、女性でもひとりで歩けるほど安全となった。
滋養風犬。
マボロシ探偵社の社長を、傷つけた少女。
そして、同時に東京をきれいにした少女。
本来なら憎む相手であるはずなのに、その少女によって、いま自分の安全が保障されていることに、園崎は複雑な気分となっていた。
滋養風犬の人物像がつかめない。
取材が終われば、園崎は「東京の怪人」についての記事を書く。当初、彼女は「恐怖の都市伝説」路線で、まことしやかな尾ひれを付けたエンタメ記事に仕上げる予定であった。
しかし、怪人の正体、滋養風犬について知るたびに、構想が膨らみ続け、まとまりがつかなくなっていく。
私情を優先させるなら、悪者として描きたい。しかし、彼女のことをそんなありふれた型のなかに収めるのは、勿体ないように思えていた。
『滋養風犬の功罪』。タイトルはこんなところだろうか。
「一番いいのは、また、どこかで会えることなんだけど……」
園崎は、二日前の取材中に、幸運なことに、滋養風犬に接触する機会があった。そのときの光景は、非日常そのものだった。
少女、滋養風犬は、中華服の双子を相手にひとりで戦っていたのだ。中華服の双子は見事なコンビネーションで滋養風犬を追い詰めていった。だが、結果は双子の敗北。獣のような意地汚さで、滋養風犬は粘り勝ったのである。
建物の影から、その戦いを見て……魅せられた。
圧倒的なちからのまえに、人は魅了される。
それが、善であろうと、悪であろうと。
園崎は使命感を得た。この少女のことを、なんとしてでも記録に残さなくては!
その情熱だけは、身内の仇と知った今でも変わらずに残されている。
園崎が足を止めて、一息つく。あてもなく歩いていたわけではない。彼女がたどり着いたのは、「東京駅」である。
レンガ造りの構内のなかには、廃線となった線路のほかにも、休憩室がいくつか現存していた。せめて屋根のある場所で床につきたかった彼女にとってこの場所は安住の地であった。
構内に入ろうとしたその時。
「ちょっとお姉さん、待って!駅に行くつもり!?」
園崎に、声をかけてきたものが現れた。振り向くと、フードを被った少年が焦ったように追いかけてきていた。少年は、園崎の服の袖を掴むと、肩で息をした。
「あー危なかった。だめだよ、お姉さん。今夜は駅のなかに入っちゃ、だめ。……浮浪者が減ったとはいえ、ついこの間までは「グレン牙」っていう盗賊団がうろついてたんだから」
少年は、フードを上げると、その顔貌をさらした。
「……っ!!!かわっ!」
園崎のくちから欲望が漏れる。
少年は、ただの少年ではなく美少年だった。まさに、究極の美。純粋さと、それだけではない、何か暗い秘密を抱えたような闇が、少年を形作っていた。
園崎みかんは、狂おしいほどに未成熟な男児を愛していた。少年というものは、その幼さのなかにあらゆるものを内包している。大人になるまえの彼らは、成長するにつれて乗り越えてなくなってしまう、原初の苦悩が残っており、そこから逃れようとする必死な姿には人間が持つエネルギーを感じ、そのエネルギーというものはつまり力強さであり、他者に抱く魅力というものは、力強さからのリスペクトであり、園崎の論では人類が真に愛すべきは汚さを学びもはや悩みなど少しの躓き程度にしかならない大人なんてものは小児の劣化版でしかない。子どものような感性を持ったまま大人になるものもおるが、大きな図体に着飾られた時点でいくら内面に愛すべき要素が残っていようが外見によるマイナス補正がかかってしまう。そう外見も重要なのである。美術品として少年を評価するというのなら、やはり外見は決して除くことのできないファクターである。例えば浅黒い少年は、短い人生のなかで日焼けをするような生活をしていたという活発さを表す。色白な少年は、日にあたらない場所で智を磨いてきたことを表す。外見というのは内面を覗く窓である。窓は綺麗であることが望ましい。だから園崎は綺麗な窓をみると頬ずりをしたくなるし、つまりは少年を見ると園崎は思わず頬を擦り付けて、できれば嘗め回して駄液まみれにして自分色に染め上げたいし、社会的通念が許してくれるというのなら連れ帰ってそれ以上のお楽しみをしたい。
園崎の視線に、嫌なものを感じた少年は距離をとる。
「と、とにかくお姉さん。ここは危ないから家に帰って」
その距離を詰め寄る園崎。
「君のなまえは?」
「つ、翼です」
「翼くん、実はわたし、鳥取から東京に来ていて、泊るところを探していたの……。ねえ、こんなか弱い女性を危険な夜の街にほっておくこと、男の子ができるかな」
「え、ええ……?」
詰め寄られて困り果てる少年。質が悪いことに、園崎はその困る少年の表情にすら興奮していた。翼と名乗った少年は、フードの紐を指でつまみながら、唸った。
「ううん……じゃあ、僕についてきてください。用事があるので、それを済ませてからになりますけど、それでいいならうちに案内しますよ」
園崎は、目を輝かせ、翼に抱き着く。初対面の女性に温もりに、翼は背筋を凍らす。
「あっりがとぉ~!いい子いい子いい子!」
「ちょ、離してください!……もう。あ、先に忠告しておきますけど、今夜見たことはすべて忘れてくださいね」
「……え?」
急に真剣になった翼の声色。
「じゃあ、ついてきて下さい。……お姉さんは僕が守りますから、離れないでくださいね」
「う、うん」
〇
翼が、園崎を連れて入っていったのは、東京駅まえに残っていた廃ビルの屋上であった。
かつては武功会の関連企業がこのビルで経済活動をしていたそうだが、人のいなくなった建物の劣化ははやい。風で破損したガラスは修理されず、埃や電灯の破片はあたりに散らかり放題であった。
二人は、階段を昇り、この屋上まで来た。体力のない園崎は、ついてすぐにコンクリートに倒れ伏した。空にあるドームの天井が無機質にこちらを見つめ返してきた。
翼は、大の字に寝転がる園崎を無視して、転落防止の柵から半身を乗り出した。
「ねー、翼くん、疲れたー」
「はいはい」
「構ってよおー」
「いま忙しいので」
園崎はつれない対応に頬を膨らまして、翼に向かって這い寄って行った。近寄ってみると、翼はスコープを用いて、どこかを観察しているようであった。
「なに見てるの?」
邪魔をしてはならないと察した園崎は、少し翼から離れる。しかし、翼はスコープから目を離すと、園崎にも望遠鏡を渡した。
「暇なら一緒に見てもいいですよ。他言しないことを約束してくれるならですけど」
「え?いいの?」
恐る恐る園崎はレンズに目を当てる。すると、そこに映っていたのは。
「え……なんで、なんであの人がこんなところで、あの子といるの!?」
園崎が眼にしたのは、東京駅の廃線路のうえで相対するふたりの人間の姿であった。
ひとりは、園崎が追い求めていた少女、滋養風犬。
そして、もう一人は。
園崎を、東京まで連れてきたタクシー運転手の男であった。
〇
数日前、東京。
運転手の男は、タクシーに乗り込んできた客をミラー越しにみて、息をのんだ。
客のからだは異常に大きく、車のなかにみっちりとはまり込んでいた。太い腕はちからを持つことを表しており、もし、この客が強盗ならば、面倒なことになることは確実であった。
「お客さん、どちらまで?」
客の男は、窮屈そうなからだを崩しながら言った。
「このドームの外周を一周してくれ。ふざけているわけではないぞ。金は払う」
奇妙な注文を不審に思う運転手だったが、支払いを宣言された以上、従わない理由はなかった。ハンドルを握りしめ、車を発進させる。
魔力を動力源とした魔導車は、操縦者が魔術型である場合は、走行しながら魔力を補充することができる。この運転手は魔術型であったため、体内で生成した魔力を車に流しながら、運転していた。
客の男が、おもむろに口を開く。静かな車内に鈍重な声がこもった。
「浜田 総司。あなたはの名前で間違いないですか」
運転手の男、浜田は、返答した。
「はい、そうですが……」
「やはりですか。探しましたよ。あなたに荒事を依頼したい。俺は、砂川と申します」
客の男は後部座席から、浜田に名刺を差し出す。紙が貴重な時代に、紙名刺は身分が高いことの印である。しかし、浜田は臆することなく答える。
「なにをおっしゃっているのでしょうか。私はしがない運転手ですよ。人違いではありませんか?」
客は、浜田の言葉をしばし考え、そして気が付く。
「そういえば、最初に合言葉を言わなければ話を聞いてもらえんのだったな。『時速は百キロオーバー』で」
「『安全運転がモットーなもので』」
「『娘が結婚するんだ』」
「ならば仕方ない。……それで?どのようなお仕事でしょうか」
浜田総司。彼はタクシーの運転手をする傍ら、このような裏の仕事をしている。例えば、警護。例えば、脅迫。例えば、仲裁。
そして、例えば―――。
「暗殺だ。滋養風犬を、殺してくれ」
「……!!!」
浜田の腕が、鳴った。
〇
東京駅のホームで、俺と砂川さんは、話していた。ホームには天井がなく、もし、上から少女が降ってくれば下敷きになってしまうだろう。そんなことをする少女はいま地上にいるので、安心できるが。
「で、誰ですか、今回の相手は」
「浜田総司という男だ。言っておくが、手ごわいぞ。滋養風犬であろうと、倒せるかどうか」
「へー、そうですか。八つ墓兄妹は伊豆さんに同じようなことを言われていましたけど、大したことありませんでしたよ。っていうか、なんで今回は伊豆さんじゃなくて、砂川さんが来たんですか。なんだってあなたと一緒にいなくちゃならないんですか」
「いつになくきついことを言うな、獅子頭くん……そんなに俺が嫌いか?伊豆麻里は他の仕事で忙しいんだ」
俺は腕を組んで、砂川さんを視線から外した。そして、ホームの下、廃線となった線路のうえで浜田総司と対峙する風犬を見た。
今回の風犬はスポーツブラとムエタイパンツのぴっちりとした服装であった。そして、トレードマークのポニーテールは団子にして頭の上にまとめている。これは、相手の戦法に合わせたスタイルに変えているのだ。
「元・魔術型大企業『破魔モーターズ』の御曹司、浜田総司。ゆくゆくは社長の席に座る予定であったが、二十代のころ会社が倒産し、すべてを失った」
浜田は、着てきた洋服を脱ぎ、上半身裸に、ボクサーパンツ一丁の姿でストレッチをしていた。普段はタクシー運転手をしているというのが、信じられないほどの筋肉量であり、砂川さんには及ばなくても、十分ヘビー級の枠組みに入る肉体を持っていた。
武術をかじっていた俺にはわかる。あのからだを作るのは、並大抵の努力ではかなわない。
砂川さんの説明が続く。
「浜田は、まず日銭を稼ぐため、もともと身体能力には自身があったことから、東京タワー跡で行われていた地下格闘大会に参戦した。この時点で、浜田には格闘経験がなかったが、見様見真似のボクシングスタイルで勝利を重ね、ついにはトーナメント戦を制するまでに至った」
「恐ろしい才能ですね……」
武の道はとうに諦めた俺だが、輝かしい功績を聞くと、妬まずにはいられない。矮小な器で、なんとか称賛する。
「だが、警察省のガさ入れによって地下格闘は中止になり、再び居場所をなくした浜田は、タクシー運転手をするかたわら、副業として荒事にも手を染めるようになった。地下格闘のうわさを聞きつけた雇用主たちによって引く手あまただったそうだ、が」
砂川さんが言葉を区切る。
風犬と、浜田、両者のスタンバイが終わったようだ。風犬は、右手を前方に突き出し、左手を腰のあたりに置いている。空手の構えに近い。
「さあ、やろうか」
不遜な態度の風犬。
対して浜田は顎の高さに拳を構えたボクシングの構え。流儀は拳闘といったところか。
「お手柔らかに頼みますよ」
浜田は静けさのなかに獰猛さを潜めていた。
「あるとき、浜田は仕事で滋養風犬と戦う機会があった。そこで、浜田は言い訳もできないほどにコテンパンにされ……本格的に、格闘技を学び始めた」
開始の合図はない。
両者が、動き出す。
「リベンジ戦ってわけですか……」
だが、片腹痛い。
あの、滋養風太さんですら、風犬にリベンジを果たしていないというのに、ぽっと出が、そんな悲願を達成するなど、ありえない!
ふたりの距離が互いの射程距離にはいる。
そして―――。
浜田の拳が、風犬の顔面をとらえた。
吹き飛ばされる風犬の小柄な体躯。
「それから、五年だ。ボクシングで浜田にかなうものはいなくなったと断言できる」




