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第二話 『火種』③

「蟻沢さんじゃないですか」


「お知り合いですか」


 伊豆さんは不思議な表情で見上げてくる。ええ、と頷き、蟻沢さんのほうを向き直す。


 彼女は昔と比べるとずいぶんと落ち着いた服装をしていたが、チンピラのような雰囲気は変わらないままであった。


「お前背でかくなったなあ。もう生えたのか、下の毛」


 初球から下ネタを放り込む蟻沢さん。俺は苦笑いする。


「蟻沢さんは相変わらずなようで」


 ちょんちょん、と小突かれる。みると伊豆さんは頬を膨らませていた。蟻沢さんはそれを見てにやりと笑う。


「あ、デート中だった?彼女か?おい。ってあれえ、お前は風犬とくっつくとばかり思っていたんだけどなあ」


「ちょっと黙っていてください。伊豆さん、この人は蟻沢春(アリサワハル)さんって言って、昔よく風犬のお兄さんに連れられて行っていたお店でバイトをしていた人なんですよ」


 ほっと力の抜ける伊豆さん。笑顔で蟻沢さんのほうを向く。


「そうですか。初めまして蟻沢さん。私は武功会にこのたび派遣されてきた忍者省のものです。……今日はプライベートですけど」


「へえ、忍者省の。ああ、そうか、大変だなあ、お前。武功会とりつぶしだって?もしかしてお前が釈放されたのもそういうわけか」


「……いろいろ察しがいいですね」


 そういえば、この人頭はよかったのだった。普段の言動であまりそうは感じないが。


 確かに、俺はとある罪で収監されていたが、この事件で武功会の幹部が全滅したので、特別に事務処理要員として解放されたのだ。仮釈放ではなく、出所という扱いで。特例中の特例である。結局俺の仕事は伊豆さんがほとんどしてくれたので、タダで新鮮な空気を吸うことができてしまった。


「ま、今日はデートなんだろ、ほれサービス」


 蟻沢さんは空に手を伸ばす。すると手のひらから小さな黒い渦が生み出された。転送術を使用すると現れる転送ゲートである。



 蟻沢さんはそこに手を突っ込むと、バニラのアイスクリームを取り出した。そして伊豆はそれを渡される。


「ありがとうございます。転送術が使えるなんてすごいですね」


「だろー。こう見えてお呪い牧場に就職できてね、そこで学んだ。ま、今はそこ抜けて、ねこかだらけっていうメイド喫茶で、働いてんだけど。今日はその店の移動販売で来てるのよ」


 テントの横の看板にはポップな字体で店名が書いてあった。


 ねこかだらけ……どこかで来たことのある店名だ。



 ああ、そうだ。サンジェルに会った店か。悪魔の顔を思い浮かべ、急激にいやな気分になった。そうか、蟻沢さんは地獄で働いているのか……。


「行ったことありますよ、そのお店」


 伊豆さんは笑顔で会話をしている。彼女はその店で自分が睡眠薬で眠らせられたことを知らないのだ。


「おっ、じゃあ常連なってくれよ。私がいるときは安くしてやる」


 俺は社交辞令丸出しに、はい、と答えた。どうせこの人も、理由をつけて安くしようとしないだろう。そういう人だ。



 ちらりと横に目をやると、伊豆の右目が一瞬見世物小屋のほうに動いたのをとらえた。頃合いだな。


「では、俺たちはこれで」


「おう、呼び止めて悪かったな。楽しんで来いよ」


 軽く会釈をし、その場を後にする。


「次の休みの予定が決まりましたね」


 伊豆さんは無邪気な笑顔を向ける。俺は曖昧な返事をしてお茶を濁し、見世物小屋のほうへ歩く。伊豆さんはお茶を持っていたので腕は組んでこない。少し残念である。








 小屋の入り口に立つ。入口はカーテンで仕切られており、簡易的な施設であることを思い出させられる。


「あれ、もうトイレ混んでないですね」 


 見ると、俺たちが倉庫に向かった時には、小屋の外にまで並んでいた婦人の列が消えていた。


「そうですね」


 何気もなしに頷く。タイミングが悪かったか。もう少し待っていれば倉庫のトイレまで行かなくてもよかったな。俺は、カーテンに手をかける。




 その時だった。




 寒気が、した。



 身体の芯が凍ったかのような感覚。徹底された温度管理が行われているドーム内では、外的要因でこのような寒気が起こることはない。



 これは、俺の人生の中で経験したことがある。それまでの日常が一変する瞬間だ。そののち起こったことは、凶。大凶。



「伊豆さん、帰りましょう……」


 身体が震える。理屈じゃない。本能だ。本能が、逃走を呼び掛けている。


「どうしたんですか、いったい」


 伊豆さんが不思議そうに俺を見上げる。しかし、俺のこわばった表情をみて、顔を引き締める。


 伊豆さんは、コップを地面に置き、すっと息を吸うと、呼吸をとめた。小さい歩幅でゆっくり慎重にカーテンに近づく。彼女の手にはいつの間にか短刀が握られている。


 理屈はない。しいて言えば経験則だ。災厄が訪れるときはいつもこんな前兆があった。おそらく、カーテンの向こうには、悪が潜んでいる……!



 伊豆さんが空いた手でカーテンに触れる。そして、静かに開けようとした、そのとき。




「ネズミがいるな」




 美しい声が耳に突き刺さる。伊豆さんの声帯からは発せられない、大人の女性の声だ。



 ピシャン。



 なにかが割れる音がした。直後、靴下が染みる。足元に落ちていた、コップが割れ、お茶がこぼれたのだ。



「走ってください!!!」



 伊豆さんが叫ぶ。


 カーテンから無数の短剣が生える。間一髪、伊豆さんは後退し、その得物から逃れる。



 短剣の重さに耐えきれずレールが外れ、カーテンが地面に落ちる。すると、遮断物がなくなり、会場の全体があらわになる。



 広がる光景に、息を飲んだ。



 観客が、全員立ってこちらを向いていた。



 彼らの目は虚ろで、光が宿っていない。ショーを見に来た人間とはまるで思えない。



 気味の悪い光景。狂気的だ。



「はて生き残りがいたとは」



 再びあの美声が響く。声の主を群衆の中から探す。しかし、生気のある声をだせるものが、この中にいるとは思えない。自然、目線は会場の、奥、奥、奥へと進み、ついにはステージへ到達する。そこで、ついに一人の女体に焦点が定まる。



 その女は、先ほど俺たち手品を披露した、あの仮面の奇術師であった。



「まあいい。ヤレ」



 女が、右手を天に掲げる。ぎしり。ぎしり。錆びた歯車が動く音。これは音源がどこかを確認する必要はない。なぜなら、会場全体が同じ音を奏でていたからだ。



 群衆が蠢く。波のように、人の動きが前方に伝わっていく。それにつられて、視線を急激にバックさせる。すると、こちらへ駆ける少女が眼前に飛び込んできた。伊豆さんだ。



 伊豆さんは俺の横を風のように通り過ぎる。コンマ数秒遅れて、俺の肉体が後方へ引っ張られる。脳が追いつく。そうか、伊豆さんは俺の腕をとり、全力疾走しているのだ。逃げようとしているのだ。



 俺は、腕をつかむ手を振りほどき、体の向きを変え、伊豆さんの背を自分の足で追いかける。伊豆さんは手をほどかれた感覚から、俺の方を一瞬振り返る。後をついていこうとする俺の姿を視認すると、小さく頷き、再び前を向き、加速する。



 と、ここで、腕を一人の男に掴まれる。やばい。緊急事態だ!俺のからだはその信号に反応し、「皮膚をツルツルにする」。男の手が、俺の腕から滑り落ちる。脱出成功。再びアクセルを入れる。


 小屋の外へ出る。前方をかける伊豆さんは、赤レンガ倉庫敷地外へ出るため、出口のある右方へカーブする。俺もそれに倣い、上体を傾け、右に曲がる。足の裏、膝に大きな負荷がかかる。



 直進。


 直進。


 直進。



  ……ブレーキ! 茶の販売テントの前で立ち止まる!



「蟻沢さん、こっちについてきてください!今すぐに!」


 商品であるはずの茶を飲んでいた蟻沢さんは、はぁ?という表情を浮かべる。しかし、俺の走ってきた方向をみると、顔色を変える。



「なんだぁ!ありゃ!」

 


 蟻沢さんは驚きつつも、即座にからだを稼働させた。お茶の並ぶテーブルを飛び越え、俺の隣に着地する。彼女は、迎撃しようと近くにあった箒を手に取るも、すぐに手を放す。


「逃げたほうがいいな!おい!」


「はい!」


 気づけば、伊豆さんは親指程度の大きさになるまで遠くにいる。急いで追いかけねば!


 だんっとスタートダッシュを切る蟻沢さん。速い。下に履いていたのはスカートであったが、ものともせず、大股で地を蹴っていく。俺も息を整え、再び走る。



 首をひねり、背後に目をやる。



 人の群れが、無表情で、一糸乱れぬ動きで、こちらに向かって走ってくる。


 百や二百ではない、おそらくこの数、会場にいた全員が追いかけてきている。



 俺との距離、約10メートル。近い!だが、ロスタイムがあったことを考えると、こいつら遅い!これなら、振り切れる!


 思考のすべてを走ることに集中させる。牢獄暮らしで鈍った五体に鞭をうち、駆ける!

 


 走る!



 走る! 走る!



 走る! 走る! 走る!



 そして、生きる!



 足にこびりついた錆びが剥がれていき、体が軽くなる。光景が、どんどん過ぎ去る。



 蟻沢さんに追いつく。



 そのまま、抜く。


 伊豆さんが手のひらほどの大きさに拡大される。彼女は門の前に止まっていた。不法駐車してあった、サイドカーつきのバイクのエンジンをかけようとしている。



 俺はさらに加速する。


 ほどなくして、伊豆さんの前にたどり着く。5秒ほどおくれて、蟻沢さんも追いつく。


「動きます!私の背中にしがみついてください!」


 伊豆さんがバイクにまたがる。指令された通り、俺も伊豆さんの後ろに飛び乗り、彼女の腹に手を回す。蟻沢さんは、サイドカーに積まれていたクーラーボックスを投げ捨て、そこに座る。


「これ、あたしの乗ってきたやつなんだけど!」


 蟻沢さんが下から叫ぶ。


「お借りします!」


「オッケーだ!魔力は満タンだ!ぶっ飛ばせ!」


 伊豆さんが思いっきりアクセルを回す。轟音が響き、排気口から、魔力が一気に放出される。


 車輪が回転し、バイクが急発進する。逆風が頬を撫でる。


「蟻沢さん!転送術用意してください」


 伊豆さんが風でかき消されないような大声で呼びかける。蟻沢さんは了承し、腕を外に投げ出し、小サイズの黒い渦を手の平に形成する。そして小声で三十秒ほど呪文を唱えると、その黒渦は次第に大きくなっていき、このバイク一台が通れるほどのゲートに成長した。


 後ろにはもう追手はいない。門のところで人の塊は停止していた。


「通れ!」


 蟻沢さんはゲートを前方に放り投げる。車体が暗闇に吸い込まれる。




 体がふっと軽くなる。風景が漆黒に染まる。世界がリセットされたような、一色。音も、温度も感じない、不思議な空間。しかしほどなくして、闇に光が差し込む。




 突如、尻から突き上げる衝撃。ゲートを抜け、タイヤが地に接したのだ。世界が創生されたように、景色が復活する。



 色は緑。周りには木々が生い茂る。しかし森という感じではない。道には砂利が敷かれていることから、今走っているのは人の道だろう。木の間隙からは時折、水面が顔を覗かせる。



「ここは……兼六園、ですか」



 伊豆さんがバイクの速度を緩め、数メートル走らせたところでブレーキをかける。反動が生じ、体が前に傾く。サイドカーの蟻沢さんからは声が漏れた。

 


 伊豆さんはバイクから降り、ため息をつく。


「確かに、ここなら安全ですね」


 たどり着いたのは、第七ドーム都市、金沢。伊豆さんの故郷、忍者省の本拠地のある街であった。


「ナイスチョイスだろ?」


 蟻沢さんがサムズアップし、口角を吊り上げる。ええ、と伊豆さん。


 二人の会話から察すると、俺たちは安全地帯に逃げ通せたらしい。俺は、目をつぶる。


 目頭が、熱い。


「なんだってんだよ……もう」


 俺は、もっと平和に生きたい、のに。

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