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Step.7 クリームを塗って①

 ライブ当日。清水寺本堂のしたには、二百を超える観客がひしめき合っていた。このあたりには、かつては三重塔や奥の院など、さまざまな建造物があったそうだが、現存しているのはこの本堂のみで、木で組まれた土台のしたには野原が広がっていた。寺の背後には清水山がそびえており、さらに後ろにはドームの外壁が世界を狭めていた。


 ドームの外壁が近い場所ではどうしても圧迫感を感じてしまう。それに加えてこの観客たちの多さは息苦しさに拍車をかけている。京都のまちを歩いたときは、人通りが少なかったのに、どこからこんなに集まってきたのだろうと不思議でならなかった。


 砂川さんに聞くと、どうやら近隣のドーム都市、『神戸』や『堺』に京都の住人は避難していたらしい。ブレーメンのライブがあるという情報を掴んだ炎帝が、避難警告をしていたのだ。そのなかで、その警告を無視して飛び出してきたのが、ここにいる観客たちらしい。


 客たちは、高揚が隠せないようで、ライブも始まっていないのに、各所から雄たけびのような声が上がっている。俺には出せないエネルギー量だった。ブレーメンというのは、それほどに民衆の心をつかんだ革命集団なのだろうか。横で腕を組んでいた砂川さんに尋ねる。


「ブレーメンは、『音楽』を、用いて人々を掌握する。獅子頭君も気を付けろ。君は純粋だから、ころりとあちらに寝返りそうだ」


 大丈夫ですよ、と返しつつ、信用のなさにぐさりときた。砂川さんが倒達者なる覚悟を決めた理由は、言ってしまえば俺の不甲斐なさが原因なのである。力のなさは、罪だ。

 見上げると、高所に設置されたステージ、清水の舞台が見える。ブレーメンは、あそこで演奏をするのだ。いまは静けさが漂っているが、あと数分後には嵐が巻き起こる。未来の惨状を想像して、息をのんだ。


 砂川さんは、那須花凛、もしくはブレーメンのほかの誰かが演奏を始めた瞬間、彼らが立つステージに向かって『晶壁術』をぶち当てる手はずとなっている。そして、そのまま戦闘に突入し、ブレーメンを壊滅させる。乱暴な作戦である。


 以前の砂川さんであれば、こうも雑な作戦なら、異議を申し立てていたはずである。しかし、彼は倒達者になったことで、自信をつけたらしい。堂々と任せろ、と宣言していた。


「いまの俺は、強い。那須花凛の倒達技術でも、俺にきずを付けることは不可能だろう」


「……頼りになることで」


 おごる資格ある実力者なので、皮肉も言えない。砂川さんの変化は、成長なのだろうが、俺の浅い人生経験から言えば、正直危うい。倒達者になって暴威をふるった憐れな狩場瑠衣の末路を知っているからである。


 俺は砂川さんの後ろに隠れつつ、その、「最悪な事態」が起こった場合に、助けるためだけに動く。今回の俺の働きは、完全なるサポート役なのである。できれば、働きたくないところであるが。

 俺の腕にしがみついている伊豆さんが、不安な表情を感じ取ったのか、背伸びして頭を撫でてくれる。


「奈保さんだって強くなってますよ、自信を持ってください」

「ははは……ありがとうございます」


 乾いた笑いで、太鼓判を受け取る。


 伊豆さんとの修行は、地獄だった。スパルタだったわけではない。彼女は終始優しく稽古をつけてくれた。しかし、彼女の持つ戦闘技術は、俺のプライドをへし折るほどに高レベルであった。聞くと、忍者省は、主な業務は事務仕事ではあるが、万が一を備えて、皆ある程度の戦闘術を身に着けているのだという。


「大丈夫です! 私がついてますから!」


 伊豆さんのやさしさがつらい。



 砂川さんがあたりを見渡す。


「富士月見は、来ていないようだな……。さすがに、倒達者二人を相手にすることは難しいと考えていたのだが、杞憂になりそうだ」


 観客の中には、あの巫女服姿が見えない。変装している可能性もあるが、顔を合わせずに済んでいることに、胸をなでおろす。


「はあ、それは良かったです。俺、富士さんとは戦いたくなかったんですよ」


「確かに、富士月見の倒達技術、『天照』は、発動までの時間が短いうえに、一撃必殺技だからな」


 いえ、と俺は、伊豆さんが聞いていないのを確認して、砂川さんに耳打ちする。


「あのひと、パンツ吐いてないのに、そら飛ぶでしょう。目に毒なんですよ」


 砂川さんは、しばらく無言になったあと、一言放った。


「君は思春期ど真ん中だな」





 

 ざわついていた観客の声が、ピタリと止まった。何事かと上を見上げると、誰かが、大きく息を吸い込んでいた。



「エブリバディィいいいいいいいいいいいいいい!今日は来てくれて、嗚呼ありがとうううう!!それじゃあ、まずは、今回のライブの立役者、うちのボス、那須花凛ちゃんから一言おおおおお!」



 清水の舞台に最初に現れたのは、ニット帽にパーカー服の男だった。どうやら、司会進行役らしく、マイクパフォーマンスで客のボルテージを引き上げる。男は、舞台の端により、センターを開ける。

暗がりのなかから、人影が現れる。ざわつく人々。息をのむ。数秒後、ライトが点灯され、その姿が明らかになる。



 ピンクと白のスカート衣装を身にまとった少女。太ももと二の腕が光に照らされ、映える。会場の空気が一瞬波を引いたかのように、消失した。那須が首を傾げて、口角を上げる。



「みんなっ! 今日は盛り上がろうねっ」



 花が咲いたかのような、笑顔。



 次の瞬間、激情が地面から噴き出す。


「うおおおおおおおおおおおおおお」


 観客が、雄たけびを上げる。



「……あ、うわ……」


 口から言葉にならない声が漏れる。伊豆さんが、俺の腕を強く抱きしめる。はっとして、舌を見ると、伊豆さんは、悔しそうな表情をしていた。現実に引き戻される。……現実?俺は、どこに言っていた?


「すごい魅力だな……。だめだ、手を出せない……。気を抜くと、飲まれてしまいそうだ。伊豆、獅子頭くんの手綱は頼んだぞ」


 砂川さんが冷や汗を垂らしていた。周囲の観客を見渡すと、みな恍惚に那須を見上げていた。状況を理解する。俺は、取り込まれていたのだ。那須花凛という少女、「アイドル」の美しさに。


 サンジェルによる事前情報と、純金閣寺での邂逅を通し、俺の中で那須花凛の印象は、図太く、大胆で、力を楽しむ悪党だった。


 しかし、いまステージに立っていた那須は、その印象を吹き飛ばすほどに、神聖的だった。あふれ出した魅力は、偏見まみれの俺の心を作り変え、彼女にまるで……そう、



 『恋』をさせられているかのように、思わせていた。



 那須は、頭を下げると、暗闇に消えた。端にいたパーカーの男が、再びシャウトした。


「それじゃあ、警察に捕まる前に、いっちょかましたれ!一っ曲目は、渋いこいつらの登場だっ!ブレーメンの和太鼓集団「竜神太鼓』!!!」


 紹介と同時に、ステージの天井に、巨大な黒渦が現れる。転送術のゲートである。


 ドン!


 渦から、スモークとともになにかが降り落ちる。照度の低いライトが、ステージを照らす。

空より現れたのは、筋骨隆々な、ねじりハチマキの男たちだった。彼らは、それぞれ自分の前に大小さまざまな和太鼓を置いている。


 後方には、ひときわ大きな太鼓を前に、目を固くつぶる男がいた。人間大ほどもある、巨大な大太鼓。男は、肩をわずかにあげ、目をかっぴらく。


「はあああああ!」


 力強い一撃が叩きこまれる。轟音が、筒より鳴り響く。聴覚が、すべてその音に支配され、空気を伝う迫力に、からだが飛び上がる。



「『ナツマツリ』」



 男が演奏曲の名をつぶやいた。



 砂川さんが、片手をステージに向ける。その眼には強い意志がこもっていた。


「音に飲まれる前に、終わらす。あの男には悪いが、これから始まるのは、『血祭り』だ



 砂川さんは、『晶壁術』を発動させる。俺には、見えないが、とんでもないエネルギー量で形成されているのが、放出される熱量で理解できる。おそらく、倒達者となったことで砂川さんの魔力生成の絶対量が大幅に増加されたのだろう。


「行くぞ」


 空気が揺れ動く。砂川さんの手から、『晶壁』が放出される。目標は、ステージの和太鼓集団『竜人太鼓』。当たれば、木造の舞台など簡単に吹き飛ぶだろう。


 しかし、この戦場。


 うまくはいかない。


 観客のなかから、一人の人間が上空に飛び上がる。学ラン、すなわち炎帝府警察省に規定された軍服を纏った男が『晶壁』の進行方向上に立ちはだかる。


「あれは……!!!」


 見覚えのある顔、姿。間違いない。あれは、滋養風太。警察省戦闘第三課所属の、武闘派であり……。


 風犬の兄、「滋養風太」さんだ。



 風太さんは、手に握った十手を振り下ろす。すると、なにかが、砕けるような音が、鳴り響く。


「……さすがは、風犬の兄か。大したものだ」


「晶壁を……不可視の攻撃を、防いだのですか……!」


 伊豆さんは、信じられないという表情を浮かべる。俺は、厄介な乱入者に苦笑いを浮かべる。


「やりますよ、あのひとなら。おれには見えないですけど、たぶん晶壁は砕け散りました」


 その証拠に、風太さんが飛び出してきたあたりにいた観客たちから、悲鳴があがる。おそらく、晶壁の破片が降り注いだのだろう。


 武術型は、皮膚の摩擦を操作することができる。これを用い、武に通じるものは、おのれの身体を全身凶器の武器と化す。攻防の中で、受け流したり、攻撃に転じたりなど、その使い道は自由自在である。


 そんな摩擦術だが、修行の過程で、皮膚の感覚が通常より鋭敏になることがある。素早い皮膚の変化を繰り返したことによる、副産物であると考えられている。風太さんレベルの実力者となると、空気の流れを肌で完璧に把握し、見えない晶壁の動きをとらえることも可能なのだ。


「あの、砂川さん、伊豆さんと隠れててもいいですか?俺あのひとに見つかると面倒になりそうなので……」

 あのひとにテロリストの仲間だと認識されるのは、なんというか、辛い。繋がりを捨てたくないのだ。


 砂川さんは、頷く。

「任せろ。伊豆、獅子頭くんを頼んだぞ」 


「言われなくても!」

 伊豆さんが、俺の手を引く。清水寺の周りは、木々が生い茂っている。隠れる場所は、十分だ。


「よろしくお願いします!」


 砂川さんのサムズアップを見て、俺は彼を視界から消す。

 早く、隠れなくては。


 俺と伊豆さんは、観客から離れて、寺の背後の清水山に走る。あそこなら、万が一にも危険に晒されることはない。


 こちらを振り返ることなく、伊豆さんがつぶやく。


「あのときを思い出しますね」

「あの時……?ああ」


 伊豆さんがいっているのは、横浜で、狩場の千人隊に襲われたときのことだろう。伊豆さんに手を引かれ、襲い来る群衆に、必死で逃げた。


「いま生きてられるのは、伊豆さんのおかげですね」

「そんなこと……。もう、ほんと奈保さんは、褒め上手ですね。すべて終わったらちょっと抱きしめてくださいよ?」

「……ははっ、検討します」


 太鼓の音が鳴り響く暗がりを、二人で走る。緊迫した状況であるのに、空気を揺らす打撃恩に耳を傾け、じっくりと聞き入りそうになる。頭をふるい、気を張る。俺たちは、ライブに来たのではない、戦場に来たのだ。


「……うわっ」


 伊豆さんが足を止める。苦々しい表情を浮かべていた。


「どうしたんですか?」


「なるべく、目立たないように大文字山に向かってください。そうですね、ライブ会場のトイレを探して迷っているような感じで……」


「え……?」


 意図が読めず、戸惑っていると、おーい、とこちらに向かって誰かが呼びかけてきた。


「早く……!」


 俺は、訳もわからないながら、脚を動かす。

 誰が、来たのだろう……。その姿を確認することなく、俺は伊豆さんと別れた。





「よう、麻里。また会ったな」

 眼帯を付けたスーツ姿の女性が手を振った。


「アバレさん、どうも……」

 苦々しい表情で伊豆麻里は頭を下げた。


           〇


 砂川のもとに、滋養風太がたどり着く。


「ようやく見つけたぞ、砂川徹。どういうつもりだ?サンジェルは、ブレーメンを潰すつもりなのか?……いや、そんなことより、場所を考えろ。ここにきている一般人を巻き込むつもりか?」


「ふん……。ずいぶん優しい思想だな。この兄にして、あの妹が馬得るとは思えない。さて」



 砂川が、右腕を風太に向ける。

「サンジェル教団最高戦力、魔術型倒達者、砂川徹。このライブ、めちゃくちゃにさせてもらう」



 風太は、大きく息を吸い込み、十手のさきを砂川に向ける。

「炎帝府警察省戦闘第三課、名誉課長、滋養風太。このライブ取り締まらせてもらう」



             〇


「麻里よい、どうしちまったんだ?そんなに怯えてよぉ~」


 伊豆アバレは、伊豆麻里に近づく。その足取りは、不自然にゆったりとしており、伊豆麻里を警戒していることが読み取れる。


「いつも通りですよ、アバレさん。先日は挨拶もそこそこにすみませんでした。急に暴れだすんですもん」


「ああ、そりゃ悪かったな。ついつい、見境なく攻撃仕掛ける悪い癖だ。あっはっは……。だから、横浜での、仮面の奇術師討伐には入れてもらえなくてなあ……。まったく、私がいればあんな損失でなかったろうに、な!」


 間合いに入った。伊豆アバレが、腕を振り下ろす。肘から先が伸び、前腕が伊豆麻里に襲い来る。


「……っ!」


 伊豆は、後方に飛び、それをかわし切る。奇術型の伊豆アバレは、肘の技術器官『奇球関節』に三棍棒を取り付けている。不意をつければ、痛烈な打撃を与えられた。


 そこで、両者は、理解する。互いに、敵対する意思があると。


 伊豆アバレは、笑う。


「へへっ。実はお前にもサンジェルに加担してるって容疑がかかっててな。泳がすつもりが、遠泳しちまうんだから。ってなわけで、おとなしく、事情聴取されねえか?」


 伊豆麻里は、無言で、懐から小刀を取り出す。回答を受け取ったアバレは、三棍棒を引き寄せると、麻里を睨んだ。


「伊豆麻里、畑違いだが、風太の旦那に代わって、てめえを監獄にぶち込んでやる……!」


「伊豆アバレさん、あなたの喋り方、昔から嫌いだったんですよ!いい加減に縁を切らせてもらいますよ」



        〇


 滋養風太は、才能の塊であった。妹に敗れるまでは、彼は間違いなく、武功会最強の称号にふさわしかった。現在、彼は警察省に配属されているが、そこでも確かな実力を発揮している。


「いままで何人かサンジェルの部下とは戦ってきたが、砂川徹、お前はやつらとは一線を画した強さを持っていると伝わっている」


「……褒められて悪い気はしないな」


 風太が、十手をしまい、砂川に飛び込む。全身の体重を乗せた、徒手空拳。まずは、様子見である。砂川は、晶壁を張り、防御する。風太の前進が止まり、拳が出血する。


「……硬い!……素手はやめたほうがいいか」


 十手を再び取り出し、風太は、砂川の後ろに回り込む。


 速い……。砂川は、風太のその動きに感心する。風太は足の裏の摩擦を滑らかにし、高速移動をしていた。武功会に伝わる技法である。滑らかで素早い動きが目で追えず、砂川は受ける覚悟を決める。


 がら空きの背中に、風太の十手がめり込む。確かに、当たった。しかし、砂川の巨体は筋肉により守られており、響いている様子はない。


「……晶壁を破られて警戒していたが、そんなものか?」


 砂川はゆっくりと首をひねり、風太を見下ろす。


「……まさか。手加減した」


 風太は本気が通じず、内心焦る。あの時、晶壁を破れたとき、反作用で、風太の腕の筋肉は断裂していた。すでに彼はダメージを追っていたのだ。


 次に直撃すれば、ただでは済まない。風太は学ランを脱ぎ捨て、上裸をそとに晒す。さきほどのように、見えない晶壁を感覚で察するためである。


 砂川は、風太の消耗に気が付く。風太の発汗が序盤から多量だったためである。砂川は慎重に、確実に削っていく方針を定める。



 そして、晶壁を放つ。



 風太は、空気の流れで、壁の接近を感じ取る。右に移動する。


 すると、次は、右から圧力が感じられた。風太は足の摩擦でブレーキをかけ、前に方向転換する。


 直進上に、砂川を見据え、風太は十手を振り上げる。勝負は、長引かせない。この一撃で決める。



 滋養風太、渾身の打撃!



 砂川は晶壁を張ることなく、その攻撃を受け止める。口から洩れる血。砂川は膝をつきながらも、風太の腕をつかむ。


「……さすがに、強いな。二撃めで、すでに我慢が利かない」


 砂川の握力に捕らえられた風太は、その拘束を解こうと、空いた脚て蹴りを放つ。切れのある頭部を狙った打撃。しかし、砂川は、片腕でそれを防御する。


「……っ!……だが、風犬ほどではない!」


 砂川は、全身へ響いた衝撃に堪え、風太の足を掴む。


「うおっ!!」


 腕と足を掴まれた風太は、なすすべもなく、砂川に持ち上げられる。砂川ほどの巨人にとって、風太のからだは女子どもと大差なかった。

 状況の悪さに風太は歯を食いしばる。地面に、投げつけられる?それともこのまま握力で、四肢を破壊される?風太は、さまざまな想定をする。


 しかし、予想外にも砂川は風太の身体を、放り投げただけだった。


「……!?」


 なすすべもなく空を飛びながら、風太は訝しむ。どういうつもりだ。追撃を警戒したほうが、いいのか?


 直後、風太の背中になにかがぶつかる。肺の空気が外に出て、むせる。しかし振り向くと、そこにはなにもない。


「晶壁か……?」


 さきほど風太がかわした壁が、そこに残っていたのである。


 はっとして、風太は右を触る。壁がある。左を触る。壁がある。上を触る。壁が、ある。


 風太は、前方のみ開いた『箱』に入れられていた。砂川が正面から、手のひらを向ける。


「滋養風太。終わりだ」

 

 砂川徹が、倒達者として得た発火技術は、『完壁(コンプリートクリフ)』魔粒子の密度を高めた壁によって作られた箱は、熱を通さない密閉空間を作り出す。そこへ、蓋を閉じることで力強く圧縮すると……。



 『断熱圧縮』により、箱の内部で発火が起きる。



「『箱男』。俺の通り名だ。覚えておけ」


 砂川の手から、可視化できるほど魔粒子の密度の高い壁が放出される。



「…………!!!」



 箱の中が、燃え上がった。



 警察省、滋養風太。リタイヤ。



            〇   


 伊豆アバレの猛攻に、伊豆麻里はひたすら回避をつづけた。


 アバレの攻撃手段は、三棍棒による中距離攻撃と、まきびしの投擲による遠距離攻撃である。ひたすらに腕を振り回し、指で凶器を乱れうつ。全体攻撃的なこの流儀は、味方とともに行動する『横浜での作戦』には適さなかったが、全員敵状態の『グレン牙』との戦いには、有効であった。


 巻き込むことを考えなければ、伊豆アバレは強い。


 だが。


 伊豆麻里はいまだ傷ひとつついていなかった。


 アバレが、一度三棍棒を引き戻し、攻撃を中断する。


「おい、麻里……逃げてばかりじゃなく、反撃してこいよ」


「いやですよ。アバレさんが力尽きるまで私は待ちます」


 舌打ちとともに、アバレが腕を振るう。伊豆麻里のの足元を、三棍棒の先が襲い来る。


 しかし、伊豆麻里は、その場で跳躍し、その攻撃をかわす。


 あたりを見境なく破壊する、アバレの攻撃は、地形を変え、不安定な足場を作っていた。そのため、いずれは態勢を崩すはず。アバレはそう考えていたのだが。


 伊豆麻里は、どのような場所にいても、どんな態勢からでもすぐさま起き上がり、跳躍による回避に成功していた。まきびしの雨と三棍棒の嵐は、一切通用していない。


 奇術型は、からだじゅうにあるボールジョイント、奇球関節に武器を接続することで、からだに暗器を仕込むことができる。


 伊豆麻里の場合、彼女は膝と腕に『バネ』を付けていた。


 伊豆麻里は、このばねにより、高速移動能力を手に入れていた。初速でいえば、獅子頭奈保の走力を超えるほどの、素早さである。また、バネは中心が空洞となっているため、体内を収納スペースとしても活用できる。


 跳躍による脱出と、収納による隠ぺい。彼女の改造は、『スパイ』としてこれ以上ない力を発揮できるものであった。


「ばねによる改造は、奇術型にとってはありきたりすぎるが、極めるのは難しい。伊豆麻里、てめー結構やるじゃねーか」


「それはどうも」


 伊豆アバレは、忍者省において、兵器製作にかかわっていた。奇術型が使用する暗器については、精通しているはずであった。しかし、伊豆麻里ほどの使いこなし方は、アバレにとって想定外であった。


 まきびしの残量が、ついに切れた。伊豆アバレは、冷や汗を浮かべる。


「くっそ、てめえにこんなに構うつもりはなかったんだけどな……」


 伊豆麻里は、呼吸を整える。好機。ようやく攻撃に転じる。


 地面を踏み抜いた勢いある跳躍。アバレの頭上を伊豆麻里が飛び越える。そして、アバレの後ろに回り、小刀をもって、突撃する。


 アバレは、動かない。



 刃の切っ先が、アバレの皮膚に触れた、その瞬間。



 伊豆麻里のからだが、吹き飛んだ。



 地面に強くあたまを打ち付けた伊豆麻里は、うめく。なにが起こったのか。目を開くと、アバレの背中が『開いていた』。


「麻里よ、悪いけど、バネ使いとしては私のほうが、上だ」


 アバレの最後の隠し武器。それは、背中に取り付けたバネ装置であった。背後から攻撃を受けた際、バネが発動し、攻撃者を吹き飛ばす。相手の攻撃が強力であるほど、その威力は増す。


「……!!!」


 伊豆麻里は、なんとか立ち上がるが、脳が受けたダメージは深刻だった。地面とは、自然が生んだ、最大の凶器である。伊豆麻里は、アバレの輪郭がぼやけて見えていた。


 たったの一階のミスであるが、ここまで形勢は変わる。伊豆麻里は、絶体絶命の状態に追い込まれたのである。


「奥の手まで出させやがって……。麻里、悪いがちょっと眠ってろ!」



 アバレが腕を高く上げる。その瞬間。




 今度は、アバレのからだが吹き飛んだ。

 

 

「伊豆、大丈夫か」


 視界から消えたアバレの代わりに、巨大な手のひらが差し出される。手を差し伸べたのは、砂川であった。


 彼は、勝利に油断したアバレに、横から晶壁をぶち当てたのだ。


「……滋養風太は」


 伊豆麻里が声を振り絞る。砂川は安心しろ、と伊豆の瞼を閉じさせる。


「あいつは倒した」

「それは、よかったです……」


 あんどした伊豆麻里は、気を失った。


 砂川は、彼女を横に倒し、『箱』のなかに入れる。医者としての経験から、これ以上戦わせるわけにはいかないと判断したのである。


 そこへ怒声がやってくる。


「おいっ!てめえ、なんだ!いきなり!」


 左半身が血だらけになったアバレが、砂川に向かって走ってくる。思わぬ帰還の早さに、砂川は驚く。


「まだ動けるのか。すごいな」


 砂川は称賛した。そして、無慈悲に再び晶壁を放つ。正面から壁にぶつかり、彼方に吹き飛ぶアバレ。地面にたたきつけられ、今度こそ動かなくなる。



「……さて、ようやく、ブレーメンだが……意外とつらい。少し休憩しよう」


 砂川は、滋養風太によって打たれた箇所を抑えてうずくまる。




 和太鼓の演奏がやんだ。


 伊豆アバレ、伊豆麻里。リタイヤ。

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