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第二話 『火種』①

 次の日の朝、デートの前に病院に立ち寄ることにした。

 

 伊豆は仕事以外で風犬の顔を見たくないという意思を、波風立たない言い方で伝えてきたので、一階の待合室に座らせておいた。


 階段を上り、風犬の病室のある四階へ。角を曲がったところで衝撃。尻もちをつく。顔を上げると巨漢がそびえたっていた。


「すまない。けがはないか」


 ぬっと男の手が差し伸べられる。しかしその手のひらは大きく、好意に甘えたいが、つかみにくそうだ。申し訳ないが自分で立ち上がらせてもらった。


「ありがとうございます。大丈夫です。すみません前方不注意でした」


 巨漢は苦笑いしながら目的を失った右手を頭の後ろに持っていく。



「気を使わせてしまったか。病院で医者がケガ負わせちゃあ笑えない。……今日も滋養さんのお見舞いだろう。しかしタイミングが合わなかったな。彼女いまは眠っているよ」


 男は医者である。先日、滋養風犬の担当医に任命された。名を砂川という。



「絶対安静の体なのだが、彼女手癖が悪くてね、気が引けたが強めの鎮痛剤を打たせてもらった。夕方までは起きないだろうな」



「そうですか……。では今日は帰ります」


「むっ?寝顔くらい見ていかないのか?別に面会謝絶というわけではないのだが」


「いえ、もともと長居するつもりはなかったので。待たせている人もいますし」


 寝ている人間を見てもどうにもならないだろうに。なにを言っているのだ、この人は。


 砂川医師はそういうものか、と納得する。


 去る砂川医師の背中を見ると白衣に無数の切れ込みがあった。大方注射のときに風犬に破られたのだろう。彼女は見るまでもなく、十分、元気だ。


「……俺も戻るか」


「まあ待ちなさい」


 後ろを振り返ると、サンジェルが右手をひらひらと振っていた。



「お前はどこにでもいるな……」


 神出鬼没の大悪党。昔はそのような触れ込みでサンジェルは世間から畏怖されていた。しかし二十年前に呪術型企業、お呪い牧場が転送術を確立してからは、ただの大悪党である。


 サンジェルは何も言わずにツカツカと歩を進めると、ぴたりと体を密着させた。彼女の頭が胃を圧迫する。憎い相手だが、幼い容姿の少女を強いは引にどけるのは気が引け、されるがままになる。


「使ってないのね。せっかくあげたのに」


 サンジェルを強く払いのける。おっとっととよろけながらもサンジェルは転ばなかった。



「気に障った?ごめんごめん。こちとら根っからの研究者気質でさ、実験体の経過がちょっと気になったのよ」


「用はそれだけか?」


 自分にしては珍しいほど怒りのこもった声だったが、サンジェルは顔色一つ変えなかった。


「いやいや。私があんたに会いに来る理由はもう一つあるでしょーが。仕事、引き受けるの?断るの?」


「……考える期間が短すぎるだろう。昨日の今日で人ひとり殺せるメンタル身につかねえよ」


「一人?……まあそうか。そうよね。……そういえば報酬の話してなかったね。案外これ聞いたらコロッと即決かもよ」


 欲しいものなど、ない。正直なにを提示されても心動く気がしない。……はて、ならばなぜ俺は返事を保留しているのだろう。


「成功報酬は、金だ。具体的な金額はあんたが決めてくれていい。いくらでも用意する」


 ……金?確かに金はあって困らないが、特別に魅力的なものでもない。金があったところで、武功会を再建することは不可能。人材が圧倒的にたりない。生活費として使うにしても、蓄えはあるしそんなに多くはいらない。



「サンジェル、せっかくだが、断らせてもらう。金にはそんなに困ってないからな」


「へえ」



 サンジェルはわざとらしく驚いた顔をした。


「あらあらあらあら。もしかしてだけどお。この紙、まだ届いてない?」



「紙?」


 サンジェルの手にはいつの間にか紙が握られていた。純白の上質な紙。右端には炎帝府の公式な文書を示す炎の字の判子。……嫌な予感がする。



 サンジェルはそれをすっと俺に差し出してくる。恐る恐る目を通すが、読み進めるごとに、みるみる体温が下がっていく。


「わかった?あんたがいま置かれている立場。その文書は昨夜あんたのところに届くはずだったんだけどね、なーんか手違いで私に届いちゃったのよお」


 白々しい!この悪魔が!どうせ炎帝府の使者から奪ったんだろう!


 文書の内容によると、炎帝府は武功会の解散に伴い、二つの最悪な命令を俺たちに出しているようだった。



「炎技会の開催中止に対する賠償金の請求。そして財閥解体特別法により、武功会の所有する財産の没収。これは武功会幹部、および本部在籍の者に限り、個人財産も没収対象とする」


「財閥解体法ってなんだよ……。そんな法律なかっただろ。そもそも解体はまだ正式決定じゃない。武功会傘下の連中と協議中だ」


「だから特別法だって。これも昨夜成立した。いやー清々しいまでのスピード採決だったね」


 頭がくらくらする。炎技会中止の責任は、財閥解体とは別にとらされることは想定していた。しかし、これは余りにも……ねらい打っている。武功会幹部で生き残りなんて俺と風犬だけではないか。なだれ込んできた遺産をすべて没収するなんて、非道すぎる。


「この国の法律は、すべては炎帝府の自由。もはやあんたの意見は通らないよ。賠償金だけなら払えない金額ではないのかもしれないけどねえ。残念、奈保ちゃん無一文ですっ」 


 サンジェルの挑発が加速する。



「どうする?スローライフ計画は崩れたみたいだけど?金がないなら稼ぐしかないよね、明日の為にも。どこかに就職する?でも難しいんじゃないかなあ。元大企業の幹部なんて雇う側も扱いにくいよ。さあ、困った困った」


 何も言い返せない。


 俺はいままで事態を甘く見ていたのかもしれない。自分の古巣である武功会。そこに愛着はなく、壊滅したとき驚きはしても悲しむことはなかった。だから目まぐるしく動く事態もどこか自分は関係ないようなことのように感じていた。


「武功会の解散についてあんたら内輪もめしているみたいだけど、炎帝府は問答無用に、七日後に解体を実行することを決定したようよ」


 他人事なわけがなかったのだ。現実に気づく。俺の置かれている状況は、最低の危機的状況。これまでの行動とこれからの選択、一つ一つが軽んじることのできない運命を定めるもの。


「さあ、どうする?獅子頭奈保。私の手をとる?」


 目の前に小さな手が伸びる。幼い少女の手。マメもささくれもあかぎれもない、美しい五本指と手のひら。まるで、天使だ。



 このままではどうにもならない。一か月後には飯すらありつけない。


 俺は頭を回転させる。どうする、どうすれば、いい。



 待てよ……これ、断ったら、殺されるのではないだろうか。そうなれば、風犬はひとりになる。そうだ、この依頼を受けなければ、風犬は生活できない!風犬のため、この話、受けるしかない!



 俺は目がぐるぐるしているのに気づかないふりをする。正常な判断でなくて結構。いまは、ここを乗り切ろう。


「……望むところだ」


 俺は、悪魔の手を握った。



 サンジェルはほくそ笑む。


「地獄にようこそ」


 バカ言え。地獄になんてとっくに落ちている。


 地獄の中でより暗いところに引っ越すだけだ。


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