第一話 『薪』③
武功会の拠点は旧武道館ある。武道館とは前史では音楽コンサートやスポーツイベントなどを開催していた施設であったが、現在までの度重なる改築の末に地上十階、地下三十二階の企業本社兼巨大軍事施設になった。
子供のころはよくここで風犬とかくれんぼをして遊んでいた。そのためこの施設の間取りはすべて、とはいわないが、ほぼ把握している。
ところで懐かしい思い出を一つ。かくれんぼでは仕事の邪魔にならない、普段は人がいない場所を選らんで隠れていた。そのため一度男女の逢瀬に出くわしたことがあった。あのときの胸の高鳴りは今も忘れない。
喫茶ねこだけから伊豆麻里を持ち帰り、とりあえず俺の部屋のベッドに横たわらせておいた。サンジェルいわく、あと二時間は起きない。
伊豆は責任感が強く、仕事が中途半端なら決して寝ようとしない。彼女の健康面を考えるともしかしたらこのように無理やりにでも寝かせるのは良いこととなったのかもしれない。
「さて、自由時間か」
牢獄からの癖で独り言が多くなっていることに気付いた。そのうち直そう。
真っ暗な板張りの廊下を渡り、ふすまの前に立つ。金粉がまぶされた立派な入口ではあるが、残念なことにところどころに茶色のしみがこびりついている。血痕だろう。
少し上を見上げると木札があった。目を凝らすと文字が読める。「残花の間」。
ふすまを開けると畳が広がっていた。土足のままだがそのまま足を踏み入れる。
入室したのは宴会場である。先日の惨劇はこの場所で起こった。
眉をひそめながら広間の中心くらいまで進んで、止まる。吐き気が込み上げたのだ。
広さ約七十坪の座敷。一応掃除はされているが、いくつかの畳には血肉がはさまっている。消臭してあると聞いているが、気にしすぎなのか血の匂いも感じる。
死体はすでにこの場所にはひとつもない。 しかしそれは、すべての死体が回収されたという意味ではない。
数十あったはずの死体は、消失したのだ。
事件後宴会場に転がっていたのはひどく損壊した遺体の各部位のみ。
警察の捜査結果によるとそこにあるものを繋ぎ合わせても、せいぜい八人分程度であり、館内の他の場所を探して見つかった損壊遺体を加えても十五人分にも満たなかった。
警察が見つけられなかったのかもしれないと思い、ここ数日俺は伊豆の送り迎えの合間に内部の者しか知らないような館内の場所、人目のつかない場所を歩き回っていた。
しかし結果的に言えば無駄足だった。関係者立ち入り禁止の扉を七つは潜り、果ては関係者含め立ち入り禁止の秘密の部屋にも足を運んだのだが、そこにはなんの秘密もなかった。
警察が入念に調べているだろうと後回しにしていた、現場であるこの宴会場にもついに入ったが、有益な情報はなし。胃の内容物の前に、つばでも地面に吐き出したくなる。
「あー、やだ。もう出よう」
大体なぜ俺はこんなことをしているのだ。
よく考えればそんな義理ない。武功会には育てては貰ったが、正直居心地は悪かった。だからむしろ壊滅したことでスッキリした。
亡くなったやつらの恨みを晴らそうなんて気はない。そうなるとこうやって自主的に調べているのはどうしてだ?行動のエンジンがみつからない。
……?俺は、何をしている?ナニがしたい?ナンデ生キテルンダ?アレ?オレッテナンダ?
ハッとして、思考の渦から這い上がる。
まったく、ほんとに。
人生において大事な思春期を牢で過ごした害は思った以上にでかい。こんな性質社会には適さない。僕もそのうちどこかの会社に就職して働くことになるかもしれないのに。
武功会の幹部が全滅したことにより、俺の知らないうちに幹部候補生にまで昇進していた滋養風犬は繰り上がりで会長に就任した。
しかし、武功会本部の人間がゼロなうえ、系列の稼ぎ頭の企業の長までもが死亡している状態ではすぐさまの通常業務の再開は厳しかった。
伊豆の働きかけにより、各企業代理の社長を立てたが、炎帝府は武功会の継続は困難と判断し、財閥の解体を促した。
天下の大財閥がどこの馬の骨ともしれない賊により壊滅し、信用を失ったことが、炎帝府の判断の根拠である。
武功会には財閥の看板を背負わせるにたる資格がない。そう炎帝府に判断されたら終わりである。
実は六大財閥は過去に炎帝府により五つに減らされている。実のところ、六大企業、または六大財閥と、名称がぶれぶれだが、そもそも、数からしてちゃんとしていないのだ。
六大なのに、五つ。まあ、何が言いたいのかというと、炎帝府には、財閥を見捨てた実績があるのだ。
滋養風犬は勧告を受け、武功会の解散を迷わず主張した。
しかし傘下の企業はそれに反発し、最終決定は遅らせている現状である。
このまま武功会がなくなれば俺は浮浪人。気が重くなる。……そうなると、風犬とはどうなるのだろう。離れ離れか?
「せっかくまた会えたのになあ。それは少し、寂しいもんだ」
はあ、とため息をつく。もう、出よう。伊豆の寝顔でも拝んで時間を潰すとしよう。
踵を返すと、そのタイミングでぐちゃといやな音が足元からした。
恐る恐る目線を下げると案の定肉片を踏んでいた。最悪だ。もうリバース秒読みかもしれん。
靴底のソレをきれいな畳の粗いところにこすりつける。とれたソレは黒ずんでいた。
……真っ黒だ。焦げている。炭……つまり、火か。
狩場瑠衣の話を思い出す。
「最悪だ……」
話が繋がってしまう。この痕跡とタイミングからして襲撃者の犯人は……。
俺は深いため息をついた。
倒達してんじゃねえよ。
○
「……なにもしてないですよ」
自室に戻るとベッドの上に毛布で胸元を隠し、上目づかいでこちらを睨む伊豆がいた。尻のほうにも手を回し、必要以上に身をさらさないように気を使っている。
「………」
なにもしゃべらない。まとった警戒心の強さは初対面のとき以上にみえる。さて、どうやって氷解しよう。
「喫茶店で起きなかったので、連れて帰ったんですよ。伊豆さんの部屋どこだか知らなかったので、俺の部屋に寝かせといただけです」
旧武道館は、増築の繰り返しにより、いまはアリーナの地下には研究施設、上には宿泊、住居ゾーンの階が作られている。
伊豆は、無反応である。状況的に疑うのも無理はないが。
「えーと……」
伊豆がにこっと口角を吊り上げる。
「そんなに簡単に子供はできないです。シャワー室はどちらですか」
「なにもしてないですから!」
思わず大声を出してしまう。すると伊豆は毛布に顔をうずめて小刻みに震える。そしてちらっと眼をのぞかせる。
「ふふっ……獅子頭さんはまじめですねー。でも汗かいたのでシャワーは浴びせてください。報告はそのあとで」
「あっ、はい。こちらです」
……サンジェルが伊豆を押す理由がわかった気もがする。
〇
武功会の解散について、会長と新幹部の意見のすれ違いから、一週間後の滋養風犬が退院する日に、旧武道館にて傘下企業の代表を集めた会議が開かれることになった。
そこでの話し合いと、最後の多数決ですべてが決定する。武功会本部からは滋養風犬のみが出席するとのことだ。というか、それ以外には俺しかいない。
「私の仕事はひとまず終了で、ここからの業務は忍者省の上司が引き継ぐことになりました。会議の結果によってまた仕事が回ってくるとは思いますが、明日から一週間は休みとなります。」
伊豆のシャワーをベッドで座って待っていると、彼女はウサギの顔が全身にプリントされた寝間着に着替えて帰ってきた。そして俺の横にちょこんと正座すると、報告をはじめたのだが、なにやら様子がおかしい。
左手は水でまとまった髪の束のひとつを指に巻き、右手は自分のひざのあたりをゆっくり撫でまわしていて、そわそわしているようだ。
「そうですか。では、改めてお疲れ様です」
「………」
伊豆の右手の動きが加速する。
「ありがとうございました」
「………」
左の指が頭頂部まで進む。
「あの、とても感謝しています」
なにを言って欲しいのだろう。言葉を待っているようだが、求められているものが見当たらない。
斜め下を向き溜息を落とす伊豆。
「デートに誘ってくれてもいいんですけど?」
「え、デート?」
突然のお誘いに、混乱する。誘う?俺が?というか、その切り出しは、もはや伊豆さんのほうから誘っているようなものだろう。
……はて、本当に彼女が寝ているあいだは何もしていないのだが、どう誤解を解くべきか。でも、待てよ。
思考する。僕が伊豆とデートか。楽しそうではある。だがしかしだ。していいものか。風犬の顔がよぎる。あいつはどう思うのだろう。
風犬とは幼馴染である。それ以上の関係ではない。ならば、よい……のか。
風犬が俺に嫉妬の感情を見せたことはない。彼女は案外束縛体質ではないのか?……いやそういえばそもそも風犬以外で同世代の女の子と話したことはあまりないかもしれない。嫉妬する対象が近くにいなかっただけか。
そうだ。女の子とデートすると考えるからいけないのではないか。「伊豆麻里というひとりの人間」の「用事に付き合う」。こう解釈するのはどうだろう。
仕事外で「伊豆麻里」と会うことを風犬が容認するかを考察しよう。
伊豆と風犬は仕事関係上何度も顔を合わせている。しかし俺がふたりの間に同席したことはない。さらに言えばふたりから互いの話は滅多に出てこない。そのためふたりの仲は推測するしかない。さて、なにかヒントはあっただろうか。
そういえばこんなエピソードがあった。
もとは伊豆が風犬から伝え聞いた内容を傘下企業に伝えに行っていた。しかし俺が出獄して以降は、風犬が俺以外の人間を面会謝絶にしたので、伊豆は風犬の意思を俺経由で得ることに決まった。無駄な変更経路である。
この件を考えると、風犬にとっての伊豆の好感度は決して高くはないだろう。伊豆とデートすることで風犬の機嫌が悪くなることは容易に予測できる。
……危ない橋を渡りたくはない。
伊豆には悪いが、ここは断らせてもらおう。
「すみません、伊豆さん。……いない!」
はっとして部屋の入口を見ると扉を閉めようとする伊豆がいた。
「じゃあ明日の朝向かいに来ますね。良い夢を」
バタン、と。伊豆が消える。
「あー…」
また考えすぎていたようだ。
「ま、いっか」
ベッドに倒れこむと、石鹸の香りがした。伊豆の残り香と混ざり合い、芳しい。
……今夜はよく、寝られそうである。