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Step.1 卵をかき混ぜて ???

 少年は、ひとりでは抱えきれないほどの洗濯物をかごに入れて、よろめきながら道を歩いていた。ドーム都市を流れる人工の川で服の汚れを落とした帰りである。その服のサイズは千差万別で、子どもものと大人ものが乱れて入っていた。少年は思春期であったため、女性ものの下着も混じるこの洗濯を気恥しく思っていたが、共同生活を送る彼らにとって、洗濯は交代で回ってくる仕事であるため、拒否することは難しかった。


 少年は細身であり、その見た目にたがわず貧弱であった。自らの暮らす家、霧島孤児院についたとき、彼の腕は力を失っていた。かごを地面に下ろし、その場にへたり込む。扉を前にして、開ける気力も残っていない。誰か中の人が開けてくれないだろうか、と他力本願なことを考えながら少年は上空を見上げていた。


 天上には壁。ドームの限界点である。あれを見るたびに言い知れぬ圧迫感が少年の心を支配する。どこへ行こうと、逃げられない。そんな感情が沸き上がる。晴れることのない鬱屈に溜息をし、彼は立ち上がろうとする。


 すると、後ろからにょき、と腕が伸びてきた。振り向くとそこには青年が笑顔で手を差し伸べていた。少年はその青年をむっとした表情で見つつも、その手を取り、起き上がらせてもらった。


「君は虚弱だねえ。川からここまで、五十メートルってとこだろう?そのくらいでばてていて男として恥ずかしくないのかい?」


 青年はニヤニヤとしながら少年をからかう。彼の顔立ちは端正で、まさに絵にかいたような美青年であった。背も高く、見た目の欠点が上げられない。嫌味さえもこの男が言うと爽やかに加工されてしまう。


「そう言うなら、千堂さんも手伝ってくださいよ。あんた、うちに出入りしてタダ飯くらってるんだから、少しくらい役にたってもいいんじゃないですか」


 青年、千堂千歳はふふふ、と笑いながら少年の前に回り込む。


「君はおかしなことをいうね。まるで私が役立たずのようじゃないか。私の有用性、君も気づいていないわけではないだろう?それに、いまだって君の役に立った。君を立たせてあげたし……」


 千堂は扉を開ける。


「中に入れることもしてあげた」


 少年は肩をすくめる。これ以上何を言っても無駄だと判断したのだ。彼はかごを抱えると、ふらつきながら家の中に入る。すると、扉の前にいた、エプロン姿の女が、出迎えてくれた。


「あら、お帰りなさい。未来くん。あ、千堂さんも、こんにちは。三日ぶりですね」


 女は玄関の掃除をしていたようだった。手に持った箒を壁にかけ、道をあける。未来と呼ばれた少年は、ただいま、と言いかけるが、途中でやめて、無言で靴を脱ぎ、家の奥へ進んでいった。洗濯かごを担いで。


「あらあらどうしたのかしら。機嫌が悪いようでしたけど」


「疲れているだけでしょう。それより、美影さん、今日も美しいようでなによりです。そろそろ稽古の時間でしょう。掃除は終わりにして道場のほうへ行ったらどうです?」


 千堂は女から箒を奪い取ると、ささっとその場で埃を履いて見せた。


「もうそんな時間?子供たちを待たせてしまうわ」


「ええ、ええ。急いだほうがいい」


 女、久本御影はエプロンを外すとそれでは失礼します、と言い残し、孤児院の裏にある道場へと駆けていった。彼女は、この孤児院の子どもたちに古武術や剣術などを教えているのだ。その後ろ姿をみて、千堂はつぶやく。


「本当に、美しいひとだ……」





 未来少年は洗濯物を干し終わると、台所へ向かった。稽古している子供たちの夕食を作るためだ。材料は外の畑で育てている野菜と炎帝府からの支給品の調味料。貯蓄してある水をタンクから出し、鍋に入れる。そして、黒い板の上にそれを乗せる。熱供給板。炎帝府から送られてくるエネルギーを熱に変換して用いるものである。通常、一般家庭には品であるが、以前孤児院あてに寄付され、手に入ったのだった。


 野菜を切っていると後ろから千堂が近寄ってきた。


「未来くん、未来くん」


 少年は無視する。切った野菜をボウルに入れる。千堂は反応がなくともめげずに話し続ける。


「今度、美影さんにプレゼントあげたいんだけどさ、なにがいいと思う?」


 鍋の水面に泡が浮かび始めた。沸騰は近い。固形の調味料を投入した。


「やっぱり女性だから、服とかかな。それとも、小物?君は彼女と一緒に育ったんだろう?美影さんの趣味嗜好、教えてくれないかい?」


「本人に聞けばいいんじゃないですか」


 鍋に野菜を放り込む。一瞬、手があく。すかさず千堂が肩をもんでくる。


「それができないから君に聞いてるんじゃないか」


「さあ、知りませんよ、美影さんのほしいものなんて。……あっ、この孤児院が欲しているものは米ですね。成長期の子たちが多いもので」


 千堂はパッと肩から手を放すと、俺から離れた。


「やっぱり本人から聞くことにするよ。別にできないわけじゃない」


 少年は溜息をつく。ころころと意見の変える人だ。付き合い切れない。


「じゃあ、私は夕飯までソファで寝るとするよ。できたら起こしてくれたまえ」


 台所から出ていく彼の背に、イメージの中で唾を吐きかけ、少年は煮え立つ鍋に気を移した。





「つかれたー」「うへえええー」「おなかすいたあ」


 外を照らす人工照明が薄くなってきたころ、子どもたちを引き連れ、美影は帰ってきた。体温が上がっているためか、顔が赤い。彼女は色白なため、その変化がよくわかる。


「お疲れ様、美影さん」


「うん、未来くんもお疲れ様。いつもご飯作ってくれてありがとうね」


「お互い様だよ。俺じゃちっこいのたちの相手はできないし」


 霧島孤児院には十歳以下のこどもたちが十人いる。それに対して、家事のできる人間は、少年と美影の二人だけであった。幸い、目を離せないほど幼い年齢の子どもはいないが、二人で維持するのには骨が折れる「家族構成」である。


 子どもたちを席につけ、全員で手を合わせる。と、ここで子どもの一人が気づく。


「あれ?せんどーさんは?今日来てるっていってなかった?」


「あらほんと。まだ帰ってないわよね、未来くん」


 余計なことをと思いつつ、少年は席を立ち、ソファで惰眠をむさぼる青年を叩き起こす。


 眠気眼で食卓に現れた彼を、子どもたちは歓迎する。


「あーせんどーねてたんだー」「寝ぐせついてるぅーかっこわるー」「はやくしないと冷めちゃうよーいただきますしよーよー」


「ははは、ごめんごめん」


 千堂は寝ぐせを手で押さえながら、空いた椅子に座る。彼は子どもにはよく好かれているのだ。少年としては納得できないことではあったが。


「それじゃあ、揃ったわね。みんな手を合わせてー」


「「「いただきます」」」






「子供たちを寝かせつけてきましたよ、美影さん」


 寝室からそっと出てくる千堂。彼は吟遊詩人を自称している流れ者であり、時折こうして霧島孤児院に顔をだし、子どもたちに物語を聞かせたり、音楽を聞かせたりするのだ。


「ありがとうございます。あの子たち、いつも千堂さんが来るのを楽しみにしているんですよ」


「それは光栄ですね、ははは」


 美影は椅子に腰かけ、帳簿を付けていた。彼女はまだ二十代であるが、経営までも任されているのだ。ちらり、と帳簿に目をやり、千堂は美影に話しかける。


「大変ですよね、武功会からの支援、今月で打ち切りでしたっけ」


 霧島孤児院は、六大企業がひとつ、武功会系列の孤児院であった。しかし、数か月まえ、武功会本部が正体不明の賊に襲われ、幹部が全滅。存続が不可能と判断した炎帝府により、武功会は取り潰された。その影響で、孤児院の資金源であった武功会の援助資金は、今月で途絶えることとなったのだった。


 美影はその表情に影を落とす。


「そうですね。せめて今いる子たちが自立するまで続けたいとは思うのですが……」

「しかし勝手な話ですよね。子どもたちを捨てたのはあっちだっていうのに、最後まで面倒見ろって思いますよ」


 炎帝府がデザインした新人類は、一つのペアには必ず二人の子どもが生まれるようになっている。人口維持のために、そう設計されたのだ。しかし、そのせいで貧困層でも富裕層でも口減らしが起こるようになった。そのために全国に設置されたのが受け皿となる孤児院である。


「まあ、仕方ないですよ。武功会は既に解散しているんですから、もはや責任の所在はありません。これからのことを考えて、頑張っていくしかないです」


「……すごいなあ、美影さんは。でも、そんなに気張らないでくださいよ、からだが第一ですから。時に、美影さん。そんなに頑張る美影さんに、神様がご褒美をくれるとしたら?なにが欲しいですか?」


「なんですか、急に。まあ、そうですねえ、お米、ですかね。成長期の子たちにはやはりいっぱい食べさせてあげたいので」


「そうですかあー」


 うなだれる千堂を不思議そうにみる美影であった。






 夜も更けたころ。孤児院を出るものと入るものがすれ違った。


「……千堂さん。お帰りになるんですか。もう遅いので泊っていったほうがいいのではないですか」


「そういう未来くんはそんな遅い時間にお出かけしていたのかい?」


 にらみつける未来。千堂は笑う。


「孤児院、経営大変らしいね。でも最近は誰かさん、多額の寄付をしてくれているんだって?こんなご時世、あしながおじさんがまだいたとは驚きだよ。しかし、経営状態が悪いなんて外部の人にはわからないはずだけどねえ。なぜか、武功会が壊滅した次の月から、その寄付は始まったそうじゃないか。どうにも私には、君が、隠れてお金を稼いでいるように思えるのだけど」


「……さあ。しらないですね。ただの夜遊びですよ。俺のは」


 未来は何かを背中に隠した。千堂はそれを捉えていたが、あえて追及しなかった。


「そういう千堂さん、だって。知っているんですよ。千堂さんが、ブレーメン……あの反社会団体の集会に参加しているのは。こどもたちに演奏を聞かせてくれるのはありがたいですが、テロリストたちとつるんでいるのは、看過できません」


 千堂は黙る。二人の間にしばらく静寂が訪れる。


「危険な橋を渡っているのはお互い様のようだね」


「でも……ぜったいに、約束してください。子どもたちや、美影さんを悲しませることは、しないと」

言われなくても、と千堂は未来の横を通り過ぎ、闇夜に消える。


未来は彼の姿が見えなくなると、そっと握りしめていた、メモを開いた。


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