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Step.1 卵をかき混ぜて 獅子頭奈保③

「観戦させてもらいましたが、噂にたがわぬ暴力者のようですね、風犬さん。サンジェル様が警戒するのも無理ないです」


 少年は、にこやかな顔で歩み寄ってくる。


「サンジェル?……あの人のお使い?」


 はい、と少年は頷く。風犬は首を傾げる。俺も不思議に思う。奴から風犬に伝言があるならさっき会ったときに、俺に伝えればいいだろうに。


「実はですね、狩場瑠衣が見つかったんですよ」


 少年のその一言に、そこまで無気力だった風犬が、水を得た魚のように飛びつく。


「どこで!」


 目を輝かせる風犬。なくしたおもちゃが見つかって喜ぶ子どものさまだ。無邪気なその笑顔に少年は苦笑いする。俺も一緒に苦笑する。狩場瑠衣。その行方が風犬に伝わることで起こる惨劇を考えると、笑わずにはいられない。


「あ、あはは。北海道の夕張です。彼女、技術復元研究所にかくまわれていました」


 風犬はほお、と感嘆の声を上げる。


 技術復元研究所は、旧人類の技術を解読し、現代によみがえらせることを目的とする研究施設である。炎帝府や六大企業とは独立した機関であり、政治的干渉を受けずに研究ができるため、研究者の間ではエデンといわれている。俺も昔は大学に入って、この研究所で働いて、などと夢を見ていたものだが、いまとなってはそれもかなわないだろう。悲しいことだが。


 風犬は夕張への行き方を翼くんから聞くと、興奮を抑えきれないのか、ふがー、と奇声を上げ始めた。


「奈保ちゃん、奈保ちゃん!」


「はいはい」


「わたし、夕張行ってくる!準備してくるね!」


 風犬は勢いよく立ち上がり、三階へと上がっていった。三階は風犬の私物が置かれている。『東京の怪人』として浮浪者を襲うことで得た荷物もそこに保管されており、たまに取り返しに侵入者が入ってきたりするので、正直断捨離してほしい。風犬の揺れるポニーテールを見送り、俺は翼くんに話しかける。


「ごめんね、騒がしくて。翼くんは教団のひとなの?」


 童顔で、邪気のなさそうな彼に、俺は心を開いて接した。サンジェルは悪であるが、その末端である教団員は案外話の通じる相手のことが多い。モチロン、例外はあるが。


「ええ。サンジェル様に拾ってもらい、ここまで育ててもらいました。珍しい話でもないですけど、僕、親に捨てられたんですよ」


「へえ……大変だったんだねえ」


 この時代、孤児は珍しくない。貧困層だけでなく、富裕層からも一定数捨てられる子どもはいる。そのため孤児院は街のあちこちにある。数ある受け入れ先のなかで、サンジェルに拾われた、ということがこの子にとって最適解だったとはどうしても思えないが、本人が恩に感じているなら何も言うまい。


「ま、そんな話は置いといてです。獅子頭さん、ブレーメンを潰しに行くそうですね?」


「ああ、サンジェルから頼まれた。なんか、危険な仕事らしいな」


 すると、翼くんは俺の軽い相槌を不思議がる。


「獅子頭さん随分余裕そうですけど、相手がだれかってちゃんと把握していますか?なんか今の感じだと、あんまりわかっていなそうでしたけど……」


 翼くんの心配そうな表情に、心がざわつく。なんだ、どういうことだ?相手の那須花凜が倒達者であることは確かに懸念事項ではあるが、彼の様子だと、それだけではなさそうだ。


「もしかして……ブレーメンってやばい集団なの?」


 翼くんは、うわっと声をあげた。その反応に、俺の胸騒ぎは最高潮となった。


「獅子頭さん……ブレーメンっていう組織はですね、サンジェル様率いる教団に次いで、第二位の勢力のあるテロ組織だって言われているんですよ」


「それは……構成員に、那須花凜がいるから、か?」


 いえ、と翼くんは首を振る。


「倒達者の存在はそれほど周知さていません。それを考慮せずとも、この組織は脅威とされています。メンバーも多くありませんが、少数精鋭で、特許技術を持つ者が複数人在籍しているのです。もともとはデモを繰り返すだけの組織だったのですが、炎帝府の武力制圧に反抗したことに口火を切って、定期的なテロ活動を行うようになりました」


 冷や汗が流れるのを感じる。特許所持者が複数って、一人でもいたら警戒するレベルだというのに……?思った以上に、この仕事は難易度が高そうだ。いまからでも降りることは可能だろうか。


「でも、構成員はみんな新人類なんだろ?炎帝府の圧政に抵抗した市民団体なのか?」


「まあ、そうですね。正確に言うなら、炎帝府の行う文化規制に異議を唱えているのです。旧人類の思想に触れることのできる過去の文化遺産……音楽や書籍などは禁止されていますからね。その規制の解除を求める人たちが結託してできた組織なのですよ」


「なるほど……」


 ブレーメンの由来は、そこからか。以前禁書指定されている童話を読んだことを思い出す。ブレーメンの音楽隊だったか。馬、犬、猫、鶏が音楽隊を組み、盗賊を懲らしめるという物語だった。一般には知られていない童話を組織名のモチーフにするとは、なかなか反骨精神のある奴らのようだ。


 翼くんは申し訳なさそうに、頭を下げる。


「すみません、サンジェル様がもっと説明していれば……」


「いやいや、君が謝ることじゃないよ。今日中に知れてよかったよ、ありがとう」


 お礼を言いつつ、静かにサンジェルへのヘイトを募らせる。どういうつもりだ、あいつは。


 そうこうしているうちに、風犬が三階から戻ってきた。パンパンに詰まったリュックサックを背負っており、服も着替えている。ハーレムパンツに、ひらひらした袖付きのトップス。もともとはベリーダンスというものに使うための衣装らしいのだが、彼女はそれを戦闘時の一張羅にしている。血なまぐさい勝負服である。


「奈保ちゃん、じゃ、出かけてくるね!」


「え、もう?フットワーク軽いね、風ちゃん……」


 我慢というものを知らずに成長した少女だが、それはおあずけされた餌を勝手に食べるようなものではない。自分から積極的に、人の迷惑を考えずに手に入れに行くのである。この性質のせいで、なんど巻き込まれてひどい目にあったことか。まあ、俺にとってはそれが愛らしく映るのだが。


 すると、翼くんが、早速出ていこうとする風犬を呼び止めた。


「あ、待ってください、風犬さん。サンジェル様により、夕張まで同行するように言われているのです。移動費のほうもこちらが持ちますから、ご一緒させてください」


 ほう。翼くんはメッセンジャーであると同時にナビゲーターであったのか。確かに、風犬を一人で野に放つのは危険だ。誰か制御役は必要だが……。


 翼くんの申し出に、風犬はんー、と悩む。そして、俺をちらりと見る。


「奈保ちゃん、嫉妬しない?」


 上目遣いで見つめられ、俺はどきんとする。可愛い。しかし、視界の端に血だらけの男ふたりが入り、一気に萎える。そうだ、こいつついさっきまで女らしさとは無縁の行いをしていたのだった。嫉妬より、むしろ翼くんの身の安全が心配である。


「いやあ、風ちゃんのこと信じているから」


 お茶を濁すが、目線が泳いでしまう。しかし風ちゃんは見事に騙されてくれて、くねくねと恥ずかしがった。


 そのやり取りに苦笑いしながら、翼くんは立ち上がる。


「じゃあ、僕は行きますが、獅子頭さん、今日はもう出かけませんか?」


「え?まあ、その予定はないけど」


「ああ、よかった。実はですね、このあとブレーメンの件のサポート役として、獅子頭さん専属の付き人が来るのですよ。本当は、僕と一緒に来る予定だったんですけど……」


 翼くんは声を潜める。


「その人、風犬さんに会いたくなかったそうです」


「……へえ」


 風犬は呑気にまだー、と手足をぶらぶらとさせている。風犬嫌いか。別段珍しくもない。サンジェルのもとにいれば彼女の悪評など吐いて捨てるほど集まってくるだろう。


「あ、根はいい人なんで、大丈夫だと思いますよ。作戦の日程など詳しいことはその人に聞いてください。よろしくお願いします」


「あ、奈保ちゃん!」


 頭を下げる翼くんを引っぺがし、風犬が寄ってくる。


「行ってきますのちゅー」


「そんなのしたことないでしょー……」


 ポンポンと頭を撫でてあげると、彼女は満足そうな顔をした。こうしてみると、小動物的なかわいらしさがあるのだが、中身は獰猛な獣だ。忘れてはならない。


「では、行きましょうか」


 突き飛ばされた翼くんは、さすがにちょっと顔が引きつっていた。本当に申し訳がない。


「はいはーい」


「じゃあねー気を付けるんだよー。それでは翼くん、よろしくお願いします……」


 そんなこんなで。風犬は北を目指したのだった。


 かくいう俺は静かになった部屋で、横になって……。

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