第七話 『残り火』①
監獄に入る直前、風犬と一瞬だけ、言葉を交わすことができた。
「待っているから!」
俺は、それに対し、なにも返さなかった。
〇
目を覚ますとそこは病院のベットであった。すぐにわかったのは、俺がここ最近病院に頻繁に訪れていたので、天井やベッドの色、シーツの質まで覚えていたからである。
生きている。そこで独自の解釈が発揮される。最後の暗闇は、監獄の記憶だ。ずっと、風犬に会いたいと思っていた。長い間、ずっと。
目覚める寸前で軽い夢をみた。風犬に待っているから、と言われた夢だ。俺は、それを無視したのを覚えている。そして、監獄のなかで、死ぬほど後悔した。
だから、再会したときに、おかえり、といわれたとき、俺は飛び上がるほどうれしかったのだ。はたから見れば、はしゃいでいたのは風犬だったろうが、俺の心のほうがあいつの何十倍も騒がしかったのだ。
首を動かそうとするが、景色が変わらない。ギブスで固定されているのだろうか。そとを見たい。生きている実感をもっと得たい。風犬はどこだろう。ここが病院なら、会えるはずなのだが、違う病室なのか。気が利かない。
ぶおん、と音がする。扉の開閉音だろうか。……自動扉?東京病院にそんな高性能なものはなかったぞ。ここは違う病院なのか?しかし、このシーツの質は間違いなく、東京病院のものだ。……ほかの病院のシーツとは、比べたことはないが。不安になってきた。
ごっごっごっ。重い、足音だ。こんなに床をいじめる体重の持ち主を、俺は一人しか知らない。顔がのぞきこまれる。やはり、砂川医師だ。目が合い、俺が目覚めたことを彼に伝える。砂川医師は、特段驚きもしないで、そのまま、顔を上げ、去っていった。
え、無視だと。推定大けがを負っている俺の目覚めを?
不安になると、すぐに彼は、戻ってきた。そして、俺の顎のあたりをまさぐる。痛みは、ない。ただ、むずがゆい。何をしているのだろう。
「あ、って言ってみろ」
……?頭の検査か。いいだろう、乗ってやろう。俺は健康だ。風犬い合わせろ。
「………ぁあ」
ふむ、と砂川医師が再び顎に手を伸ばす。思ったより、うまくしゃべれないものだ。寝起きだからか。よくあることだ。
「い、って言ってみろ」
あの次はい?さっきのは不合格だったのか。気を取り直そう。次で満点だ。
「………ぃ」
「次、う。え、……お」
砂川医師は、一文字ごとに顎のあたりにあるなにかをいじっているようだった。
「最後、あいうえお、はい」
「ぁいうえぉ」
「……いいか。よし、獅子頭くんこれでひとます声帯はできた。あと、四肢とかは最後にしよう。いまは、頭だけで具合が悪いだろうが、すぐに治るさ」
は?なにをいっているんだ、こいつは。頭だけ?俺が?そんなわけ。
俺の視点が急に上昇する。ああ、なるほどね。やっぱり、俺、頭だけだ。俺はいま、砂川医師の魔術で作られた箱に頭、もとい全身を入れられて持ち上げられた。真っ黒でぼろぼろのヘルメットが床に転がっているのが目に入り、そのすぐ横に、大きめの黒い物体があれば、理解もできるっていうものだ。
「治る……?」
「ああ、加速の影響で、素早い肉体再生もできるらしい。化け物みたいだな、倒達者ってのは。じゃあ、上へあがるぞ。滋養風犬が会いたがっていたからな。運んでやる」
「やさしく……」
「注文の多い頭だな、ははっ……悪い。一か月いないに胴体つくってつなげてやるから」
ブラックジョークがつまらないあたり、この医者もやはりサンジェルの仲間だ。どこに判断基準を置いているのだ、俺は。
揺れに揺れた。普通だったら、吐いているくらいに気持ち悪い。階段を上がるときの配慮がなってない。俺のいた病床は地下にあったらしく、見舞いの時以上の昇りは辛すぎた。
地獄のような時間のあと、俺はようやく、目的地へとたどり着く。
307 滋養風犬
また病室を移されている。元気そうで何よりだ。
病室に入ると、ベッドのヘリに立ち、鳥のような構えをしている風犬が逆光に照らされていた。炎帝の人工太陽もたまにはいい仕事をする。
「やぶいしゃ……!あれ、奈保ちゃああああああん!治ったの?あっはああああ。すごい有様だね、誰と喧嘩したらこうなんの?私も呼んでくれたらよかったのにい!」
上目に見ると、俺を持つ砂川医師は気味の悪そうな顔をしていた。珍獣がゲテモノを捕食している現場に居合わせたら、こんな顔になるだろうか。
「……ふうけん、ただいま」
「わー?すごい!首がないのに、喋ってる!奈保ちゃんそんな特技会ったんだ!尊敬するー!」
「そんな、とくぎ、ねえよ。このきかい、だ」
「獅子頭くん、すごいな。そんなにすぐ使いこなすなんて。特技としてもいいぞ」
砂川医師が口をはさむ。案の定、風犬は不機嫌になる。
「医者、頭おいてでてけ。今日は無傷で帰してやる」
「相変わらず物騒なお嬢さんだな、まったく」
砂川医師はためらいなく俺を風犬に手渡す。おい。やぶ医者。いいなりになってるんじゃねえぞ。風犬に、壊れやすいおもちゃを渡すな!この箱、魔術でできているということは、エネルギー切れで、そのうち消えるんだろ?せめてこの部屋いろよ、おい!出てくな。
砂川医師の白衣の端が消え、病室に静寂が訪れる。風犬を見上げると、ニタニタして俺のことを観察していた。怖い。
「奈保ちゃん、かわいい。これなら、恥ずかしくなく、キスできるね。間に板があるんだもん。はい、ぶちゅー。えへへ、照れた?……なんか唇がひりひりする。これなにに入ってるの?んんー?なあにー?愛の結晶?やだなあ。奈保ちゃん、そんなセリフいうようになったの?え、……言ってない?まあ、似たようなことは言ったでしょ?でしょ?ね、ね。……そんなことよりさあ、デート、誘ってくれたよね。あれ、どこ行こうかなあ……。いま、おかねないんでしょ、住むところも。だったら着の身着のまま、旅でもしない?え、お金あるの。家買えるくらい。はああー、すごいね。じゃあ、いいや。家買って、二人で住んで。たまに散歩しよっ。それがデートってことで。ええ?遠出?いいよお。私は奈保ちゃんを楽しみたいの。景色がきれいなところとか、面白い見世物見に行ったら、気が散るでしょ。私が楽しみたいのは、純粋に、奈保ちゃんだけ。らぶらぶー。つまらなくなんかないよ。だって、長い間会えなかったんだもん!その分、奈保ちゃんとの日常が足りてないの!だから補完しなきゃなの!あっごめん、鬱陶しいかな。自粛自粛。はああー落ち着け私。いいかい、奈保ちゃんは逃げないぞおー。ずっと私の腕の中だぞおー。あっそうだ。実はね、私、今日で退院なの、いえーいお先にごめんねー。でねでね、本当にごめんなんだけど、用事があるの、わたし。ほら、言ってなかったけ?運動不足の解消するの。それをさせてくれる、優しい人がいてね、ほんとにいい人なの。だからさ、その用事のため、奈保ちゃんのお見舞い、あんまり来れません!ごめんなさい!奈保ちゃんあんなに私のお見舞いしてくれたのにさー、悪いよおー。いいのお、ほんとに?うううう、ごめんね、だめな私で。私やっぱり奈保ちゃんが傍にいないと安心できないのっ。なんでって?ううー、女の子の口からこんなこと言わせないでよ、意地悪っ。それはねっ…………だからだよっ。……あれ、ごめん、奈保ちゃん、外にお客さん来てる。うん、さっき言ったいい人。名前?覚えてないなあ。まあ、いいじゃん。じゃあ、奈保ちゃんはこのベッドの上で待っていてね。包帯とっちゃおうっと。もう何週間も前から治ってるっていってるのに、ずーとぐるぐる巻きにされるの。嫌になっちゃうね。あのお医者さん。ううん、なに?サンジェル?誰それ。いやあ、覚えてないけど、でも、あの人はそんな名前じゃなかったよ。なあに、嫉妬?大丈夫です!私が会うのは女の人、チョー美人、だと思うよ。たぶん。スラーってしててかっこいいんだあ。いや、もちろん奈保ちゃんのほうがナイスガイだよ。でも奈保ちゃんはどっちかっていうとかわいい、かなあ。え、かわいいは嫌?ぶっぶー、それだけは死守します。じゃ、行ってくるね」
ひょいっと風犬は窓から飛び降りた。ここは三階ですけど。いくらなんでも非常識だろ。あいつならば無事な気もするが。
「……さて、サンジェル。窓の外が見たいんだけど」
「私を顎でつかうとは偉くなったことね」
ノータイムで俺を持ち上げるサンジェル。どこに隠れていたかはもう気にならない。どこでもいる、彼女の名前はサンジェルマン伯爵のもじりなのだ。
「今回はお疲れ様。でもね、残念ながら報酬は当初提示していた額の半分だよ」
「え、なんで」
もともとの予定では、あと五十年は慎ましく暮らしていれば無くならないだけの額だった。二十五年分でも十分な量だが、なぜそんなに減る。なにか不備があったのか。
「あんたの働きはそれだけの値しかしなかったってことよ。だってねえ。ほら」
サンジェルは俺を窓のさんに置く。そうして見えた下で起こっていた光景に思わす息をのむ。
「どうして……確かにあの時……」
そこには、殺したはずの、狩場瑠衣がいた。




