第六話 『炎上』①
「私の名前はサンジェル」
幼女はその正体を明かした。その名前は知っている。テロリストだ。それも一級の。関わってはいけない存在。見つけたら、逃げ出すべきなのは子どもだって知っている。
しかし、俺は動けなかった。からだ中にコードが巻かれていたからだ。身動き一つとれない。
場所は図書館の地下の隠し部屋である。公式にこんなところに部屋があることにはなっていない、正真正銘の秘密の部屋である。
ここはサンジェルの研究拠点となっていたのだ。せわしなく動き回る研究員。謎の液体に満ちたポッドのなかに浮く人体。自分がいまから何をされるのか、恐怖を煽られる設備である。
「安心していい。君は力を得るんだ。この世界を崩せる。そして、新しい世界を創生できる。そんな力を。不安になるな。きみは救世主だ。みなの救いになる。称えられる。あがめられる。それが、倒達者になるということだ」
俺は、話すこともできない。猿轡をされているわけではない。頭の考えがまとまらないのだ。口から言葉を発せられないので、言われたい放題で反論できない。
サンジェルは助手から薄い小さな板を受け取る。そして俺の後ろに回ると、それを、俺の頭のあたりにねじ込む。痛みはない。むしろ、それは快感すら伴っていた。解放感の最上級。このときは、そう感じた。
「これで、理論的には倒達するはずなんだけど」
サンジェルは急にフランクな口調になると、じいと俺を見つめる。なにかを求められているらしいが、どうしていいかわからない。そもそも俺はなぜ、幼女に監禁されているのだ。
それから、何時間たっただろう。サンジェルはその場から去って、辺りには研究員が数人待機している。俺を観察しているらしいが、からだに変化でも起こるのだろうか。
そこへ、サンジェルが現れる。手には、棒を持っている。その先は赤い。着色したようではない、赤さ。サンジェルはその得体の知れないものを俺の腹に、突き刺した。
「……!?……!!!」
これが、俺の初めての熱さの体験であった。あとから知ったのだが、あれは「焼ごて」というものだったらしい。肉が焼け、焦げ、爛れ、かゆく、痛く。狂いそうだった。
突き刺したのは一度ではなかった。何度も何度も何度も。サンジェルは手を動かす。
すると、からだの内から、熱いものがこみ上げる。からだじゅうが熱い。初めての感覚にためらうが、嫌な感じではない、むしろ……むしろ、気持ちいい!
からだじゅうの細胞が騒ぎ始める。本能が暴れ始める。
燃える……燃える……!!いや、燃やす!!!
「逃げてください!」
「サンジェル様、こちらへ!」
周りを囲んでいた研究員が逃げ出す。どうした?行かないでよ。置いていかないで……!
そのとき。
光る。
次に、目を開けたとき、俺は荒野に立っていた。あたりに、燃えかすと化した書物の山。灰のにおいが充満している。
一瞬の出来事に、理解が追い付かない。何が、あったのだ?
いや、本当は長い時間がたっていたのかもしれない。時間間隔がぐちゃぐちゃの、寝起きのような状態。呆然としている俺の前へ、どこから現れたのかサンジェルが近づく。
この状況になにか説明をしてくれるのかと、俺は救いを求めて彼女をみつめる。
しかし、彼女は天使ではなかった。
「うーん、成功は成功だけど。失敗作だね。君は。いまはいらないかな。じゃあね」
俺を突き放し、消える、サンジェル。彼女とは、それ以後三年間会うことがなかった。
俺はサンジェルと共謀して、図書館は破壊したとして、監獄へ入れられた。
〇
風太さんは、からだ中に火傷や深い裂傷が刻まれており、見ていて痛々しい風貌であった。骨折箇所も多数で、立っていることが奇跡だ。
対する風犬も、万全とは程遠い。療養生活も終盤らしいが、負っていたけがは深刻で、よくこの期間でここまで回復したものだ、と砂川医師は驚いていた。
そんな二人はいま、対峙していた。久方ぶりの決闘である。
挑んだのは、暫定敗者である風太さんだ。彼は、過去妹に敗北したことにより、こころに傷を負い、警察省に「逃げた」。
彼はいま、向き合って、乗り越えようとしているのだ。
見届け人は俺と蟻沢さんである。病院の庭に集合してくれ、とだけ言われ来てみれば、そこでなにもいわず見ていろ、ときた。この勝手さは風犬の兄である。
風犬はつまらなそうな顔をしていた。動きたい、動きたいと癇癪を起していたのがウソのように冷静である。
終わったことには興味をしめさないのが、風犬だ。彼女にとって、すでに兄は過去の人なのだ。
「行くぞ、風犬!」
風太さんが構える。風犬は構えない。勝負は、当然始まらない。仕方なく、俺が、仕切る。
「はじめ!」
風太さんが風犬との距離を詰める。そして、初手、掌底。風犬はひらりとかわす。
「奈保よ、あのバカ、勝てると思うか」
「無理でしょう。でも、あの気概だけは認めてあげていいと思いますよ、蟻沢さん」
「なんで、私が認めにゃならんのだ」
「呼ばれたんだから、そういうことでしょう」
蟻沢さんは頭をかく。
「奈保、武功会はたしか昔地下格闘イベントやってたよな。金の賭けれるやつ」
「はい。すぐに規制されてなくなりましたけど」
「私、あれ一度だけ見たことあんだ。そして、賭けた。弱いって下馬評のやつに。んで、勝った。だからよお、その、風太を信用しているわけじゃねえんだが、この勝負、そのときのジンクスどおり、弱いほうの風太に賭けようと思う」
「賭け?俺とですか?俺はもちろん風犬で。じゃあ、蟻沢さんが負けたら、俺の見送りについてきてください」
「てっめ……風太が負けた時、だれが病室運ぶんだよ」
「さあ、気が乗ったら、風犬が運んでくれるんじゃないですか。それにしても、やっぱり、蟻沢さんは優しいですよね」
「お前は、嫌な奴になったよ、誰のせいなのかね」
風太さんは連撃で拳を放つ。風犬は時に受けるが、ほとんどかわしている。反撃はしない。なめている。
風太さんは、風犬の足を払う。抵抗せず、転ぶ風犬。そこへ、すかさず、隠し持っていた十手を叩きこむ風太さん。風犬はさすがに目を見開き、ギリギリで体制を起こして回避する。
地面には大きなクレーターができている。このひと、なんて一撃を持っているんだ。そうだ、風太さんは、弱くない。強いのだ。
「風犬ほどではなくても、風太は見ての通り、強い。それが葉の立たなかった狩場瑠衣は、やっぱり別格だったんだな」
「そうですね……。でも、俺なら、倒せます」
「その自信がどこからくんのか、私にはわからねえよ。私はサンジェルから、お前の倒達技術を聞いていない。そんなにすごいのか、お前は」
「ええ……風犬には及びませんが」
風犬が、回し蹴りを放つ。見切れる軌道だ。かわせば問題ないだろう。しかし、風太さん、意地を見せ、それを受ける。腕でのガード。そして、倒れる風太さん。
「え……なんで?」
困惑する蟻沢さんは俺を見る。完全に防御していたはず。決め手になる一撃には、見えなかった。
ふっと俺は笑い、解説する。
「俺にもわかりません」
風犬は、風太さんを優しく抱きかかえると、俺に投げキスをして、病院に帰っていった。




