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第五話 『風』④

「お前……!」


 そこに立つ女性の一人はサンジェル。俺の宿敵であり、契約相手。しかし、それ以上に目を引くのが、その同行者である。


「奈保さん、こっこんばんは」


 もじもじとする、少女。忍者省役人、伊豆麻里である。サンジェルは伊豆と俺を交互に見てニヤニヤとする。砂川医師は、そんなサンジェルの様子を見て、溜息をつく。


「どうして、そんな奴と一緒に……」


「縁ありまして……。騙してすみません」


 伊豆は頭を下げるが、そう反応していいかわからない。蟻沢さんが奈保、と呼びかける。


「見ての通りだ。私らは、全員サンジェルに通じていた。お前はずーと、この方の手のひらの上だったんだ」


 愕然とする。蟻沢さんが?伊豆が?唇をかみしめる。俺は、いいように動かされていただけだというのか……。


 サンジェルは、俺の表情を見て、満足そうに頷く。


「うんうん。若者はそのくらい傲慢なほうがいい。自分が世界の中心だって、そう思うことは決して恥じることではないよ。さて、なにから話そうか……」


 言葉を区切り、ちらりと横を見るサンジェル。


「まず、あんたと最も行動を共にした伊豆だけど。こいつには、武功会、忍者省、炎帝府の動向などを探らせて、逐一報告させていた。ま、あんたの傍でスパイ活動していたってことね。奇森倶楽部のショーに出向かせたのは、敵情視察と、あんたの顔を狩場瑠衣に確認させることが目的。ははは、デートなんて言っとけばコロッといくはずって伊豆に言ってたけど、まんまとだったね」



 伊豆が申し訳なさそうに頭を下げる。予想外だったが裏切られた、とは思わなかった。それよりも好意を持っているんじゃないかと思っていたのは勘違いだったのか。とてつもなく恥ずかしい。



「蟻沢春にはよく働いてもらったよ。横浜での作戦の計画立案で、絶対に失敗するように仕組んでもらった。だって、撤退の準備が全然ないなんて、さすがになめすぎでしょ。これに関しては、蟻沢の意見に口出ししなかった滋養風太が悪いね、うん。作戦にも同行させて、狩場の様子も探れたし、本当優秀だよ、蟻沢は。……ああ、あとあれだね。喫茶店での再開のお膳だてもしてもらったね。ていうか、そこからあんたに蟻沢が疑われるかと思っていたんだけど、旧知の仲で目が曇ったの?ま、しょうがないのかねえ」



 砂川医師が、ごほん、と咳払いをする。


「サンジェル、あまり獅子頭をいじめてやるな。彼は疲れている。手短に話して、今夜はゆっくり休ませてやれ」


 サンジェルは口をとがらせる。


「よく言うよ。一番あくどいこと担当していた癖に。奈保、こいつは、もしあんたが思い通りにならなかったとき、反抗してきたとき、風犬を人質にする役目だったんだよ。超巨悪。私がやらせたんだけど」


 砂川医師はバツの悪そうな顔になる。病院の人間まで、サンジェル側か……。嫌になる。


 手汗がすごい。俺は、なんだ。どこにも、逃れられないのか……。昔、風犬が自由になりたいと語っていたのを思い出し、今になって大きく共感する。俺は、声を振り絞る。


「……それで?俺に、お前はなにをさせたいんだ」


 サンジェルが首を傾げる。


「いや?最初と同じだよ。獅子頭奈保には、狩場瑠衣を殺してもらいたい。それだけ。裏でいろいろしていたのもサポートのつもりだったんだよ。で、どうなの。できそう?」


 ここまでのおぜん立て、すべては俺のため、か。余計なお世話だ。


「……できる。お前の手を借りなくてもな」


 これは、見栄ではない。俺は、サンジェルの手によって、武術型の倒達者にさせられた。そのときに一度、倒達技術が誤作動し、無意識に発動した。しかし、それを監獄のなかで使うことはなかった。拘束された状態では、発動させることができなかったのである。故に、意識的に技術を使用したことはなく、技術の中身はサンジェルから聞いていたが、実感がわかなかったのだ。



 だが、さきほどの赤レンガ倉庫で確信した。俺は、ぶっつけ本番で、この技術を、火の発動ができる。


 サンジェルはいつになく自信満々な俺の態度に、眉をひそめる。


「若者は傲慢でもいいっていったけど撤回していい?目の前でやられると結構癇に障るわ。んで、なに?ひとりでできるって言いたいの?狩場瑠衣がいまどこにいるか、わかるの?」


 言葉に詰まる。場所。失念していた。赤レンガ倉庫から移動しているのを目撃したが、そういえば次の潜伏場所がどこなのか、それは知らない。


「……すみません。わかりません」


「素直なのはいいね。教えてあげる。奴らはいま青森に向かっている。この国のすべての食料を生産している都市、北海道との玄関口となっているドーム都市だね。奴らはそこを拠点に、炎帝府と敵対するつもりだよ」


「……なぜ、そんなことがわかる?狩場のもとにも内通者がいるのか?」


「いないよ。でも、わかる。あいつに話したことがあるから。この国を制圧するには、青森と北海道を制圧するのがいいだろうって。国に対する兵糧攻めだね。あいつ、結局私の、操り人形だからさ。私が教えたことしかできない。そういう風に育てたから、当然だけど」


 サンジェルは遠い目をする。幼女の姿であるが、その様子は子どものことを考える親であった。彼女にとって、俺たちは孫にあたるのだろうが、個人間の関係はまた別、突っ込むことではない。しかし、この様子を見ると、疑問がわく。


「狩場瑠衣のこと、本当に殺していいのか?」


 関係の修復をし、狩場を再び自らの陣営にくわえようとは思わないのか、俺はそう思ったのだ。すると、サンジェルは目をつぶって、首を横に振る。


「いいのよ。あいつは、あいつの意志で、離反した。それは嬉しいことなの。だから、あたしはあいつを尊重するために、あいつを潰すの。それで、いい」


 サンジェルは自分に言い聞かせるように言った。俺は、それ以上は追及できなかった。


「それに、もし殺してあげられなかったら、余計にひどいことになるしね……。はあ、はい!この話は終わり。じゃあ、奈保、あんたはあたしの指示に従って、あいつを狙うってことでいい?」


 サンジェルはパン、と手を叩くと、俺のほうを指さす。俺は、頷く。意地を張らずに、今回は彼女に従ったほうが、確実そうだ。


 砂川医師が、ここで手を上げる。


「おい、獅子頭くん。君はいいのか。それで。殺しだぞ?君はその罪を背負えるのか?」


 根本的なことを、問われる。それは、もうすでに吹っ切れている。問題ないです、と即答した。砂川医師は目を丸くする。


「ふふっ、ね、言ったでしょ?こいつ、常識人ぶってるけど、あんたと同じ、さいっっっこうの、屑野郎だって!」


 俺は否定しない。ただ、納得はしていない。俺が、屑?お前に言われて仕方なくやっているのだから、俺は悪くないだろ。……そう、だよな。急に後ろめたくなり、ちらりと蟻沢さんや、伊豆の顔を伺うが、一瞬で、その表情はよくわからなかった。


 サンジェルは手を差し出す。


「じゃ、いっちょ、かましたりますか」


 俺は、その手を、しばらく見つめたあと、しっかりと、握り返した。


                      〇

 翌朝、俺は風犬の寝顔を見つめながら、考えていた。


 もはや、狩場瑠衣を殺すことは、俺のなかで踏ん切りがついている。サンジェルのせい、そして、風犬の生活を守るため、と責任を分散させて、処理しているから、心はそれほど重くないのだ。


 しかし、昨日の砂川医師やサンジェルの反応を見て、それでいいのか、と思うようになった。これは、人に擦り付けていい罪だろうか。命を奪うということは、重大で、それを行うものは、自分ひとりが背負うくらいの心構えがなければいけないのではないか。


 俺は武功会での、武術の練習以外で、人を殴ったことはない。傷つくさまをみるのが、嫌いだからだ。


 本当は、練習中ですら、抵抗があった。生まれも育ちも、武道の大元締めの俺は、このようなことを思ってはいけないのではないか、と押し殺してきたが、最近、人を殴らないのが、普通なのだと、いまさら気が付いた。


 そうなのだ。争いはないほうがいい。狩場瑠衣に殺されかけて、なぜ俺を傷つけるのだ、理不尽だ。そんな風に思った。俺は、これから、そんな理不尽を彼女に返すことになるのだ。おそらく、倍以上なんてものじゃない、それほどの規模の害を、与えることになる。



 サンジェルに了承した以上、もうこの話から降りるつもりはない。ただ、ひとつ、実行するまえに、風犬に聞きたいのだ。



 人を殴るとき、傷つけるとき、どう思っているのか。


 風犬が寝返りを打つ。鼻がむずむずと動く。彼女はしょぼしょぼとした眼のまま、俺のほうを向き、あくびをした。


「んん?奈保ちゃんいる?」


「ああ、しばらく会いに来れなくてごめんな。ちょっといろいろあってさ。って、風太さんから聞いてるか」


 風犬は唸り声をあげながら、伸びをして、上体を起こす。布団がめくりあがり、彼女の体臭を俺の嗅覚が感知する。


「奈保ちゃん、櫛取って」


 棚の上にはない。目を動かすと、床に落ちていた。俺はこの適当さに、愛らしさを感じる。


「むにゃむにゃ、だよ……、よしっ!復活!へい、おはよう、奈保ちゃん!」


「ああ」


 抱き着こうとする風犬をなだめる。そして、風犬が完全に覚醒したあたりで、それでも起き抜けにする質問ではないと承知しつつ、俺は、件の問かけをする。


 すると、風犬は、きょとんとした顔でこう答えた。


「考えたことなかったなぁ、それは。でも、強いていうなら、……うん、私のために、ごめんねって思うかな。まー大抵はなんも考えずにパンチきっくだけどね」


「ごめん、か」


 風犬は、強くなるため、そして自由になることを目標としている。その踏み台となる人に対して、配慮して、ごめん、か。


「ねね、奈保ちゃん、誰かと喧嘩でもするの?私も混ぜて」


 嬉々として尋ねる風犬。俺は、はは、と笑ってごまかす。


「退院したら、デートでもしようか」


 風犬は首を傾げる。


「デート?いいけど、うーん、退院後はちょっと、運動不足解消したいから、それ終わったらねっ。うんっ。楽しみにしてるよっ」


「ああ、俺も、楽しみにしている」


 俺は、拳を握る。


 そうだ。俺は、風犬と生きていきたい、という、俺の欲のために動くのだ。だから、その犠牲になる狩場瑠衣に向ける一言は、ひとつだけだ。


「ごめん」


 風犬は、俺の気も知らずに、いいんだよ、と反応した。



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