第五話 『風』③
俺は、目が覚めた時にいた部屋で、再び椅子に縛り付けられていた。
こんどは、背後にも人形は待機していない。最後に狩場が言い残していったが、今日の明け方までに、赤レンガ倉庫は去るそうだ。さすがに行先までは教えてもらえなかった。見限られたのだろう。
しかし、俺を殺さなかったのはなぜだろう。奴のなかに、俺を同じ境遇の者として尊重する気持ちが、わずかに残っていたのかもしれない。
椅子は窓際に設置された。なんの意図があるのかといえば、これもないのだろう。強いて言うならば退屈させないためという配慮。無駄なやさしさだ。
窓からは行列が見える。全員が、狩場瑠衣の操り人形、もとい千人隊員だ。歩くスピードは早歩き程度、どこへ身を隠すつもりか知らないが、あの速さではさほど遠くには行けないだろう。
俺は、目を閉じ、泣いた。首と胸の傷がじわじわと痛む。情けない。なにが倒達者だ。監獄から出られて、舞い上がりすぎていたのではないか。
俺は弱い、それは昔から変わらず、変わる努力もしていないというのに、勘違いしていたのではないか。
サンジェルに騙され、手に入れた力。使う機会は今日までないが、それでよかったとも思う。俺はサンジェルを恨みながらも、心の底では自分を世界の中心においてくれたことにかんして、恩義を感じていたのだ。もし収監されていなければ、安い表現だが、力に飲まれ、自分に酔いしれていただろう。
狩場瑠衣と会い、自分を客観的に見たきがした。被害者ぶって、自分を正当化する子悪党。それが狩場であり、俺である。
俺は目に見えた悪事はしていないが、伊豆の気持ちに素直に応えなかったり、恩人である蟻沢さんや風太さんの気遣いを蹴ったり、道理を通してこなかった。そのツケがこのどうしようもない情けなさか。本当に、くだらない。
鬱屈とした感情に支配されることは、監獄のなかではよくあった。人間、動かないことは心身に重大な影響を与える。死にたい。死にたい。死にたい。いや、死にたくない。そんな覚悟は俺にはない。だめだだめだだめだ。こんなんじゃだめだ。
サンジェルや風犬が俺に仕事を与えてくれたのは、俺に起死回生のチャンスを与えてくれたのだ。社会復帰のために。中身は殺しという善からほど遠いものではあったが、それでも俺は彼女たちに感謝せねばならない。
「はあ……」
サンジェルが崇拝されているのは、このような手口を繰り返しているからだろうか。人の弱みに付け込んで、心を侵食していく。最後には、信者はサンジェルなしでは何もできなくなる。
狩場瑠衣はサンジェルのもと信者だった。彼女の口ぶりでは、まるで自分が無理やり実験体にされたかのようだったが、真相は違う気もする。
進んでサンジェルの役に立とうとして、結果それを後悔して。でも自己責任にはしたくない。自分の弱い心では、そのような罪は背負いきれない。だから、すべてをサンジェルのせいにしよう。それが一番、らくだから。
なんて。人の心をねつ造してみたが、真実はいつもあいまいだ。本人だってわからないだろう。自分のことは自分が一番わかっているなんて、そんなことはないのだ。
さて、ところで、何をすればいいのだ。俺はこれから。
前科がある以上、もともとの志望である国立学校に入る資格はもはやない。武功会という後ろ盾もない。伊豆さんや蟻沢さんの厚意にも素っ気なく答えてきたので、いまさら頼るのも恥ずかしい。かといって、自分に新たな事業を起こす力はない。
サンジェルからの仕事が終わって、それからの道が見つからない。……そもそも、狩場に捕虜にされるという失態を犯した俺を、サンジェルはどうするのだろう。最悪、捨てられ、闇に葬られるか。……そこはいいように転ぶことを信じたい。未来があるという前提で悩んでいきたい。
「はあ……」
監獄にいる最中はこのような瞑想の時間は無限にあった。
俺は特級犯罪者であったため、食事の時間以外の自由はなく、常に拘束具で狭いロッカーに収まっていた。食事以外で、ロッカーが開く音が聞こえたときは、隣人の処刑の準備が整った合図だ。ガチャガチャと、拘束が外される音と、しばらく後に廊下を歩く音。死へ、人が向かう音である。そんな日常。
俺が武功会壊滅のニュースを聞いた時も、あまり心が動かなかったのは、この生活による慣れがあったのかもしれない。自分の知らないところで、自分の関係者が死ぬ。目の前で苦しむ姿を見たわけではないのだから、なにも、思えない。
多感な時期を無為に過ごしたことで、心が鈍ってしまった。感情を上手に操るすべは、人とのコミュニケーションのなかで身に着けるものなのに、俺の場合はそれができず、社会からはみ出たハートが出来てしまった。このままでは、いつか支障がでる。普通でないのは生きづらい。
風犬の見舞いもそうだった。ケガの様子は見ると痛々しかったが、彼女と話すのに義務感があったため、足を運んでいた。だから、風犬が寝ているときは、寝顔を見ても何にもならないと思ったのだ。
人は、現在を生きているから意味があるのだ。寝ていて動かないのなら、死んでいるのと同じ。もはや、そこに興味はない。
こうして考えると、案外、俺は風犬のことを好きではないのかもしれない。俺に残されていた唯一のつながりであるから、依存しているだけなのだ。
いまや、伊豆さんや、風太さんに蟻沢さんと、別の依存可能箇所は複数ある。例えば、このままサンジェルについたり、狩場瑠衣にしがみついてもいいのかもしれない。
依存者の特権、依存先の決定権。俺は、どの綱につながれるべきなのだろう。
想像する。しかし、うまくいかない。監獄暮らしの唯一の楽しみ、妄想は俺の十八番なはずなのだが、うまくいかない。風犬意外と生きる道がまったく想像できないのだ。
思春期であるから、エロイ妄想はよくした。相手は、想像上の人物が半分、そしてもう半分が風犬だった。性格やら、人間性など、芯が形作られるこの時期に彼女に縛られていた俺は、もはや、彼女につながれるしかないのか。
そういえば、どれほどの間、考え込んでいるのだろう。
眼はさえていて、眠れない。
俺は監獄生活で、どういうわけかショートスリーパーになった。いや、これは正確ではない。短い睡眠を一日の中で何度もとるのだ。眠くなるタイミングはいつも突然。話している最中に睡魔が襲うことだってある。最近は、気絶することが多く、この性質による眠りなのか、境界があいまいになっているが。
目を開き、窓から外を見る。すると、いまだに千人隊の列が進んでいないのに気が付く。
さっき窓から見たとき、窓の下にいた女は、そこから数歩しか前に行っていない。しかし、歩く速度は改めて見ても早歩きだ。縮尺による勘違いではない。
もしかして、だが。
俺は妄想をしすぎて、目をつぶっているあいだの考えが超スピードにできるようになったのではないのだろうか。
あほな考えだが、時計を見て、確信する。やはりだ、思考に沈んでいた時間と、千人隊の歩いた距離が乖離している。
そういえば、監獄に入所してから出所するまでで、一日の時間が、伸びたような気がする。脳がおかしくなったのか?俺は。いや、おかしいのか?これは。もしかして、すごいことではないのか。
つまりは、現実での一秒が、俺にとっては十秒とかになるということだろう。使いようによっては、例えば戦闘にこの力を役立てられたら……?
「脳の超加速、か……」
この能力を研ぎ澄ませば、狩場瑠衣なぞ、敵ではない。いままで、自身が倒達者と言われても、その力を発揮させる自信がなかったが、ようやく自分の倒達技術を扱える実感がわいた。そうだ、俺のからだは、火を使えるように改造されたのだ。強いのだ、俺は。
なんて、息まいてみたが。動けない。助けを待つしか、いまの俺にはできない。
妄想を現実にする。それは途方もないことなのだ。
「はあ……」
何度目かの溜息。眠れない……。
くだらない人生だ。
ああ、いっそあの時、風犬に殺してもらえばよかった。
〇
「ん……」
いつの間にか、眠っていたらしい。夜風が、心地よく俺のからだを通り過ぎる。……風?
「うわおおお!?」
足元を見ると、下には建物。浮いている!?飛んでいる!空を!
「お、目が覚めたな」
「砂川さん……?」
巨体の男が、俺をのぞき込む。なぜこんなところに医者が、砂川さんがいるのだ。
砂川さんは東京病院で風犬を担当しているはず、こんなところにいるわけがない。医者は空を飛べるのか。そんなわけがない。
「俺は魔術型でな……この飛行技術は秘匿事項だから、帰っても誰にも話さないでほしい」
「え、はい。あの、砂川さんは、何故ここに。というか、ここどこですか」
砂川医師はああー、と頭をかく。巨体が空でこんな動作を取ることは、下から見上げているひとがいるのなら、随分シュールに映っているのではないだろうか。しかし、もう一度、恐る恐る下を見ると、その地上は凍っていることに気が付く。つまり、ここはドーム外。人が本来生身で歩いていてはいけないところだ。疑問の一つを自己解決し、そこで寒さに敏感になる。寒い。鈍感に気付かなければよかった。
「どこまで、話していいのだったか……。君は私によって助け出された……これはいいね?」
「そのようですね、……ありがとうございます」
違う。嚙み合っていない。俺が求めているのは、そんなことではない。なぜ、あなたが俺を救出しているのか、だ。砂川医師はそれ以上話す気はないようで、あぐらをかいて、進行方向を見据えている。
「あの……」
「待て。……ここで話すのは面倒だ。あと少しで、着く」
目の前には白い壁。これは、ドームの外壁だ。高度が次第に下がっていく。そして、地上に。しかし、地に着いたという足裏の感覚がない。まるで間に薄い板でもあるような。
ああ、そうか、俺たちは見えない板の上に乗って飛んでいたのだ。そういえば、この砂川医師が風犬の蹴りを防いだときに使っていた。魔術型でそんな術は聞いたことがない。そうか、これは秘匿だったのか。その割に風犬と俺に堂々と見せていたが。
俺たちは、ドームの入り口に入り込む。門に番号を入れると、長い廊下に通じ、やがてドーム内部にたどり着くのだ。いつもは配備されている警備員はいなかった。夜間は出入りがないからか。それとも、なにかの権力を使って、帰らせたのか。
「降りろ」
廊下からは徒歩だった。やがてドーム内部に入り、歩いていると、見覚えのある風景がいくつか見つかる。ここは、俺の故郷、東京か。静かな街だ。風犬が浮浪者を追い出したせいだ。昔は夜道を歩けば賊の一人とも会ったものなのだが。
俺が連れていかれたのは、予想通りの病院だった。明かりはないので、気をつけながら階段を昇る。砂川医師は二階で足を止める。
「風犬の部屋に行くのではないのですか」
この病院での俺の用事はその部屋しかなかった。それなのに、そこへ連れて行かないとは、どういうことだろう。
「いま、あいつは寝ている。それよりも優先すべきことがある」
案内された病室には、ベッドが一つだけあった。寝ているのは、髪の長い女性。
「おお、奈保……無事でよかったぜ」
「蟻沢さん……!」
思わず、駆け寄る。抱きつく。人恋しさが溢れたのだ。
「おーおー……怖かったなあ」
頭を撫でられる。ハッとして、その手を見る。右手だ。左手首には包帯が巻かれ、その先にあったものは、修復されていない。罪悪感が猛烈に頭を支配する。
「気に病むなよ。お前は、悪くない。私も、風太も、ちょっとバカだっただけ。ああ、風太の奴も無事だぜ。絶対安静で、しばらくは動けないが、全快するだろうって」
「……俺のせいで」
「いや、奈保よ。違うんだよ、本当。私らが、お前に迷惑をかけていたんだよ……。詳しいことは、もうすぐ来る奴に聞け」
疑問符が頭上を踊る。蟻沢さんと、俺で、現状把握の位置がまったく違うようだ。もうすぐ来る……?誰が……?砂川医師のほうを見てみると腕を組んで病室の窓の前に立って、たそがれている。あてにはならない。
と、そこへ。この部屋に向かう足音が訪れる。来訪者は二人だ。彼女たちは、病室の前に並んで、俺たちを見渡す。
「全員集合しているみたいだね。じゃ、はじめようか」
そこには、悪魔、サンジェルが立っていた。




