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第四話 『火』③

 通りの光景は、まさしく地獄絵図であった。


 最初に目に入ったのは、傭兵隊の参加者、狙撃手の朱雀の姿である。


「このっいい加減に倒れろよっくそっっっ」


 吐く言葉には、疲れが感じられる。先刻聞こえた叫び声は、彼女のものだった。


 朱雀はボウガンを弱弱しく構え、矢を打っては装填することを繰り返していた。


 いつから続けているのかわからないが、傍らに置かれている矢筒に入っている矢は底をつく寸前だ。消耗がひしひしと伝わってくる。


 的は、朱雀に向かってフラフラと近づく男たちである。全部で十人はいるだろう。朱雀を取り囲むように迫っていく男たちの表情には、感情が感じられない。無表情で、ひたすらに前に進むことを続けている。


 男たちの身体には、ところどころ矢が突き刺さっているが、痛みを気にかけている様子はない。なかには、心臓付近や、眼球に刺さっているものもいるが致命には至っていない。


 仮面の奇術師に操られたあの男たちは、生きているのだろうか。伊豆さんとも話したが、そこがわからない。動く死体を相手にしているのか、操られた生者を殺そうとしているのか……。とにかく、朱雀の武器が利くような相手ではない。


 そもそも、狙撃手である朱雀が、敵を近距離で迎えているあたりも、劣勢いであることの証明である。



 朱雀が蹂躙されるのも、時間の問題だろう。かといって、俺には助けることはできない。ヒーローたる、力がない。故に、俺は視線を外し、責任を逃れる。



 朱雀の後方には、別の人だかりができていた。円の形に男たちが,誰かひとりを囲んでいる。


 目を凝らしていると、隙間から、文字通り渦中の人物が垣間見えた。


 武術家、通称、虎の杉田である。杉田は、ジークンドーに武術型の摩擦操作を取り入れた、独自の拳法を身に着けており、その強さは、武術の総本山、武功会にも届いていた。武功会とはゆかりのない出自の男であったが、とどろくその伝説から、本来世襲制が基本である武功会への入会が打診されたこともあったという。


 いわゆる、生きる伝説。彼の強さは俺たちの業界では、常識として知れ渡っていた。


 その男が、苦戦を強いられている。


 杉田は、自分に近づく敵を一人ずつ鎮めようとしていた。しかし、倒れこんだ男も、しばらくすれば立ち上がってくる。なにしろ、最初から意識がないのだ。打撃による攻撃は、効果が薄い。武術家にとっては、射手以上に相性が悪い。


 やがて、円は小さくなり、杉田の姿は男たちにさえぎられ、完全に消える。

 

 そして数秒後、群衆の中心から、上空に向かって血しぶきが上がった。誰のものか、想像は容易い。


「……戦況、悪くないですか」


 俺は汗ばむ手をズボンにこすりつけながら、不安を吐露する。

 

 傭兵隊は名立たる強者ばかりで構成されている。全員が単独で動いているので、軍隊としての強さはないが、各々一騎当千が可能な面子である。ここまでの苦戦は、少々想定外だ。



「ああ、はっきり言ってズタボロだな。……あそこ見ろ。朱雀とペアで活動してた、白虎が転がっている。生きているかは怪しいな」


 俺は、蟻沢さんの指さす方向を、胸を押さえながら見る。血にまみれた女が。仰向けになって倒れていた。

 

 敗者の末路。他人ごとではない。


「むごい、ですね」


「それが、戦いってもの、なんだろうな。保護者面しているけど、私だってここまでの修羅場は初めてだ。だけどな、奈保。案外、この状況はいいのかもしれないぜ。こっちにここまで戦力を割いているということは、風太たちの部隊のルートのほうは、手薄かもしれない」


「風太さんたちに、賭けますか」


「あいつはそれなりに信用できるからな」


 蟻沢さんの顔には確信があった。風太さんたちが、敵の親玉、仮面の奇術師を打ち破ってくれることを、彼女は信じているのだ。


「で、だ。奈保。どうする。この戦場を見て、ここを横断する勇気、お前にはあるか」


「勇気なんてありませんよ。だからこそこそと、通り過ぎたいですね」


「……お前って実は早死にするタイプだったりするな。わかった、付き合うぜ。私が先にいって、合図をしたら、お前がついてこい」


 蟻沢さんは、男たちがこちらを把握していないことを確認すると、一気に通りに向かって飛び込む。脇目も降らない全力疾走。そのまま、向こう側の路地に逃げ込んだ。


 ちょいちょい、と蟻沢さんが指を動かす。俺は頷く。大きく息を吸って。


 走る!


 右から、悲鳴が聞こえる。

 

 朱雀のものだ。聴覚を遮断し、集中する。


 俺は緊張で吐きそうになりながらも、蟻沢さんの下にたどり着く。


「…………」


 駆けた距離は三十メートルもなかったが、かいた汗は尋常じゃない。

 後ろを振り向けば、新たな死が生まれているだろう。俺は、蟻沢さんの顔だけに視界を絞る。


 余程顔色が悪くなっていたのだろう。蟻沢さんは、俺の背中をさする。


「スリル、半端ねえな。……そろそろ、やめるか?」


「……次、行きましょう」


 次だ。次の大通りを抜ければ、赤レンガの外装が見える。ここは、まだ終点ではない。


「繰り返すが、危険なら連れ帰すからな」


「……っはい」



 息を整えてから、二人で、路地を突き進む。再び訪れる、光の筋。


「手順は同じだ。ついてこい」


 蟻沢さんは、二、三回屈伸してから、路地の外を見据える。


「人は……いないな。だが隠れているかもしれない。気を付けるぞ」


 警告をしてから、蟻沢さんが、また、路地の外へ、飛び出す。


 先ほどより、距離はない。人もいない。危険の要素は少ない。


 勿論、蟻沢さんは警戒していた。確認していた。大丈夫なはずだった。


 しかし、駈け出した蟻沢さんは、突然、道の真ん中でピタリと立ち止まった。


「……蟻沢さん?」


 どうしたのだろうか。道の中央など、さすがに長時間止まっていていい場所ではない。予想外の出来事が起きたのか。あたりを見渡してなにもないようだったようなので、彼女のほうへ駆け寄る。


「どうしたんですか、急に」


「なあ、奈保」


 彼女の声は、なぜか震えていた。


「稲盛の死体、きれいすぎなかったか」


「はい?」


「抵抗している相手の四肢を切り落とすなんて、普通できないだろ」


 確かに、言われてみれば、そうだ。しかし、なぜ今その話を……?道のど真ん中で立ち止まってする話が、それか?


 首を傾げるその疑問は、即座に解決した。蟻沢さんは、自分の足元を指さす。


「稲盛源十郎は、動けなかったんだ」


「なっなんですか、これは」


 地面から、「人間の腕」が生えていた。その手が、蟻沢さんの両足首を掴んでいる。見たことのない状態に混乱する。腕は、地面から生えないだろ、普通。


「やっべえな。全然動けないわ」


「しゃがんで、振りほどけませんか」


「いや、無理。気づいたら、私の腕のほうには、ワイヤーが巻き付いてた。動けば切れるぞ、この締め付け具合」


 目を凝らすと、いつのまにか蟻沢さんの手首には細い糸が何重にも巻き付いていた。両手両足が封じられた形か。

 

 ……オート作動する罠でも踏んだのか?いや……最悪なのは罠がない場合。近くに隠れて、タイミングを見計らって作動させたなら、もうすぐ……。



「やあ」



 耳元に囁き。鳥肌が一気に噴き出す。俺のからだはその場から飛び去る。本能が身の安全を守ろうとしている。


「お前は……!」



 先ほどまで俺が立っていたところにいたのは、奇森倶楽部にいたあの仮面の奇術師であった。


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