第四話 『火』②
視界がひらける。最初に目についたのは、壁である。そびえるマリンタワーを飲み込む高さまで伸びる、ドームの内壁だ。横浜は、かつては貿易港としてにぎわっていたそうだが、現在その海の部分は壁にさえぎられてみることはできない。海に面したドーム都市に共通しているが、ドームの壁は海岸沿いに合わせて作られている。
「壁に沿って行けば山下公園だ。そして私らが行くのは左。中華街エリア。後続が全員くるのを待つ必要はないし、ぼちぼち行くか」
戦闘はいつ始まるかわからない。俺は懐に忍ばせた小刀を撫でる。伊豆さんが俺に貸してくれたものだ。いざ襲われたら、震えて使えなそうだが、好意にあずかり、持ってきた。
「おい、邪魔だ。先に行かせてもらう」
渋い声が横を通り過ぎる。ローブの男。稲盛源十郎だ。その後ろに虎の杉田が続き、転送された人々は方面に散っていく。
「じゃあな、隊長さん」
屈強な男が通り過ぎると、ゲートが閉じた。全員の転送が完了したようだ。
「おう、がんばれよ。……奈保、私らはやっぱり、ゆっくり行くことにしよう。危険はあいつらに処理してもらったほうが賢そうだ」
「そうですね……安全に行きましょう」
伊豆さんに覚悟を示しはしたが、死線は望んでくぐるべきものではないと俺は考えている。この作戦に参加することに、意義があるのだ。
俺たちは話をしながら町中に入る。建物が総じてきれいだ。東京より人口が多いため、人の消えた廃ビルは少ない。また、この横浜は奇森俱楽部の本拠地があることで、観光都市としての機能があることも、この理由だろう。しかし、今日は人通りはない。忍者省からの通達が届いているなら、一般人は家に籠っているはずだ。
「奈保、お前って武術は何年やってたんだっけ」
「六歳から十二歳までで六年ですね。そのあとは牢暮らしで、鈍りに鈍ってしまいました」
「そうかあ。ま、期待はしてねえよ。そんなとこだろ。風犬はその間ずっと鍛えてたってことは、あいつの武術歴は十一年か。結構やってるなあ」
「風犬はここ数年どう過ごしていたか聞いてますか?本人はなぜかその話をしてくれないんですよ」
お見舞いにいくと風犬は毎回、病院の飯がまずいという話と、俺が監獄でどんな暮らしをしていたのか、という話しかしない。自分のことは語ろうとしないのだ。
「私もその間は東京離れて北海道にいたからなあ。噂程度しか知らねえ。けど、噂が出回るくらいのことをあいつはしてたっぽいぞ」
「悪い噂ですか」
「どうなんだろうな、武功会の価値観的に。あいつストリートファイトやってたって聞いたよ、私は。戻ってきて感じなかったか?東京の街に浮浪者減ってたろ。それ、風犬に怯えてみーんな引っ越したんだ。中止になったけど、今年は武功会主催の炎技会が東京で開催される予定だったろ。そのための治安の改善って免罪符を得て、風犬は町中で暴れてたんだ」
俺は、思った。あいつなら、やりそう。不思議じゃない成長の仕方だ。
「炎技会ですか。二十年に一度だからって張り切りすぎですね」
炎技会では、個人や企業が炎帝府にたいして技術の特許が出願できる。特許が認められた技術は、次の炎技会までの二十年間、申請した個人及び企業のみしか使用できなくなる。
この制度により、大企業は技術を独占し、莫大な利益を得るのである。財閥は新技術の開発者を大量に抱えているが、そこに属さない、力なき中小企業は、特許を得ることは滅多にない。それゆえにこの国は財閥が常に覇権を握っているのだ。
「ま、タイミング逃がすと大損害な、クソみたいな制度だからな……。張り切るのも無理ねえよ。それにしても中止ってことになるとなあ……」
お呪い牧場の転送技術は、開発されたのが、前回の炎技会より三年後であったため、次回までの特許出願をまつのは、むしろ損失だと判断された。そのため、この技術はお呪い牧場関係者以外の、すでに離脱した蟻沢さんのような人間も引き続き使用できるのだが、このようなことが続いては、財閥にとってたまったものではない。開催のめどが立たなければ、不況どころか大恐慌が訪れるかもしれない。
「奈保、お前これからどうするつもりだ?奇森倶楽部も武功会もなくなっちまえば、社会は大きく変わる。就職は考えているのか」
「さあ……でも、風犬と暮らせれば、ホームレスでもいい気がしますけどね」
「風犬はそれでいいかもしれないけど、お前は体調崩すと思うぞ。奈保、行く当てがないならうちの店で働け。お前人見知りするから接客は無理だろうけど、裏方にはお前向きの仕事がある。安心して受け入れられろ」
会う人会う人に勧誘されている気がする。そんなにみんな俺が心配なのか。
蟻沢さんには、考えておきます。と言っておき、保留にさせてもらう。うまくいけば、サンジェルからもらえる報酬で、一生暮らせる。ならば、労働は、そんなにしたくない。……われながら、心底くずだな、俺は。
しばらく歩き、中華街の通りに入る。ここは昔は飲食店街だったらしいが、現在は土産物販売店が大半をしめる。飲食は、火が使えない現代ではレパートリーが少ないのだ。道はここまでと変わらず、人通りはない。道には寂しさが漂っている。
「おい、奈保」
蟻沢さんが足を止める。そして、前方を指さす。その方向に目を凝らすと、道に、なにか塊のようなものが落ちている。
「なんですか、あれ」
「人、だ」
息をのむ。そうだ、ここは戦場だ。馬鹿か、俺は。なんで気を抜いていたんだ。
「うかつに近づくと罠があるかもしれない。気を付けろ」
警戒しながら、塊に近づく。四肢は根本から切断され、血だまりに胴が沈んでいる。顔面の造形は崩れておらず、その人が誰なのかは容易に判断できた。
「稲盛だ……」
ローブを纏ったあの男だ。実力者ではなかったのか。無残な姿に哀れみを感じる。作戦開始から経過した時間は十五分。早すぎるリタイヤだ。
「奈保、どうする。うち一番の戦力がこうなんだ。引き返すか」
危険さは承知していたが、こう目の前に死を見せつけられると、おののいてしまう。だが。
「いえ、進みましょう。ほかの脱落者が周りにいないってことは、この先で交戦しているってことだと思います。もう少し、進めます」
ここで引いても何も残らない。武功は立てずとも、現場にいた意味は作りたい。
「……私の転送術はあと二、三回は使える。いざとなったら、無理やりにでも連れて帰るぞ」
蟻沢さんの言葉に深く頷く。俺は、お情けで参加しているようなものなのだ。わがままは言えない。
ここからは、どこで敵に遭遇するかわからない。より一層の警戒を身にまといつつ、なるべく大通りを避けて小道選んで、赤レンガ倉庫を目指すことにした。
蟻沢さんは、辺りを伺い、安全だと判断したら、一気に駆け抜け、俺はその後ろをついていく。その手はずで二本、三本と大通りをまたいでいた最中、どこからか女性の叫び声が聞こえた。
「くっそ!!!!来るなっ」
鬼気迫る声に、とっさにその出所を探す。
「蟻沢さん。いまの……」
「近くで誰かが戦っているな」
蟻沢さんは極めて冷静に返す。
「奈保、声の方向からしてこのまま進むと、戦場となっている通りを横切ることになりそうだ。また、回り道するか」
地図を懐から取り出し、現在地を確認する。俺たちはそれなりに赤レンガ倉庫に近づいていたようだ。
ここまで来て、さらなる安全策を取るというのも、時間がかかりすぎで、じれったい。
「突っ切りましょう。誰かが交戦しているというのなら、囮になってくれます」
残酷ではない。力なきものの、生きる術だ。
「……あまり賛成できねーけど。いい機会かもしれないな。奈保、戦場ってのを見せてやる」
蟻沢さんは気乗りしない風でありながらも、我儘に付き合ってくれた。俺たちは、叫び声のあったほうへ進む。そして、中華街に連ねる店と店の間の路地に入る。
蟻沢さんは俺を制し、先に通りを伺う。
「いるな、敵。気を付けてみてみろ」
俺は蟻沢さんに感謝して、頭を低くして、路地から頭を出す。そして、息をのむ。
通りの光景は、まさしく地獄絵図であった。




