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第四話 『火』①

 滋養風太が警察省に入省するというニュースを耳に入れた武功会の関係者たちは驚いた。


 当時、彼は武功会幹部に推薦されていたのだ。これを断るのは、馬鹿というほかない。一度幹部になった者はその子孫の地位も約束される。しかし、警察省員は高給で地位もあるが、一代限りである。また、危険な仕事も多く、割に合っているとはいいがたい。よほど炎帝を心酔しているか、正義バカにしか務まらない職場だ。

 

 この件の真相を知るのは俺と風太さん本人、そして蟻沢さんくらいである。


 数人しか知らない事の真相、風太さんの電撃移籍の決断の理由。明かしてしまえば。原因は、実の妹、滋養風犬である。


 風太さんは、風犬に自分の道を変えられさせられたのだ。


 かくいう風犬は、なぜ兄がこのような決断を下したのか首をかしげていたのだから、報われない。彼は随分と思い悩んでいたというのに。


 風太さんは武術の才能に満ちていた。そのため、かわいい妹である風犬には特別に武術の手ほどきしていた。


 しかし、どんな猛獣も幼いときは愛くるしさに牙が隠れる。風犬が齢十を超えたころ、怪物が頭を出した。経験も、体格も、技術も何もかも下であるはずの妹に、風太さんは膝をつかされたのだ。


 練習場での一戦。風太さんは油断していたわけではない。正面からの、正々堂々の組手である。まごうことなき、言い訳の聞かない敗北に、風太さんの心は折れた。

 自分より才あるものがいるのが、こうもストレスになるとは思わなかったと、のちに彼は語った。その眼は悲しみに満ちていた。




 ……と、ここまでは、俺に風太さんが語ってくれた内容である。すなわち、風太さんの格好つけ、建前である。風犬への敗北が決断の一因であることは確かだが、武功会離脱の本当の後押しになったのは、蟻沢さんに告白し、玉砕したからである。


 蟻沢さん曰く、そのとき彼に、新しい場所でまたいい出会いがある、という趣旨の慰めをしたらしいが、風太さんは全然未練があるようだった。


 風太さんが館をでる日、彼は俺に言い残した。


「風犬には気をつけろ。あれの扱いを間違えれば、惨事となるぞ」


 俺に語った移籍の理由はまがい物であったが、その時残してくれた言葉は、本物だった。俺は、深く頷いた。幹部はまだ、風犬の強さ、そしてうちに眠る怪物に気づいていない。何とかしなければ、近い将来、組織だげでなく、俺自身にも危険が及ぶことが予想された。


 荷物を背負い、風太さんが外へ出る。そして、去り際、彼はもう一言、俺に残した。


「お前も一度、風犬と戦ってみたらどうだ。もしかしたら開花するかもしれないぞ」


 俺はこのころ、スランプであった。思うような体の動きができない。隣で風犬がどんどん強くなっていくのに、俺はずっと足踏みを続けている。この停滞は永遠に続き、限界と称せざるを得なくなるのではないか、と悩んでいたのだ。

 この胸の内を風太さんに明かしたことはないが、指導者の立場であった彼からすればお見通しだったらしい。案外、蟻沢さんの店に行くのに俺を同行者として選んでいたのも、俺に気分転換させる配慮のような意味もあったのかもしれない。


 俺は、時が来ればいずれ、と彼の助言に返答し、彼の背中を見送った。


 俺はその夜、外に風犬を呼び出し、勝負を挑んだ。彼女はいいよ、と二つ返事で応じた。

 

 あらゆることを先延ばしにし、行動を起こさないことに定評のあった俺が、こうもすぐに助言に従うとは、心の底で思っていたことを、証明したいという強い欲求があったからだろう。


 すなわち、俺のほうが、まだ風犬より強いという、くだらないプライドである。


 そして、決闘の結果。






 俺は武術をあきらめるに至った。


                    〇



 作戦に先駆け、風太さんは忍者省の隠密部隊を偵察に向かわせた。彼らは当代随一の諜報部隊といわれており、今回の潜入調査も一人の脱落者もださず、任務を達成した。

 それによると、奇術師一行は赤レンガ倉庫の敷地を占領しているという。見張りの兵をかいくぐり、頭だけを抑えるのは困難だということだった。

 

 そのため、作戦決行日、横浜に住む一般市民には勝手な自主避難せず、屋内にこもるように、と通達しておいた。これにより、突入の際の自由度はあがった。


 作戦は、二つの部隊にわかれて行う。

 滋養風太が率いる、炎帝府所属正規兵隊。そして、蟻沢春率いる、炎帝府公認傭兵隊である。

 

 両隊は転送ゲートである、マリンタワーに送られ、そこからそれぞれのルートで、赤レンガ倉庫に攻め入る手はずとなっている。

 風太正規兵隊はドームの壁に面した一本道、山下公園ルートを、隊列を組んで進攻する。一直線なので、途中経路に罠が仕掛けられていない限りは、短時間で目的地に到達する。

 そこで、この隊は奇術師の操り人間たちと対峙することになるが、これは囮である。中華街ルートから遅れて到着する蟻沢傭兵隊が、本命のフィニシャーである。


 傭兵隊は急遽募集をかけた人材で構成しているため、団体行動でのパフォーマンスは期待できない。そのため、赤レンガ倉庫に潜入が成功したあとは、各々の判断で任務を遂行するように、とだけ指示してある。そのほうが、確率は高いだろう、というのが蟻沢さんの意見である。


 こうして、作戦が整ったところではあるが、俺は疑問を呈す。


「しかし、風太さん。籠城しているというのなら、そもそも攻め込むことはせず、マリンタワーのゲートを警備し、兵糧攻めにするってやり方もあるんじゃないですか」


 操られている人間たちを恒久的な戦力とするためには、人数ぶんの食物が必要になる。赤レンガ倉庫は、奇森倶楽部の拠点であるため、備蓄された食料はあるにはあるが、さすがに限りがある。いずれ、動かなければいけなくなるはずだ。


「その案は、俺も思いついたのだがな。蟻沢に却下された。中華街エリアには飲食店が連なっている。ここから簡単に物資を確保されてしまうからな。それに、横浜には、まだ住人がいる。さすがにドーム丸ごと犠牲にするような真似は、いけない。一般市民によって、炎帝府へクーデターがおこるだろうな」


「そうですか……。やっぱり行くしかないんですね」


 おそらく旧人類はもう少しうまくやる方法を持っていただろう。しかし大規模な戦が起きずに歴史が進んだ新人類には、戦術が育たなかったのだ。平和がゆえの脆弱。これは誇るべきなのか、論じるには時間が足りない。


「やめてもいいんだぞ。お前は蟻沢の隊に入ることになったからな。俺が守ることはできなくなった」


「ここまできたら、やり遂げますよ。意外と俺が大金星あげるかもしれませんよ」


 風太さんは声をあげて笑う。


「無様に生きろよ、獅子頭奈保」


「お互いね、滋養風太……さん。無事に終わったら一緒に風犬にリベンジしましょうか」


 風太さんは、そいつは死んでもごめんだな、と片手をひらひらと振り、整列している部下の下へ向かう。


 偽金沢城の目下、兼六園の転送ゲートに集まった強者たちは総勢五十余名。そのうち傭兵隊が、俺を入れて十五人である。

 蟻沢さんがこの隊の長を任されたのは、作戦立案の中枢にいたことと、転送術を使える呪術型の知り合いをかき集めるという貢献をしたのが理由だ。

 

 当初警察省は、六大企業がひとつ、お呪い牧場の技術者に協力を仰いでいたのだが、拒否されたのだ。転送術の使い手は貴重であり、勝算が明らかでない戦いの場に送り込むのを嫌がったのだ。

 お呪い牧場は炎帝府との結びつきが最も強固な企業であり、警察省の職員は交渉の際、下手に出るしかない。失礼があれば政府を通して省にクレームが入ってしまうのだ。そこで蟻沢さんは現在所属する、お呪い牧場から独立した会社、愛りん所属の転送術者を紹介したことから、蟻沢さんは信頼を勝ち得たのだ。


 敵の総数は推定五百人。これは旧武道館から失踪した人数と、赤レンガ倉庫に当時いたとされる人数を合わせて求めた。彼らは全員操られ、兵隊にされていると考えられる。対してこちらは五十四名。だが、問題はない。こちらが用意したのはひとりひとりが一騎当千の実力者たちである。各々、武功会幹部に引けを取らない強さをもつ。


 蟻沢傭兵隊において、もっとも戦力として期待されているのが、通称「アルマゲドン」、稲盛源重郎なる男である。


 全身をローブで覆い、その表情は窺えないが、身にまとう雰囲気は強者のそれである。彼は特許技術を個人で三つ保有する魔術型の戦士である。バウンティハンターとしての功績は目を見張るものがあり、警察省の幹部が直々に作戦への参加を打診したという。


 ほかにも蟻沢傭兵隊には曲者が多数参戦する。フリーの狙撃手「朱雀のカナデ」、「白虎のサシャ」や、武功会非公認武道団体「蒼路」師範代「虎の杉田」などが代表的だろう。彼らは皆、自身が最強だと確信しているからか、誰とも群れずに静かに待機していた。


 風太さんの隊は対照的に、揃いの軍服を着て、整列しながら時を待っている。全員が風太さんの忠臣で構成されたその隊は、個の武力もさることながら、団体行動でこそ本質を発揮するという。


「諸君、これほどの規模の争いごとは、警察省発足以来初めてだ。だが、恐れることはない。諸君は優秀な兵だ。賊に後れをとることはあり得ない。俺を、自分を信じろ。ただ、勲章欲しさに無茶だけはしてはならない。慎重に、安全に、任務を完遂するのだ!」


「押忍!」


 兵の士気を高める風太さん。身内の意外な一面に、感心する。風太さんの隊はあと一分後に転送ゲートをくぐり、横浜に向かう。戦士たちの心構えは万全なようだ。


「風太の奴、帰ってきたら告白とかしてきそうだな」


 蟻沢さんはこっそりと軽口を叩く。俺は、はは、と笑う。何気に風太さんへの信頼を寄せているのがわかる。もしかしたら、すでに告白されていて、帰ってきたら返事を聞かせてくれ、などと言われているのかもしれない。


「では、いくぞ!」


「応!」


 三人の呪術師が転送ゲートを空に発生させる。形は横長で、整列したまま突入できるようになっている。風太さんはちらりと蟻沢さんのほうを見てから、ゲートに足を踏み入れた。体全体が黒い扉に吸い込まれ、部下たちもそのあとに続く。次々と転送されていく正規兵隊。先頭集団は既に戦場に到着しているはずだ。そう思うと、改めて引き締まる。


「傭兵隊、聞け!」


 蟻沢さんは最後の正規兵隊の列が転送されたのを確認すると、声を張り上げた。


「我々は、これより五分後、横浜、マリンタワー下に転送される。そして、そこからは自由行動だ。自分らの判断で動け。組むものは組み、一匹狼なやつは一人で、それぞれが敵の頭の捕獲を目指せ。基本的なルートは中華街エリアを経由して赤レンガ倉庫とするが、方向が同じであればほかの道を通っても構わない。また、最後に念を押して言うが、敵の頭は生け捕りだ。絶対に殺すな」


 傭兵隊は無言である。聞いてはいるが、蟻沢さんを上とは認めていないのだ。


「ったく、こいつら……。奈保、わかってると思うが私の傍から離れるなよ。いざとなったら転送術で撤退する。先走るな」


「はい。よろしくお願いします」


 蟻沢さんが作戦参加を決めたのは俺のためだと本人は言った。風太さんが俺に付きっ切りでは指揮系統に支障がでると踏んだと語っており、本当は俺のためというより、風太さんのため、なのだろう。

 五分はあっという間だった。よし、いくかと蟻沢さんは呪術師にゲートを発生させるように合図をおくる。知った仲の呪術師はオッケーと気さくに答え、転送術を展開する。



「傭兵隊、これより戦地に向かう。各々の健闘をいのる」


 蟻沢さんと俺は手を握り、黒闇に進む……。




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