第三話 『油』③
「それで、敵戦力の分析だが」
風太さんが言葉を区切る。サインを書き終わり、顔をあげると、風太さんは一方向を見つめていた。
視線の先を追うと、俺の真後ろ上方である。見上げると蟻沢さんだ。浴衣を着ている。彼女の髪には水気がなく温泉からあがって、それなりに時間が経過していることがうかがえる。
風太さんの思惑、「湯上りの蟻沢さんを見る」を防いだわけか。
「よお、風太。元気そうだな」
「蟻沢……」
不満そうに名を呼ぶ風太さん。欲求が表に出すぎていて、気色が悪い。思えばいつも蟻沢さんは一枚上手であった。手玉に取られて遊ばれる関係は、相変わらずである。
「楽しそうな話してるなあ、お前ら。私も混ぜてくれない?」
「っ……どこから聞いていた」
風太さんは、顔を引き締めて、蟻沢さんを睨む。
蟻沢さんはニヤリと笑う。
「最初から。お前らの声の聞こえる死角に隠れていた。だから話は続きからでいいよ」
髪が乾くまで待っていたのだろうか。……それにしても風太さんは情報を漏洩させすぎではないかと思う。そういえば、極秘なのになんでこんな応接間ででなんか話しているのだろう。さっきから目にはちらちら映っていたが、偽金沢城に努める忍者省の職員さんたちは、普通に俺らの後ろを通行していたし、聞き耳なんて簡単に立てられる状況だった。風太さんのポンコツさを思い出し、彼の職場での立場が心配になる。
「まさかお前も志願するつもりか?」
「悪い?私の実力、知らないわけではないでしょ。喫茶店の美人店員としてだけじゃなく、兵としても魅力的な人材だと自負しているけど」
東京という都市は、六大企業、武功会の本拠地ではあるが、浮浪者もかなりいて、治安が悪い。そんな都市で、蟻沢さんは夜道を一人で歩けるのだ。自宅への帰路、強盗、暴漢に襲われても、そのすべてを撃退しながら歩を進める。呪術は使わない、喧嘩術のみで身を守るあたり、そこが知れない。
以前風太さんと一緒に帰った時、五人ほどのチンピラに襲われたらしいが、風太さんが二人を相手している間に彼女は三人倒していたという。実は、戦闘面でも、なかなかの実力者なのだ。
何故、そんな強さを持っているのかのバックグラウンドについては尋ねたことはないが、確かに、蟻沢さんは俺なぞよりよっぽど今回の作戦に参加するに適している。
「お前が魅力的なのは認めるが、やめておけ。戦う理由もなしに飛び込んでいいものではない」
風太さんは蟻沢さんを横浜に連れて行きたくない様子だ。まあ、自分の好きな人を危ないところに行かせたくないのは至極当然の発想だ。
「ふうん、そう。じゃあいいや。とりあえず敵の戦力の説明してくれない?」
あっさりと引き下がる蟻沢さん。しかし話には加わりつづけるあたり、まだ一枚噛むことを狙っているようだ。風太さんは、一度溜息をついて、仕切りなおす。
「警察省の分析では、敵は反社会的武装集団だ。六大企業のうち二つを襲撃、壊滅させ、証拠をほとんど残さない手際の良さから、念入りに練られた計画のもと実行していると考えられる。また、ここ数年、サンジェル以外のテロ組織の成立の動きはない。そこで犯行グループはサンジェルの手先、またはサンジェルから独立した一派ではないかと推測されている」
半分くらいは、合っている。この様子なら警察省は頼りになりそうだ。
間違っている部分もあるが、それを俺が指摘すれば、なぜ知っているのか、という事態に陥りかねない。サンジェル由来の知識は、一応炎帝府側である風太さんのまえでは出せない
。
「武功会に放置されていた遺体の一部、腕や指、足にはきれいな切断面が残っていた。ここから襲撃者の得物は刃物で統一されていると考えられる。これを警戒すべき点として、希望する参加者には防具の支給を検討している」
「武功会幹部の武芸者や、奇森倶楽部の観客を全滅させたのは、刃物の達人集団?え、ちょっと待て。本気でそう考えてる?」
ここで、黙っていた蟻沢さんが突っかかる。
「武功会は戦闘のプロフェッショナルだぜ?それを真っ向から体術で打ち破る実力者を、秘密組織であるサンジェルが複数人抱えてるっていうのは、無理があるだろ。いくらなんでも、それは強すぎっしょ」
「確かに強すぎる。だから俺たちは十分な戦力を確保し、万全の体制で……」
「そんなことを言ってるんじゃないよ、風太。あんたの推察は前提から間違っているって言ってるんだよ。奇森倶楽部での出来事、あんたも伊豆から聞いたんだろ?場内にいた観客は、奈保と伊豆が一度席を立って、帰ってきたら、様子がおかしくなっていたんだ。全員が全員棒立ちして、果ては壇上の奇術師が命令したら、襲ってきたやがった」
「……それは聞いている。観客のなかにもともと、その奇術師の仲間が混じっていて、そいつらが命令に従って襲ってきた、ということではないのか」
なるほど、そういう考え方をしていたのか。俺からは訂正できないので、ここは蟻沢さんに任せて俺は息を潜める。
「ちげーよ。さっきも言った通り、観客全員が、奇術師が命令した途端、ゾンビみたいに襲い掛かってきた。私が見た限り、あいつらマジで死人みたいに生気ってもんがなかったぜ。自分の意志で人を殺そうとしている感じじゃあなかった」
「……操られている、ということか」
「そう。敵は団体様なんかじゃない。あの奇術師ひとりだ。あいつはどんな技術か知らないが、人を操る術を使う」
風太さんの考えは、伊豆から聞いたとはいえ、現場をみていない人間の発想だ。あの場に居合わせたのなら、蟻沢さんのように、仕組みはわからなくても、仕掛けはわかるのが自然だ。あの奇術師は他人を操ることができる。その事実を漏らさないために、あの奇術師は目撃者を殺すことに躍起になっていたのだろう。
「おそらく、武功会では、幹部連中を操り、同士討ちさせたんだ。武術型の達人を白兵戦でたおせるのは同じ武術型くらいだろうからな。で、だ。人を操る技術を開発してそうなのは心理研究に長けている幻術型か、旧人類のロストテクノロジーを使える神術型だろう。奇森倶楽部にいたあの奇術師は、そのどちらかの技術型だ」
蟻沢さんの推察は90点だ。俺が言える立場ではないが、爪が甘い。奇術師の正体は奇術型だ。サンジェルの生み出した倒達者であるなら、だが。
ややこしいが、ここで誤解を生じないように説明しておく。「奇術師」は職業名である。対して、「奇術型」は新人類のカテゴリの一つである。ようは、奇術型の人間全員が、奇術師を生業にしているわけではなく、逆に手品ができる武術型が、奇術師を名乗っていることもある。
もっとわかりやすく例えれば、……大柄な体格の人間全員が相撲取りではない、といったところだろうか。
ただし、魔術や呪術は、他の技術型が行えることではないので、それぞれ魔術型にしか魔術師はおらず、呪術型にしか呪術師はいない。
しかし、この事実、「仮面の奇術師は奇術型である」という、本来俺が知りえるはずのない情報を二人に明かせば、俺はサンジェルの仲間だとばれてしまう。いや、あんなのの仲間になったつもりはないが、ともかくこの場に風太さんがいる以上、再収監もあり得る。
それとなく伝えられたら良いのだが……。風太さんは蟻沢さんの意見について考え込んでおり、場は沈黙している。議論がひと段落ついてしまった後に提言するのは不自然になってしまう。差し込むなら、ここしかない。
「あの、俺はあの奇術師は、奇術型だと思います」
二人は顔をあげ、視線を俺に合わせる。俺は緊張する。言ってみたはいいものの、筋の通った論理を、まだ頭のなかで構築できていないのだ。
俺は脳の回転を加速する。そして、馬鹿なりに、思い浮かんだ意見を発する。
「俺と伊豆が襲われた奇森倶楽部のショーですが、定期公演されている、正式な、ものです」
「そうだな、それで……。ああそうか考えすぎてたな、私」
蟻沢さんは相槌を打ちながら理解したらしい。後付けばりばりではあるが、大丈夫だ。違和感なくこの場に通用する。
「奇森俱楽部で開かれる定期公演の演者は皆、倶楽部所属の奇術型のみと聞いたことがあります。素性のわからないパフォーマーが飛び入りで参加するなど、ありえないです。つまり、敵は奇森倶楽部に所属している、信用ある人物である……と俺は考えました」
先ほど、武術型の奇術師もいるといったが、彼らは奇森倶楽部のなかでは地位が低く、ステージにはめったに立たない。奇森倶楽部は創始者が奇術型なので、現在も奇術型ファーストな体制なのだ。
さて……言い終わった後のほうが、不安になる。どこかに矛盾がないか、粗がないか。揚げ足を取られたとき、俺には弁解ができるほどのディペート力はない。
「奈保」
風太さんが名を呼び、体が硬直する。彼の次のことば次第で、俺の運命は決まってしまう。どうか、何も勘づくな……!
「お前、頭回るなあ。」
ほっと胸を撫でおろす。
風太さん……!ぼんくらでありがとう……!俺は心の中で礼をいう。だから、この人が好きなのだ。思い通りにならない俺の人生で、唯一いい方向へ転んでくれる、貴重な存在。それが風太さんである。
「蟻沢もありがとな。情けない話、こんな議論をしなければいけないほど、準備が進んでいないんだ。実は、動ける人材がすくなくてな……。旧武道館に警察が出向いたのも1,2回だったろ?この一連の騒動、警察省はなにやら炎帝府から捜査に制限をかけられたらしい」
風太さんは申し訳なさそうに頭を下げる。なるほど、圧力か。風太さんが武功会の調査に来なかったのは心情を考慮されたなどという優しい理由ではなかったのか。
ふと、蟻沢さんのほうを見る。神妙な面持ちである。本命の注意人物は、彼女だ。できればこっちも気づいてくれるよな……。
「風太、圧力ってなんだよ。その奇術師は武功会の敵、要は世を乱している炎帝府の敵だろ?なんで捜査の制限をかける?」
「あ……」
声が漏れてしまったので、気づかれないようにそっと口元を手で覆う。確かにそうだ。何故炎帝府は奇術師を、まるでかくまうような真似をするのだろう。奴はサンジェルから離反したとのことだったが、まさか炎帝府は、奴を迎え入れようとしているのか……。すなわち、炎帝府は既に奇術師が倒達していることを知っている……?
と、ここでめまいが起こる。
まずい、長時間考えすぎた。額が熱い。これが知恵熱ってやつか。牢獄のなかではろくに本も読めなかったので、やはり昔以上に頭が悪くなっているらしい。すぐに、脳が疲れてしまう。
「さあな、俺は公務員だ。余計なことに首つっこんで、自分の首を飛ばしたくはない。ひとまず、ここまでまとめると、ターゲット奇森倶楽部所属の奇術型の奇術師。そして複数の人間を操る技術を保持している、ということだな」
俺は頷く。蟻沢さんも頷く。
「あと戦ううえで気をつけなきゃいけないのがさ、どんな手順でその操る技術を発動させるのか、だよな。奈保たちが小屋を出て、戻るまでの短時間で、自分の命令を聞く人形を作るんだろ?難しいステップを踏む必要がないとしたら、戦闘中に操り人形にされちまう、なんてことも起こるんじゃないか?」
「確かにそうだな……。採用するのは、遠距離攻撃の可能な奴を中心にしてみるのはどうだろう。敵のほうもさすがに視認できない相手を操るなんてのはできないのではないか」
「ああ、奈保、私らもう少し作戦を練るから、お前はもう寝てろ。疲れているだろう」
「え?あ、ああはい」
議論が終わりかけた雰囲気で、さらっと言われたので疑問を抱かず、促されるまま応接間を後にする……。振り返ると蟻沢さんは俺にだけ見える角度でウインクをした。
廊下に出たところで、ようやく彼女の意図に気づく。
あの人、あの調子で風太さんに仲間意識を根付かせ、そのまま作戦に同行するつもりだ……。
「蟻沢さん、当日来るんだろうなあ」
あの抜け目のなさは、見習いたいところである。




