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第三話 『油』②

 脱衣所を抜けると、不審者がいた。


 その男は、脱衣所の入り口で膝を抱えて座り込んでいた。はっきり言って、異様である。成人した男性が地べたに座り込むのは、滅多なことではない。言い換えると、いい大人が進んで土の上を腰掛場所に選ぶのは常識がない。座るところがなく、立ち疲れたのであれば、せめて、この庭園に無数にある岩などの上に座るのが、一般的な思考回路ではないだろうか。


 白シャツに黒のスラックス。その上に羽織るのは、学ラン。学ランは現在、炎帝府の警察省職員の制服として適用されているため、この男が公務員であることが証明される。つまり、良識のある大人であるはず、なのだが。


「お久しぶりです。風太さん」


 男が顔をあげる。その目は淀んでいた。


「なんだ、奈保か。今回のことは聞いている。災難だったな。今夜はゆっくり休め」

 

 年単位であっていない知り合いに向けたとは思えないほど、心が微塵もこもっていない簡素な言葉である。話を聞いているなら、もっと心配してくれてもいいだろうに。


「事情聴取くらいはされると思っていましたが、警察省から風太さんが派遣されるとは、驚きでした」


 武功会壊滅の件では、警察省から大量の捜査員が導入されたが、その中に風太さんはいなかった。武功会出身の人間は、この件の捜査から外されたと考えていたのだが……風太さんが現場に駆り出されたということは、警察省は奇森俱楽部の奇術師は別件だと考えているのだろうか。


「まあな。伊豆麻里からあの場で起こったことは既に聞いている。お前と話すことは……いや、あるな。とびきり重要な奴が。後でお前の部屋行くからやっぱり起きてろよ」


「……はあ。別にいま話してもらっても構わないんですが」


 いや、と風太さん。その場から動く気配はない。


「人に聞かれては困る話だ。場所は考えたほうがいい。それに、俺には任務より大事なものがある」


 深く座る風太さん。湯上りの蟻沢さんを目に焼き付けようと企んでいるのだ。何故だろう、覗き以上に変態度が高い。


 滋養風太。元武功会師範代、現警察省戦闘第三課職員。かの滋養風犬の兄であり、よく俺も世話になった。というか、出汁に使われていた。


 風太さんは、直接的に言えば、蟻沢さんに恋をしている。蟻沢さんが働いている喫茶店に通う際、一人で何回も通うのは気持ち悪がられると考えたらしく、俺が駄々をこねて連れて行って貰っているという、「設定」 を作っていた。


 もちろんそんな予防線を張ったところで、蟻沢さんには、風太さんの魂胆を勘づかれていた。俺としては、タダで甘いものが食べられるのを素直に喜んでいたのだが、あえて言うのなら、年上の男が、女にデレデレしているのを見るのは少々辛かった。


「蟻沢さん困ってましたよ。変な人が外にいるから出られないって」


「何、どこにいる。お前ら目撃者の護衛も任務なのだ。怪しいやつは片っ端から殴ってやる」


 勢いよく立ち上がる風太さん。目は狂気に満ちている。


「自傷行為はおやめください……」


 この人はよく公務員になれたものだ。戦闘第三課は基本的に武力行使だけしていればよいらしいので、適材適所なのかもしれないが。

 

 失礼なことを考えていると、くるりと風太さんの頭がこちらに向いた。



「おい、そういえば、お前、女湯から出てきてなかったか」





 場面展開。





「炎帝府から公共事業のお誘いだ」


 忍者省の本館、「偽金沢城」のロビーにある応接間的スペースにて、風太さんは一枚の紙を俺の前に差し出した。上質な紙質。炎帝府公認の印も押されている。サンジェルの顔が浮かんだので、デリートする。


「どうした渋い顔をして。悪い話じゃないぞ。読んでみろ」


「はあ」


 いわれた通り目を通す。……はて。


「随分と危険な仕事じゃないですか」


 仕事内容は、武功会の襲撃は、奇森倶楽部で俺たちを襲った集団と同じ組織が行ったとしたうえで、この組織を殲滅すること、であった。……炎帝府は、二つの件を関連付けたのか。俺の予想は大外れだったようだ。

 武功会という有事に出動するはずであった戦闘団が消滅したため、今回は、腕に覚えのあるものを集めて即席の戦闘部隊を編成するらしい。炎帝府の公式な募集であるためか、確かに報酬は高い。


 しかし……。


「いやですよ。俺あんなのと戦いたくないです。死ぬ気しかしません」


 俺と伊豆さんがトイレに行っている間という、短時間で、あの仮面の奇術師は、会場にいた観客全員を……方法は不明だが、おそらく、操ったのだ。奇術師の意のままに動く観客たちの姿から、そう解釈できる。


 あのときの、会場にいた人間がいまもあの奇術師に操られたままであるというのなら……。一人の人間のちからであのような芸当をし、維持できているというのなら、恐ろしい技術力だ。逆立ちしても、俺が相手になるとは思えない。


 警察省の見解通りに、武功会を襲撃したのも、仮面の奇術師であるとするなら、もはや俺の割り込むすきなどない。俺などが作戦に参加したところで、戦力にはならないだろう。

 答えを渋っていると、俺の心配を察した風太さんが、安心しろ、と言ってきた。


「計画では、隊列を組んで侵攻するが、お前は最後方にするように口利きしてやる。手柄を立てなくても、参加するだけで報酬は出すことができるからな。……聞いたぞ。武功会、解散なんだってな。金が必要なんじゃないのか」


「報酬は確かに魅力的なんですけど……」


 俺がためらう理由はもう一つある。


 サンジェルの件である。


 武功会、奇森倶楽部の襲撃。そして時を同じくしての、サンジェルの下からの倒達者の逃亡。


 時を同じくして起きたこの二つの出来事。これこそ、関連性を疑わらずには、いられない。


 俺は、こう考えているのだ。あの、観客を操った奇妙な技術は、倒達者のちからによるものなのではないか、と。


 倒達者とは、炎帝により火の使用に関する知識を一切奪われた新人類のなかで、火を生み出すことに達した者のことである。彼らは、現人類がどれだけ知恵を絞っても、成し遂げられない火の使用方法を可能にした偉大な技術者であり、その過程で、特別な力を得ている。会場で起こった現象は、普通の人間が再現することはできないだろう。あんなこと、倒達者くらいでなければ、できない。


 もし、この武功会の襲撃犯、奇森倶楽部に現れた仮面の奇術師、そして倒達者……確か、「狩場瑠衣」といったか、が同一人物であるというのなら、この作戦に参加することは、サンジェルからの依頼と重複してしまう。


 風太さんについていけば、俺に仮面の奇術師と戦う役目は回ってこない。安全な代わりに、これでは炎帝府の提示した報酬金のみしか、受け取れない。少なくはないが、せいぜい当面の生活費を補填する程度の額だ。欲をかいているわけではないが、ホームレス待ったなしのこの状況では、サンジェルの提示しているほうの、高額報酬のほうが、俺には魅力的である。


 なにより、サンジェルから誘いを受けているのに、それを優先しないことは、裏切り行為ととらえられるかもしれない。サンジェルが、裏切り者をどうするか。裏切り者の始末を頼まれている俺には、想像するまでもない。


 要約すると、いま俺の前にある選択枝は、「風太さんについていき、怪我無くある程度の金を得る」か、「別の機会に、単身倒達者に挑み、サンジェルから多額の成功報酬を得るか」の二つである。


 「風太さんについていき、ほかの人を出し抜いて俺が倒達者を倒す」というのもあるが……人の多くいる場所では、さまざまな事情により、不都合だ。


 風太さんは、深く考え込む俺を待ってくれていた。しかし、さすがに無言の時間が長かったのでしびれを切らしたのか、新たに違う方向から切り込んできた。


「実は、風犬から、今回の作戦に、お前を誘うように頼まれてな」


「え?」


 急に出てきたその名前に、俺は驚く。風犬が?


「警察省から、金沢に来る前、東京に寄ったんだ。風犬の見舞いと、お前が巻き込まれたことを報告するために」


「へえ……」


 風太さんが、風犬のお見舞い、か。……まあ、あれから何年も経ったのだし、風太さんのなかでは折り合いがついているのかもしれない。

 滋養の兄妹のあいだには、ちょっとした、確執というほどのことでもないが、おもに風太さんが気まずくて妹に顔を合わせずらいという事情があるのだ。とやかくいうつもりはないが、この二人が会うとは、驚きだ。


「そしたらあいつ、ちょっと目を離したすきに、勝手に俺のカバンを漁って、今回の計画書を読みやがったんだ。一応、内部文書にあたるんだぜ?信じられねえ」


 風犬らしい行動だ。そこは管理しきれなかった風太さんにも責任があるのではないか、と思ったが突っ込まず続きを聞く。


「で、奈保ちゃんは最近自信を喪失しているみたいだから、俺のコネで作戦に参加させて、手柄を立てさせてあげて……って言ってきたんだ」


「風ちゃんが、そんなことを……?」


 そうか、そんな風に見られていたのか……いや、恥ずかしがらずに言えば、見抜かれていたのか、だ。

 


 あの、風犬が。あの自分のことしか考えないようなやつが。


 俺のことを想ってくれた……?

 

 ………。


 この作戦に参加せずに後日誰にも知られないところで、倒達者に挑んで、サンジェルから高額な報酬を得た場合。確かに、金は手に入るが、そのとき褒めてくれる人間は、誰もいない。サンジェルは指名手配犯であるため、得た金の出所を話すのは止められるだろう。つまり、風犬には、俺が頑張ったことを誇示できない。


 …………。


 ……この作戦に参加することが、サンジェルへの裏切りに直結するだろうか。風太さんたちの部隊の作戦が失敗すれば、チャンスはまたやってくる。または作戦が成功したとしても、殺す機会をうかがっていたが、失敗した、と言い逃れをすれば、サンジェルも納得してくれるはず……だ。


 そもそも、警察省のターゲットである奇術師が、サンジェルの追う倒達者と同一人物であるかは、まだ定かではないのだ。そうかもしれない、という俺の予想にすぎない。だからサンジェルに詰め寄られても、まさか同じ人物であるとは思わなかった、とシラをきればいい。大体、依頼してきておいて、標的の情報を教えないサンジェルにも落ち度がある。これでは間違ってしまうのも、無理はないではないか。


 ここまでため込んできた論理をひっくり返し、新たな論を正当化する。脆い鎧ではあるが、ひとまず身にまとえた。


 指針を決めた俺は、垂れ下がっていた頭をあげ、風太さんを正面から見据える。


「風犬はそういっていたが、さっきも言った通り、俺はお前に活躍の場は与えないつもりだ。昔から可愛がっていたお前を、危険にさらすのは気が引ける。当日は、隊の後ろのほうで隠れていてくればいい。そもそも、戦地に赴く以上、絶対に安全なんて保障はできないから、嫌ならば断わっても全然……」


「いえ、あの……風太さん、やらせてください」


 食い気味に風太さんの話をさえぎる。

 急に乗り気になった俺を、一瞬風太さんは怪訝そうな目で見る。


「風犬の名前でそんなにやる気がでるものか……。兄としては複雑な気分ではあるが……妹にいわれるがまま誘ったのは俺だが……絶対に、無理はするなよ。契約書だ。ここにサインしてくれ」


 風太さんが示した紙にはすでに十人弱のサインが書かれていた。その中には姓が伊豆の者もいる。聞くと、忍者省に着いてから風太さんは城内の剛の者に声をかけ協力を煽っていたという。


「忍者省には腕の立つ武闘派の忍が何人も在籍している。戦力として申し分ない。いま俺の同僚たちも名のある強者を各所で勧誘している。即席の兵隊では統率力に不安が残るが、武功会が壊滅している以上、仕方あるまい。各個撃破の非効率な戦いになると思うが、それゆえにお前が戦果を上げなくても個人差として片づけられる。贔屓はばれないさ」


 各個撃破?……あー、なるほど。隊列を組む、というのもまとまって動く程度の意味なのか。そうなると、若干、身の安全が不安になったが、まあ。


「何から何まで、ありがとうございます」


 万全、とはいえないが順調な運びである。俺はひざのうえで拳を握りしめ、うれしさに滾る気持ちをいさめた。


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