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その、建物

 朝日を浴びてきらきらと輝く、屹立するクリーム色の直方体を仰ぎ見て、無意識に口角を上げる。久し振りの好天の所為か、それとも高さが競合する建物が周りに無い所為か、目の前にある十三階建ての建物は何時に無く立派に見えた。

 思えば、この建物が完成するまでには様々な事件が発生した。老朽化し、耐震基準に満たなくなった講義棟や研究棟をまとめ、大学のシンボルとなるような高層の建物を建てようという計画が持ち上がったのは五年以上も前。学習環境と研究環境の面でなるべく学生や教職員に迷惑をかけないよう、使われている棟を解体せず先にこの建物を建てようという計画の下、大きめの駐車場を一つ潰した所為で、車で通勤せざるを得ない田舎の大学の状況を考慮していないと却って学生や職員の強い反発を招いてしまったこと。日本有数の大河による土砂の堆積によってできた平野に位置する大学であるが故に、地中深くまで杭を打たなければ高層の建物を建てることができない状況に戸惑ったこと。共有スペースを増やす為に研究スペースを一律に減らしたことで、研究に従事する教職員が次々に文句を言ってきたこと。試練のようなその全ての問題を解決した上での、今日である。微笑みが浮かぶのも無理はない。

 このように重厚な高層の建物を、この脆弱な地盤の上に建てて良かったのだろうか? 何度目かの問いが、脳裏に浮かぶ。その不吉な問いを、首を振ることで振り落とし、再び仰ぎ見た直方体は、雲が朝日を隠してしまった所為か何処かくすんで見えた。大丈夫だ。そう言って心を落ち着かせる。この高層の建物を支える為の基礎の強度に関する計算には、自分の専門知識をフルに使った。今、直方体のこの建物は何処も歪むことなく、目の前に鉛直に建っている。雲の上の人々が協議していると噂に聞く大学改革に巻き込まれ、吹けば飛ぶようなこの大学が潰れても、この建物はこのちっぽけな町のシンボルとして、当分の間ここに有り続けるだろう。それも全て、自分の持つ力のなせる技。そこまで考えた、次の瞬間、脳裏に浮かんだ光景に、全身が震える。目の前に有ったのは、深く掘られた砂土の穴の中にうつぶせに倒れている人の姿。地面と、地面に乱れて伸びている長い髪が濡れているのがはっきりと分かる。背後から殴られて、穴に突き落とされたのだ。そして、その人を突き落としたのは。この十三階建ての建物を建てる為に必要な基盤の強度の計算をさせた上で、手柄を自分だけの者にする為に、無防備な後頭部を鈍器で殴り、建物を建てる予定地だった駐車場の深い穴に突き落としたのは。

 次の瞬間。はっと意識を取り戻す。目の前にあるのは、先程と同じ十三階建ての直方体。そして、その建物を建てる基礎の強度の計算をしたのは、自分自身。助手は使っていない。第一、建物の設計すら資格を持つ職員に無償でやらせるような貧乏な田舎大学には、若い准教授に助手を付ける金は無い。それでは、深い穴に倒れていた、長い黒髪を持っていたあの人は、一体誰なのだろうか?

「いつまで無視するつもりなの?」

 鋭い声に、おそるおそる後ろを向く。先程の幻覚と同じ長さの髪が、目の前でゆらゆらと揺れていた。その髪の向こうにあった、黒曜石のような瞳が、罪を暴く。

「あなたは、私を見つけていたのに、何もしてくれなかった」

 過去の風景が、ゆっくりと脳裏に浮かんでくる。建物の建築予定地であった駐車場の地下を調べる為のボーリング調査に立ち会った際に見つけたのは、どう見ても人の骨としか思えないもの。大学が建つ前、この場所にはこの土地を支配する豪族の広大な屋敷があったらしい。その屋敷を建てる際の人柱なのだろう。そう考えたから、人骨は誰にも見つからないように、見つけた場所を少し深く掘って埋め戻した。次に建つこの建物をも、守ってくれるように。その期待をも、確かに込めて。だが、彼女は、そのことが気に入らなかった。だから、目の前に現れた。

「すまない」

 本当は、ちゃんと掘り出して、どこかの寺で供養してもらうべきだったのだろう。しかし、計算に自信が無かった当時の自分には、たとえ迷信と言われても、古い人柱に頼りたかった。だから、虚心に、目の前の女性に頭を下げる。この女性が、彼女を無視し、利用しようとした自分のことを殺したいほど恨んでいるのなら、この命を渡しても構わない。建物はできあがった。この建物と共に、自分の名も、残る。悔いは、無い。

 呆れたような笑い声が、耳に響く。顔を上げると、長い前髪を掻き上げた小さな指と、その下に見える呆れた白い顔が、目の前にあった。

「反省しているなら、良いわ」

 ふわりと、目の前で黒色の髪が弧を描く。

「この時代も、面白そうだし」

 その言葉を残し、女性の姿は溶けるように消えた。


 その、次の日。

 建築科に新しく所属することになった一年生が、研究室に現れる。

「今年は、女子が多いですね」

 にやけた顔で新入生を見詰める同僚の声を聞きながら、見るともなしに見詰めた学生の中に、古風な黒髪の小柄な女学生を認め、鼓動と視線が止まる。振り向いた女学生は、確かに、あの女性と同じ、全てを暴く黒曜石の瞳を持っていた。

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