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破れない約束

 柔らかく細い腕が、ツィリルの身体を力強く抱き締める。

「……温かい」

 昨日は「暑い」とか言ってなかったか? 耳をくすぐる言葉に、僅かに鼻を鳴らす。しかしツィリルの、今は柔らかな毛並みを撫で続ける細い指の持ち主、主人である少女アンジェラに逆らうことなく、ツィリルは猫の姿を保ちながら、アンジェラの方へと僅かに身を擦り寄せた。彼女が「暑い」と言えば、冷たい皮膚を持つ爬虫類に変身すれば良いだけの話。温かさを求めるのであれば、もっとふわふわとした毛を持つ動物にだって変身することができる。アンジェラの命令は、絶対。それが、ツィリルを縛る約定。

「柔らかい……」

 ツィリルを抱いたままベッドに横たわるアンジェラの、僅かに赤みを帯びた黄金の髪がツィリルの鼻先に掛かる。アンジェラの髪はいつも、柔らかくて良い匂いがする。ツィリルを更にぎゅっと抱き締めるアンジェラに更に擦り寄り、ツィリルはうっとりと目を細めた。しかしながら。昼間だというのに、何故アンジェラは自室のベッドでツィリルを抱いているのだろうか? 僅かに足先に触れる、冷たい感じのする滑らかなアンジェラの衣装に、ツィリルは内心首を傾げた。アンジェラが滑らかな服を着ているということは、誰か、この家にとって重要な客人が来ているのだろう。その客人をもてなさなくて良いのか? ツィリルがもう一度首を傾げる前に、重い扉が開く音が聞こえてきた。

「やはりここにいたか」

 重い声にはっと身を起こしたアンジェラの、一瞬で変わった青白い顔に、ツィリルも思わず身を起こす。ツィリルの視界の先には、この家の主、アンジェラの父である者の、陽に当たることの無い青白い顔があった。

「伯閣下がお帰りになるそうだから、お見送りしなさい、アンジェラ」

「……分かった。ごめんなさい、お父様」

 頷いたアンジェラが、それでも俯いたままベッドから滑り降り、服を整える様をじっと見やる。そう言えば、王の文官であるこの家には釣り合わない、貴族の家からの縁談がアンジェラに来ていると、いつもツィリルが落とす毛玉に文句を言うアンジェラの侍女マリカが言っていた。魔物退治を得意としていた粗野な武官を父として育ったアンジェラの父は、降って湧いた好機を逃すまいとやっきになっているのだろう。アンジェラの身支度が調う間も無く娘の手を掴んだ、その手の強引さに、ツィリルは飛び出しそうになる自分を何とか抑えた。

 まあ、アンジェラが嫁入りしてお役御免になれば、アンジェラを守るという、ツィリル自身の命と引き替えに結ばされた約定も消えるかもしれない。これでアンジェラの、機嫌によって変化する「これこれの動物に変身して」に付き合う必要が無くなる。良かった良かった。扉の向こうに消えかけたアンジェラの、意外に小さく見える背に、ツィリルは肩を竦めた。

 その時。

「その動物が、あなたが言っていた『大切な存在』なのですね、アンジェラ」

 半開きになった扉から、聞き慣れぬ声が入ってくる。顔を上げると、整い過ぎるほど整った顔立ちの青年が、アンジェラを横に従えてベッド上のツィリルを見下ろしていた。おそらくこいつが、アンジェラに婚約を申し込んだ貴族、なのだろう。

「確かに、このように可愛らしい存在と離れたくないのも分かりますよ、アンジェラ」

 ツィリルの頭を叩くように撫でた細い指に、牙を見せる。今はアンジェラ好みの柔らかい毛並みの動物になっているが、冷たい皮膚の爬虫類からごわごわとした毛並みの野生の大型動物まで、地上にいる動物ならば人間以外、ツィリルは何にでも変身することができる。何なら今すぐ、こいつが怖がるようなものに変身してやろうか。一気に沸騰しかけたツィリルの心を抑えたのは、青年の横にいるアンジェラの、今にも泣きそうに震える唇。

「……そうですね」

 ツィリルからアンジェラへと視線を移した青年が、俯くアンジェラに微笑む。

「このくらいの動物なら、私の屋敷にあなたと一緒に連れて来てもかまいませんよ、アンジェラ」

「本当っ!」

 青年の言葉で、アンジェラの頬が一瞬にして薔薇色に染まる。

 やれやれ、お役御免はまだまだ先か。青年にお礼の言葉を述べて頭を下げるアンジェラに目を細め、ツィリルは誰にも見えないところで肩を竦めた。


 婚礼の日。

 アンジェラの結婚相手である件の青年伯が用意した、箱のような籠に、ツィリルは小さな鳥の姿で収まった。

「少しだけ、我慢して」

 心細げな瞳の色をしたアンジェラに、当たり前だと言わんばかりに頷く。アンジェラの方こそ、婚礼を控えて不安で一杯だろうに。喋れるならば、俺のことは心配するなと言い置くことができるのに。アンジェラの祖父、魔物と対峙するときだけはやたらと強かったあの爺さんと約定を結ぶ時に、人語を喋ることができるようにしてもらえば良かった。過ぎたことを思い出しながら、ツィリルは、黒い布を被せられた揺れる籠の中で羽を伸ばした。

 どのくらい、暗い中に佇んでいたのだろうか。

 揺れが収まると同時に、籠に被せられていた布が取り除かれる。

「これを殺すのか?」

「楽な仕事だな」

 傾いた陽の光に目が眩んだツィリルの耳に入ってきた不穏な濁声に、ツィリルは一瞬で大狼の姿を取り、腰を抜かした人影の首筋に牙を突き立てた。

 動く影全てを汚れた地面に引き倒してから、辺りを見回す。アンジェラと暮らしていた屋敷も収まっている、王都を守る壁が、ずっと遠くに見える。アンジェラと、引き離された。何故? 疑問が脳裏を過ぎるより素早く、ツィリルは地面を蹴って王都の方へと飛び上がった。アンジェラを、探さなければ。

 一度会っただけだが、あの青年伯の匂いは覚えている。その匂いを辿り、ツィリルは豪勢な屋敷の前に立った。

〈アンジェラ、は?〉

 夕闇の中、蝙蝠の姿で広大な屋敷を外から探る。居た! 頬を腫らしたアンジェラと、そのアンジェラに拳を上げた青年伯を認めるなり、ツィリルは熊に変身し、硝子窓を蹴破るなり青年伯とアンジェラとの間に割って入った。

「ツィリル!」

 叫ぶアンジェラを熊の腕で掴み、外へと飛び出す。

 石畳に着地する前に再び大狼の姿を取ると、ツィリルはアンジェラをその広い背に乗せ、王都の外に向かって全力で疾走した。

「ツィリル! 戻れっ!」

 アンジェラの命令に止まりそうになった足を、懸命に叱咤する。アンジェラを守るのが、ツィリルの使命。アンジェラを殴るような奴のところには、戻らない。ツィリルに約定を結ばせた張本人、今は王都から遠く離れた村に妻と暮らすアンジェラの祖父のところにアンジェラを届ければ、目に入れても痛くないほどに孫を可愛がっているあの爺さんは必ず、アンジェラを守り通す。風に揺れる、アンジェラの髪の匂いを、ツィリルは大きく吸い込んだ。

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