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泣かせない、ために

 暗闇に閃く松明の多さに、思わず唸る。

 あと八年、待てなかったのだろうか。若いのにせっかちな奴め。騎士叙任を受けて二〇年余り、方々で喧嘩をしては追い出されていた自分の素行を棚に上げ、ラルフは大きく舌打ちをした。いや、若いからこそ、性急な判断しかできなかったのだろう。

 平地よりは山が多い、帝国の辺境部。その辺境地の谷間に穿たれた小さな街道を見下ろすことができる、獣すら通るのに難儀するという崖上を、怯える馬を引いて一人歩く。探しているのは、松明に照らされているであろう、熊が描かれた大将旗。ラルフが仕える、唯一の友人が統治していた辺境伯領の隣の領地を支配している辺境伯がいるという、印。

 まあ、隣領の辺境伯がこちらに奇襲をかけようとする理由は、分からなくもない。闇に目を凝らしながら、唇を歪ませる。ラルフの主人、あちこちで衝突を繰り返すラルフを呆れながらも認めてくれた友人夫妻は先日、所用で帝都に向かう途中、崩れた崖の下敷きになって命を落とした。辺境伯を継いだリーゼロッテという名の娘は、まだ八つ。山がちではあるがそれなりに豊かな領地を奪い取るには絶好の機会だと、ラルフが辺境伯なら判断する。件の辺境伯はリーゼロッテと婚約を結んではいるが、辺境伯に仕える騎士達の武術訓練にしれっと混じって棒きれを振り回すようなお転婆で、先だって別の辺境伯領で行われた中規模の馬上槍試合で婚約者を無視してラルフに愛の証しである自分の小袖を渡してしまうようなそそっかしい小娘とは結婚したくないのだろう。ラルフだって、あんな、まだ小さいくせに口うるさい小娘とは結婚したくない。結婚しても尻に敷かれる可能性大だ。先の馬上槍試合で気を利かせ、軽い試合用の槍すら満足に扱えない件の辺境伯に花を持たせてやったのに、ラルフが負けたことを延々と非難した少女の膨れっ面が脳裏を過り、ラルフは今度は重い息を吐いた。

 それはともかく。ようやく見つけた大将旗に頷き、痩せ馬に跨がる。風の噂で知った隣領の急な動きを確かめに行くと新しい辺境伯リーゼロッテに告げた時の、ぐしゃぐしゃになってしまった少女の顔を思い出し、ラルフはぐっと腹に力を込めた。理由はどうであれ、リーゼロッテを泣かせる奴は、許さない。問答無用で退治するのみ。次の瞬間、ある思考にはっと顔を上げ、兜の隙間から星の無い夜空を見る。しかし一瞬で心を固めると、ラルフはもう一度、闇に揺れる大将旗を見据えた。大丈夫だ。伊達に厳しい武術訓練を積んできたわけではない。とにかく、自分を含めて、リーゼロッテを泣かせる奴は、……許さない。だから。

 おもむろに、槍を構える。

 次の瞬間、ラルフの影は、眼下の大将旗を目指し、垂直な崖を駆け下りた。

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