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雪の魔法

「……もうすぐ、クリスマスね」

 飾り気のない鉄製のベッドに半身を起こした少女が、透き通るような声でそう呟く。その声を、少年は平屋建ての病棟の外から窓の桟に腕を掛け、少女の居る病室の方に身を乗り出して聞いていた。少年の右腕にはモップが一本。実は病棟掃除の途中である。しかし、そんなことにはお構いなく、少年は少女を見、その声に聞きほれていた。

 少女の声には、我を忘れさせる何かが確かに含まれている。声だけではない。痩せて頬のこけた少女の頬にかかる金色の髪も、ガウンを羽織った細い肩も、膝の上に置かれた長い指も、少年にはとても儚げで、そして美しげにみえた。

「……ねえ、リュイは『クリスマス』って知ってる?」

 不意に涼やかな声が少年に飛ぶ。自分の名前を呼ばれて、少年は一瞬ぽかんと少女を見つめた。少女の優しげな瞳が、こちらをじっと見ている。その視線に、少年は顔を真っ赤にして俯いた。

「そう……」

 少年のこの行動を、少女は少年の答えとみたらしい。

「クリスマス、っていうのはね、私たちの国の冬のお祭りなの」

 少女は少年を見つめたままゆっくりとした声で説明を始めた。

 『クリスマス』とは、少女の育った国で信仰されている神の誕生日だということ。この日の為に家や『教会』を綺麗にし、たくさんのご馳走を作ってお祝いをすること。そしてその日には必ず雪が降り、『サンタクロース』なる人物が『そり』という雪の上を走る乗り物に乗って良い子にプレゼントを持ってきてくれるということ。少年に向かって一生懸命な口ぶりで説明する少女の声を、少年もまた一生懸命聞いていた。『クリスマス』とやらに特に興味を持ったわけではない。ただ、少女の声を聞いていられるのが嬉しかった。ただ、それだけ。

 

 少女の名はセアラ。半年前からこの病院に入院している『北人』の少女。

 そして少年の名はリュイ。セアラが入院している病院で働く、褐色の肌の、いわゆる『現地人』の少年。


 今から数十年位前のこと。

 褐色の肌の人間しか居なかったこの地に、突如『白い肌の人間』が大きな船に乗ってやってきた。

 大きな船から続々と変わった物を下ろした彼らは、あっという間にこの海沿いの丘の上に『街』なるものを築いて住み着いてしまった。

 熱月に雪が降り、乾月に雨が降るというずっと北の大陸からやって来たこの人々を、元からこの地に居た褐色の肌の人々は恐れと多少の憎しみを込めて『北人』と呼んでいた。


 遠くから聞こえる怒鳴り声に、不意にリュイは我に返った。

〈やばっ……〉

 その怒鳴り声はずっと遠くから聞こえていたが、確かにリュイを呼んでいた。

 同時に、自分がまだ病棟掃除の途中であった事を思い出す。

「……セアラ、悪いんだけど」

 まだクリスマスについて説明しているセアラに、リュイは頭を下げた。

 それだけでセアラは分かってくれたらしい。ゆっくりと頷くと、リュイに向かってひらひらと手を振った。

「又、来るから」

 そう言ってリュイはモップを手に歩き出した。


「……雪が、見たいな」

 呼ばれた方へ歩き始めたリュイの後ろでセアラが静かにつぶやくのが聞こえる。

「でも、ここ、暑いから、無理でしょうね……」

 その声を、リュイは悲しく聞いていた。


 リュイは知っていた。セアラの命が長くはない事を。

 病棟内でうわさ話をしている看護婦たちの話を小耳に挟んだのだ。

「『クリスマス』までもつかどうか分からない」

 そう、彼女達は話していた。

 だからこそ余計に、セアラのことがいとおしく思えるのかもしれない。


 さぼっていた事で監督に怒られながら病院内を掃除している間も、丘の上にある病院から『谷』にある住居に戻る間も、リュイはずっとセアラと雪の事を考えていた。

 この地では、どんなに寒い時でも雪は降らない。降るとしたら、この街からかすかに見える『境山』のてっぺんだけだ。しかも寒月の間に限られる。熱月の今の季節には、『境山』の雪も頂上にほんのひとすじの線で見えるだけだ。

〈でも、もし雪が降ったら、セアラ、喜ぶだろうな……〉


 『丘』にある『北人』達の瀟洒な住居とはうって変わって、リュイ達が住んでいる『谷』の町は、住居が雑然と並び、かなりごみごみしていた。

 その町の一角に、リュイが暮らす家がある。その家に着くや否や、リュイは玄関先から家の中を慎重に見回した。そして誰もいない事を確かめると、半ばほっとしてそうっと家の中に入ろうとした。

 が。

「遅かったな」

 背後から聞こえた厳格そうな低い声に、リュイはびくっと肩を震わせ、首を縮めてゆっくりと後ろを振り返った。リュイのすぐ目の前に、水瓶を持った大男が立っている。

「……あ、師匠……」

 リュイはこの家の持ち主の尊称をつぶやいた。

 この大男の名はシン。リュイ達『現地人』が尊敬する『呪いまじないし』の一人。

「師匠、じゃないだろ。早く飯にしてくれ」

 シンは不機嫌な声でそう言うと、リュイに水瓶を差し出し、リュイがそれを受け取ったかも確かめずに大股で家の中へと入っていった。よく見ると、シンはまだ儀式のときだけつける黒糸と鳥の羽でできた鬘をかぶっている。服装も生成り色の厚い布で作られた儀式服のままだ。どうやらシンも今さっき帰ってきたばかりらしい。そしてなおかつ、おなかがすいて機嫌が悪いことも見て取れた。

 両親が死んで孤児になったリュイを「呪い師の素質が有るから」と言って引き取ってくれたのはいいのだが、何かにつけてリュイをこき使うのがこのシンという名の師匠の悪い癖である。リュイは安定の悪い水瓶を抱え直すとシンの後を追って家の中に入った。

 水瓶を部屋の隅に置き、大急ぎで夕食の支度にかかる。

 その間に、シンは鬘と服を無造作に脱ぎ捨てた。

「やはりこの季節にこの服は暑いな」

 食卓用の椅子にどっかりと座り、シンがそう呟くのが聞こえてくる。

〈……そういえば〉

 シンの前に水とパンを置きながらリュイはふと思い出した。

〈師匠は確か、『天候制御』の呪いもできた筈だ〉

 この前、日照り続きの村で雨乞いの儀式をしたときの光景がまざまざとよみがえる。シンが呪い杖を一振りしただけで、空から大雨が降ってきたのだ。

 思い切って、尋ねてみる。

「……あの、師匠、雪を降らせることは可能ですか?」

「季節によるな」

 『境山』に登り、そこにある雪を下に下ろす呪いをすればいいのだからとシンは鷹揚に言った。

「じゃあ、今、雪を降らせることは……」

「おいおい」

 期待顔のリュイの問いに、シンは呆れたように笑った。

「今何時だと思っている。『熱月』だぞ。第一、雪なんか降らしてどうするんだ」

 笑いながらそう言った師匠は次の瞬間、不意に鋭い目でリュイを見つめた。

「何を考えている、リュイ」

「え……」

 シンの視線にたじたじとなってしまう。

「『北人』の事か?」

 リュイが俯いて答える事を躊躇っている間に、シンの声は鋭さを増す。その声に怯えて、リュイは俯いたままこくんと頷くしかなかった。

「ふん」

 リュイの答えに、シンは怒ったようにリュイから視線をふいと外す。

「やめとけ。『北人』の事なんか考えるな。ろくな目にあわんぞ」

 そろそろと顔を上げると、シンの、剥き出しになった腕がリュイの視線に入った。

 シンの腕には一面、醜く引き攣れた細い傷が幾本も入っている。昔、呪いを止めるようにと命令した『北人』に逆らい、鞭打たれたときの傷らしい。その話をしたときのシンは笑っていたが、やはり『北人』を恨む気持ちは心の奥底に今もくすぶっているようだ。

〈けど……〉

 セアラの微笑がリュイの脳裏に浮かぶ。確かに、『北人』の中にはリュイ達を馬鹿にし、時として殴りかかってくる人もいたが、セアラは違う。あんなに儚げで美しい少女が危害を加えるわけがない。

 セアラの願いを叶えてあげたい。リュイは切実にそう、思っていた。


 だから。


 次の日。

 リュイは日の昇る前に師匠の家を飛び出した。

 師匠が儀式の時に使う杖を一本拝借して。


 行き先はもちろん『境山』。


 『境山』にたどり着いたのは、三日の後。

 そして『境山』に登るのにまた、かなり手間取った。

 『境山』には殆ど木が生えていない。ごろごろした大きな岩が足場を悪くしている。歩を進めるたびに岩に足を取られ、よろける。いつの間にか、『歩いている』という感覚も無くしてしまった。

 それでも。

〈頂上に行って、セアラの為に雪を降らせるんだ〉

 その想いだけが、リュイの足を動かしていた。


 不意にリュイの目の前に人影が立つ。

〈こんな所に、人……?〉

 疲れ果てた目でゆっくりと前を見上げたリュイは次の瞬間、心臓が止まるほど驚いた。

 リュイの目の前の影は、二人。リュイを生んで育ててくれはしたが、「何かに取り付かれている」と言っていつもリュイに冷たくあたっていた母親と、『北人』の住居を建てる手伝いで働いてはいたが、毎日泥酔して帰って来てはリュイを殴った父親。とっくの昔に死んだ筈の二人が、生きていた時と同じ表情でリュイの目の前に立っていた。

 あまりの恐ろしさに、動けなくなる。『境山』は現世と幽界の間にある山。そこに登った者は自分に近しい死者を見るという。シンに教えてもらった言葉がリュイの脳裏をよぎった。

 ここに来た事を半ば後悔する。

 けれども。

〈……セアラに雪を見せてあげるんだ!〉

 リュイはぐっと腹に力を込めると、目をしっかり瞑って力一杯駆け出した。

 岩に足を取られながらも、そのまま後ろを振り向かずに走る。後ろから誰かが追いかけてくる気配がしたが、リュイは目を瞑ったまま気配が消えるまで駆け続けた。


 そうこうしながらも、リュイは何とか『境山』の頂上に辿り着いた。

「……うわあ」

 頂上の光景に、思わず感嘆の声を漏らす。

 そこにあるのは一面の銀世界。小さな広場一面が真っ白な雪に覆われていた。

 もちろん、こんなに積もった雪を見るのは初めてだ。

〈……確か、ここで『儀式』を行なえばいいんだよな〉

 リュイは持って来たシンの杖を空へ掲げると、儀式の時にいつもシンがやっているように杖を振って叫んだ。

「雪よ、降れ!」

 そう言った途端、周りの風が前触れもなく逆立つ。風はリュイの体を持ち上げんほどの勢いで上に吹き上がり、あっという間に灰色の雲を集めた。そして次の瞬間、猛烈な吹雪がリュイを襲った。

「うわぁ!」

 こんな猛烈な吹雪を起こすつもりはなかった。

 リュイは吹雪を止めようと急いで杖を振った。だが、杖を振れば振るほど吹雪はますます激しさを増してゆく。ついにリュイの体か宙に浮いた。

 そのまま、リュイの小さな身体は広場の端まで持っていかれる。

「いやぁ!」

 このまま行くと頂上の広場からまっ逆さまに落ちてしまう。リュイは殆ど絶望した。

 と。

 再び不意に風の動きが止まる。

「……え?」

 戸惑いながらも今までとは何か違うものを感じて、リュイはそっと顔を上げ、そして瞠目した。

 リュイの目の前に、風を止めるようにして大男が立っていた。

 この人、は。

「……師匠!」

「ばっかやろう!」

 リュイの叫び声をシンの怒号が掻き消した。

「精霊の扱い方も知らずにこんな高等精霊呼び出しやがって!」

 リュイのほうは全く振り向かずに怒鳴る。

「……ごめんなさい」

「謝る前に早く行け!」

 リュイの謝罪の声にシンの声が再び重なった。

「えっ? 行けって……?」

 何処に?

 戸惑いを隠せずそう尋ねる前に、リュイの周りが唐突に真っ暗になった……。


 気が付くと、いつもの見慣れた風景の中に立っていた。

〈ここは……?〉

 確かめるまでもなく、『丘』の街だ。

〈な、何で……?〉

 さっきまで確かに『境山』の頂上に居たのに。戸惑うリュイの鼻に冷たいものがあたる。これは……!

「雪、だ!」

 『丘』の街一帯に、雪が確かに降っていた。

 満面の笑みを浮かべて飛び上がる。

「やったぁ!」

 早くセアラに教えてあげよう。リュイは大急ぎで病院に向かった。


 だが。

 セアラの病室に駆け込んだリュイは、ベッドに横たわっているセアラを見てはっとして立ち止まった。

 セアラの顔に、白い布がかけられている。その意味するところは、『北人』の病院で働いているリュイには分かりすぎるほど分かっていた。

「……そん、な……」

 床にぺたんと座り込む。

 雪に喜ぶセアラの顔が見られると、思った、のに……。


 後ろに人影を感じて、リュイはのろのろと振り向いた。

 先程まで『境山』に居たはずの師匠シンが、儀式服を着て立っている。

「師匠……」

 シンは何も言わずにリュイを立たせると、その大きな腕でしっかりと抱きしめた。


 シンの胸の中で、リュイは思いっきり泣いた。

 リュイが泣き止むまで、シンはいつまでもリュイを抱きしめてくれていた。


 それから数年後。

 リュイは『境山』にいた。


 あれからすぐに、リュイはシンの下で『呪い師』になる為の本格的な修行を始めた。

 呪いの種類、精霊の種類、薬草の種類などを一通り叩き込まれた後、修行の一環としてこの山に篭ることになったのだ。


 その日も、雪の照り返しが、ねぐらにしている洞窟から出てきたリュイの目を射た。

 今まで何ヶ月もこの山で暮らしているリュイだが、この光景にはいつまで経っても慣れることができない。その眩しい光が、儚げで美しかった少女のことを思い出させるからだろうか。

「セアラ……」

 もう何度、この名前を呼んだのだろう。リュイは忘れたくとも忘れられない少女の名を呟いた。

 と。不意に、リュイの前に人影が立つ。

〈……えっ?〉

 今、この山にはリュイ以外誰もいないはずだ。第一、幻覚が見えるこんな山に登って来る者などそうはいない。リュイはびっくりして顔を上げ、そしてさらに驚いた。

 そこにいたのは。

「セアラ……!」

 リュイの目の前に立っていたのは、セアラ。

〈……これは、幻覚か?〉

 信じられない光景に、思わず目をこする。

 一度しっかり目を閉じて、それからゆっくりと開いても、やはりリュイの目の前にセアラがいた。金色の髪も、青白い頬も、華奢な手足も昔と変わらず、儚げで、美しかった。ただ地面から少し浮いて立っていることだけが違っている。

「……リュイ」

 セアラはリュイをあの優しげな視線で見つめるとゆっくりと口を開いた。

「あの時、雪をプレゼントしてくれて、ありがとう」

 透き通った声がリュイの耳に響く。

「セアラ……」

 リュイは思わずセアラの方に足を進め、その腕を伸ばした。もちろん、死者であるセアラに触れることはできない。でも、セアラがリュイに逢いに来てくれた事が、嬉しかった。

 リュイの頬を涙が伝う。そんなリュイを見てセアラは静かに微笑った。

「生きている時に、お礼が、言えなかったから……」

 たとえ死者だろうが幻だろうが、セアラがそこにいて、セアラの声を聞いているだけでリュイは幸せだった。


 不意に一陣の風が吹く。

 リュイの目の前でセアラの影が揺らめいて消えた。


 そして、セアラが居た所の雪だけがいつまでも煌いて見えた。

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