愛、買い取ります
僕の彼女は所謂メンヘラという部類に入る。
メールは毎晩三時まで。おはよう、いただきます、ただいま、おやすみなさい、全ての日常的な挨拶でさえ毎日決まった時間に送ることを義務付けられている。
もしも、メールを送り忘れたりしたら、有無を言わせず家や職場に押しかけてくる。その時僕が外出していたのなら、「何で私を誘ってくれなかったの」とさらにカンカンに怒るのだ。
僕はそんな彼女の愛情に精神的にも、肉体的にも疲労を感じ始めていた。
そんな時、風の噂で他人からの愛を買い取ってくれる店があると知った。怪しいと思いつつも、興味本位でその店を訪れた。
店の佇まいは古民家を改装してはいるが、『愛、買い取ります』と掲げられた看板ばかりが目に付く、胡散臭い雰囲気を放つものだった。
店内に入ると、カウンターに細身で頬のこけた、これまた怪しげな男がいた。カウンターの前にあるショーケースの中には桃、赤、黒など様々な色の液体が瓶詰めされて並べられていた。
「いらっしゃいませ」
男の声に力は無く、気怠げだった。彼は僕を品定めするような視線を投げかけてくる。
「貴方は愛を買いに来たのですか。それとも、売りに来たのですか」
怪しい雰囲気の割には、彼は礼儀正しい男だった。
噂通り、ここでは愛を売ることができるらしい。しかし、愛を買うこともできるというのは初耳だ。
「愛を売りに来ました」
端的にそう言うと彼は頷いて、こちらへどうぞと僕を店の奥へと案内した。か細い腕をぶらぶらと揺らしながら歩く彼の背を追い、薄暗い廊下を通ると別室に着いた。
そこには様々な機械類がごたごたと繋ぎ合わされた装置があった。彼の手作りらしく、電気回路でさえ剥き出しになっている。
「こちらへお座りください」
彼は装置の中心にあるパイプ椅子を指差し言った。僕が椅子に座ったのを見ると、彼は装置の傍らでなにやら操作をし始める。
すると装置が脈打ち始めた。頭上にあった管が僕の中の何かを吸い取っていく。装置の揺れが収まり、椅子から立ち上がると身体が軽くなったような気がした。
「これをご覧ください。これが貴方に溜め込まれていた愛ですよ」
彼はペットボトルに満杯に入ったどす黒い液体を僕に見せた。彼のペットボトルを掴んだ方の腕は震えている。かなりの重みがありそうだった。
「そんなに僕に溜め込まれていた愛は重かったのですか」
「こんなに重い愛は久しぶりですね」
そう言って彼は口角を小人に吊り上げらたようにして笑った。長らく笑うのを忘れていた時期を持つ人間特有の笑い方だ。
「この量、質となると千円ほどで買い取らせていただきます」
彼曰く、毒々しい色の割に彼女が僕に捧げていた愛の質は高いらしい。意外と高値だなと思ってしまった。
「このようなことで商売が成り立つのですか」
失礼ながらも、僕はずっと疑問に思っていた事を口にした。
「愛を求めているお客様方は結構いらっしゃいましてね。高値で愛を買い取っていく人は多いんですよ」
買い取るよりも高く売る。収入はあまり良くないが、彼の満足気な表情からして仕事のやり甲斐はあるらしい。
「愛を必要としている人は多いんですね」
「水と同じで人間には必要不可欠なものですから」
彼は不器用に笑いながら言った。カウンターの前に戻り、彼から千円を受け取ると、携帯が鳴った。時計は十二時丁度を指していた。いただきますのメールを送るのを忘れていたのだ。
「頑張ってください。何時でもお待ちしていますよ」
僕と同じような境遇の人と沢山出会ってきたのか、彼は携帯が鳴った理由を察しているようだった。
僕はかぶりを振って、店から出た。家へと戻るその足取りはいつも以上に軽かった。