バラの駄菓子屋
(一)
学校が終われば、幼馴染の二人と急いで校門を出て、駄菓子屋へ行って何かを買ってから公園へ遊びに行く。
――私はそんな小学生だったと記憶している。
「待ってよー」
「急がないと、置いてくぞー」
そんな他愛ない会話をしながら駄菓子屋へと急ぐ。
そしてそこにはいつもの駄菓子屋のおばさんが居た。
いつもならば、駄菓子屋は遊びに行く途中の通過点にしか過ぎない。
しかし、あの日からはそうでは無くなっていた。
「あら、いらっしゃい」
と、若い女性の声がした。
普段なら、おばさんの声がするはずなのに。
「おや、いつもの子かい?」
後ろからそのおばさんの声がした。
「お姉さんは、誰?」
幼馴染の一人、エミが聞いた。
「私の娘さ。帰ってきたんだ」
その時、私はおばさんの隣にある松葉杖に気が付いた。
「階段から落ちて、怪我しちゃってね。軽い介護みたいなもんさ」
「お母さんったら、おっちょこちょいなんだから」
お姉さんは少し笑った。
「じゃあ、これからよろしくね!」
と、もう一人の幼馴染、ハジメは小学生らしく元気に答えていた。
私にはそのように答える元気さは無かった。
何故ならば、私はそのお姉さんに見とれていたのだ。
(二)
いつしか私たちは公園に行かず、駄菓子屋に留まるようになっていた。
幼馴染の二人には「駄菓子屋に居たい」と無理を言ったからだ。
理由も言わず、二人が公園に遊びに行けない事への不満を持っていないだろうかと思ったが、雑談もなかなか楽しいせいか、そのような事は無いようだ。
お姉さんと話す度に、どんどん惹かれていく。
その姿に、声に、仕草に、とにかくお姉さんの全てに見惚れていたのだ。
そのせいか、お姉さんとの会話の思い出は殆ど無い。
傍から見れば、随分とませた小学生であっただろう。
しかし、中身は全くの初心な子供であった。
実際、私は「恋心」というものにさえ気づいていなかったのかもしれない。
「君は最近調子どう?」
いきなり、お姉さんからの質問が飛んできた。
「え、あっ、」
応答に困ってしまう。
「学校は楽しい?」
「あっ、はい、楽しいです」
お姉さんとの会話では、初めてあった数週間前からずっと敬語である。
「それならよかったわ」
ふふっ、と笑みを浮かべながら、私のほうを見ていた。
私はお姉さんと目を合わせることが出来なかった。
こんな事が今まででも何回もあった。
『いい加減、この癖を止めなければ、嫌われてしまうかもしれない。』
と何度も思ったが、いつまでもその癖を直すことは出来なかった。
もっとも、そのお姉さんはその事など全く気にしていなかった様だった。
(三)
私達の学校では、今日から二日間、『町の職場体験』が行われる。
私と幼馴染のエミは同じグループで、学校の近所の花屋に行く事となっていた。
自分の本心としては、あの駄菓子屋に行きたかったが、職場体験のリストには入っていなかった。
「どうしようかなー…」
「迷ってるの?」
エミが横から話しかけてきた。
「うん」
「じ、じゃあ私と同じ所に行かない?」
「え?」
「い、いいでしょ?」
「うーん…、まあいいよ」
特に行きたい所も無かったので仕方なく、私はエミに乗せられ、花屋を選んだのだった。
「君達が、職場体験の子達だね?」
この花屋の店長らしき人物が聞いてきた。
まだ若く見え、背も高く、感じの良い男性だった。
「はい!」
私達は元気よく返事をした。
「じゃあ、これから明日まで一緒にがんばろうね」
「はい!」
なかなか花屋の仕事もハードだと感じた。
花の手入れや接客など、いろいろな仕事があった。
元より花が好きそうなエミは、楽しそうであった。
しかし、店長からは真剣な瞳の奥に、その楽しさが滲み出ているようであった。
小学生の私でさえ、店長の花への愛が感じられた。
この仕事にやりがいを感じているのであろう。
そんな仕事に就きたいと思った。
そして二日間が過ぎ、この職場体験も終わろうとしていた。
最後の店長からの話の後、
「好きな花を君達に一本ずつプレゼントしてあげるよ」
「え、いいんですか!」
エミは嬉しそうだった。
「うん、いいとも」
しかし、私達はどれにするか決めきれないで居た。
「誰に贈るかで決めたら?」
と、店長は言った。
確かに、そうするのが決めやすいであろう。
誰に贈ろうか――私の心に真っ先に思い浮かんだのはあのお姉さんであった。
真っ先に思い浮かんで来てしまったことに対し、少し頬を赤らめてしまった。
その様子に気づいたのか、
「好きな人でもいるのかい?」
少し笑みを含んだ顔で店長が言ってきた。
もっと顔を赤らめた。
「バラがいいんじゃない?この赤いバラが」
スッと店長は赤いバラを一本抜き取り、僕にくれた。
「あっ、ありがとうございます」
「じ、じゃああたしもそのバラを…」
エミも赤いバラを選んだ。
「もし贈るのなら、心をこめて、ちゃんと贈るんだよ」
と、微笑んで、
「じゃあ、職場体験はこれで終わり。機会があったらまた来てね」
そう言って、私達を店先まで見送ってくれた。
(四)
それからずっと、私は居ても立っても居られなかった。
とっとと贈ってしまえば良かっただろうが、お姉さんと目を合わせることすら出来ない私には、それはとても難しく思えた。
私はその事から逃げるように、そのバラを親から貸してもらった花瓶に挿して放っていたのだった。
ある日、幼馴染達といつものように駄菓子屋へ行こうとしていた。
その道の途中、私はエミに聞いてみた。
「バラ、贈った?」
そう聞くと、
「ううん」
と、短い返事をした。
「どうして?」
そう聞かれると、答えに詰まる。
「いや、誰に贈ったのかな、と思って」
「そう」
それ以上、その話題は続かなかった。
(五)
駄菓子屋に入ろうとしたその時だった。
「じゃあ、明日には帰るから」
「もう私の足も治ったしね」
お姉さんとおばさん、二人の会話が聞こえた。
短い言葉であったが、私の心に強く働きかけてきた。
私は思わず、
「帰っちゃうんですか、お姉さん」
と聞いていた。
「ええ、そうよ。これまでありがとうね」
「そう…、ですか」
私は逃げ出したくなった。今すぐに。
しかし、
「ラムネくださーい」
というハジメの声がそうはさせなかった。
「はい、どうぞ」
そしてまたいつもの様に雑談が始まったが、その内容は全く耳に入ってこなかった。
(六)
翌日、学校が終わると、僕は家へと駆け出した。
勢いよく玄関のドアを開け、自分の部屋に入った。
私は放置され少ししおれたバラをつかむと、新聞紙に包み、急いで駄菓子屋へと向かった。
贈るなら今しかない。
そう思い、無我夢中で駆け出した。
駄菓子屋に着いた。
駄菓子屋の前にはまだお姉さんがいた。
今にも車に乗ろうとしていた。
ちょうど今帰ろうとしていたのだろうか。
駆けてくる私に気づいたらしい。
「あら、君は」
私はお姉さんの前に立って、息を整えながら、バッとバラを差し出した。
「これあげます!」
私は初めてお姉さんの目を見て話したかもしれない。
目を背けたくなったが、何かがそうさせなかった。
「ありがとう」
とお姉さんは私の目を見つめながら言った。
その時、
――「ありゃ、君は職場体験の子じゃないか」
運転席からあの店長が現れた。
「ウチの家内が言っていた子は君だったんだね」
そう言いながら、渡したバラに気づいたらしく、
「そのバラは…」
店長は少しきまりが悪そうな顔をした。
私は思わず、また駆け出した。
制止の声が聞こえた気がしたが、聞こえない振りをした。
駄菓子屋が見えなくなるまで、駆けていた。
(七)
私は遊んでいた公園にいた。
泣きそうになったが、泣かなかった。
泣きたくなかった。
ふと、ブランコが目に留まり、腰掛けた。
ゆらり、ゆらり。
何だか自分ではなく景色が揺れている様だった。
揺れる景色の向こうから誰かが走ってくるのが見えた。
目をこすって見ると、エミがいた。
「ねえ」
「な、何?」
「これ、あげる」
一輪の生き生きとした赤いバラを贈られた。
(八)
――気づくと、エミの作る料理のいい匂いがした。
「あなた、大丈夫?何だかボーッとしているようだったけど」
「いや、初恋を思い出してね」
「ああ、あのお姉さん?」
「あれ、言ったことあったか?」
「気づかないわけがないでしょう?だからあの日贈ったのよ」
ふとエミが机のほうを見た。
赤いバラの花束が、生き生きと咲いていた。




