第六巻
か細い豆電球の光が、まだ薄暗い部屋に浮かぶ。
俺は、目を覚ました。
どうやら、いつのまにか眠ってしまっていたようだ。
なんら変わり無い、同じ部屋。壁の時計は朝の六時を指していた。
休日にしては、いつもより大分早い起床だ。
と、まだぼんやりした頭の俺に、何かが触れた。
そういえば、さっきからスースーと何かが聞こえてくる。
一体なんだ?
目をこすり、寝返った俺の頭は、一挙に覚醒した。
あり得ない。少なくとも、今までの俺の人生では。
――俺のすぐ隣で、女子が眠っていたのだ。それは、紛れも無くクレアだった。
何故ここで寝てるんだ?
まず、浮かんだのはそれだった。
俺が内心慌てる中、クレアはピンクの可愛らしいパジャマで、すやすやと眠っている。
甘い香りが、彼女の髪から漂ってきた。
元々美形だとは思ってたけど、こう見ると、意外に可愛いな。
……なんだか、こうしていると不思議な気分になってくる。
不意にアダルトな情景が浮かんできた。
……唇が、すごく柔らかそうだ。
少し、距離を縮めてみる。……クレアは起きない。
……もう少し、近付いてみようか。
体をじりじりとクレアに寄せる。
少しずつ、少しずつ、体との距離が縮まっていく。
もう少し、もう少しで……! と俺が思った時、クレアの目がパチッと開いた。
「うわぁっ!」
大声を上げる俺に、クレアは冷ややかな目を向ける。
「……さっき何考えとってん。 ……変態め。」
ヘンタイ、という四文字が俺の胸を突き刺した。
「お前、起きてたのか!?」
「あたりまえやろ。諜報員は、そのまんまスパイが仕事やからな。いつ呼び出されてもいいように、物音が少しでもすれば起きれるようになってんねん。はあ、ほんま間抜けやつやな。顔がほんまにド変態やったで。」
俺が顔を赤く染めるのを余所に、クレアは起き上がり、髪をくしで梳かし始める。
「と、いうか何でおれの隣で寝てたんだよ!? お前、自分の部屋ないのかよ!?」
クレアはくしを俺の方に突き付ける。
「ある。あるけど、うちはあんたのお目付け役やからな。力が暴走せえへんか見とかなあかん。」
そう言い、クレアは尚も櫛を動かし続ける。
……ということは、俺はしばらくこいつと寝なきゃならないと言う事か?
嬉しいような……悲しいような……。
「今日の朝ごはんは何やろうか~。」
クレアは、のほほんとした顔で言うと、あろうことか無造作に服を脱ぎ始めた。
俺は慌ててそれを制止する。
「おい、おい! 男の前で堂々と服を脱ぐな!」
クレアは首をかしげる。
「なんで? 別にええやん。皆普通に着替えるで。」
そう言い、クレアはズボンに手を掛ける。
「おかしいだろ! 最低限のマナーというか、エチケットというか……常識! 常識だ!」
クレアは眉をひそめる。
「そうなん? うち、どこでも着替えれるけど。」
俺はため息をついた。
「いーや、おかしい。お前がおかしい。クレア、お前には何かが抜けている。日本刀が扱えても、常識が無ければ、世界では唯のクズなんだぞ!」
俺が人差し指を突き付けると、クレアは少し固まり、のそのそとカーテンの後ろに隠れた。
「そうだ、それでいい。」
「あ、隼人? ごめんやけど服なおしといてくれへん?」
意外にノーダメージのクレアはそう言い、なんと、着ていた服を俺に差し出してきた。
俺はどうしていいか分からず、あたふたとしていたが、いつの間にかそれを受け取ってしまっていた。
「なおすって……どこも破れてないけど。」
ピンクのパンツから目を逸らしながら俺が言う。
「あほ。なおすっていうのは修理とちゃうわ。」
「違うのか?」
カーテンの向こうの、クレアの影は、未だ動きを続けている。
「じゃあ何なんだ?」
「なおすは片付けるって言う意味や。考えろ。」
シャッとカーテンが開いた。
「で、どうや? 今日のファッション。」
クレアはくるっと俺に回って見せる。
俺は衝撃を受けた。
黒の小さな靴。ふりふりのスカート。袖の部分が少し広くなっており、背には大きな赤いリボンがついている。開けた胸元がなんだか虚しい。
俺は、これを知っていた。黒と赤。これは……ゴスロリファッションだ。
「関西弁少女がその格好をするのは……。」
俺は呟くが、クレアはお構いなしに、にこにこと笑う。
「でな。この、頭のカチューシャ、この間買ってん。どう?」
クレアの指さす先には、これまた大きなリボン。
「ははは……。」
笑うしかない。
クレアはベッドのシーツを剥がし始める。
「で、どうや? この部屋の住み心地は。」
「どうって、別に普通だったけど。」
俺は、クレアの服を脇に置きながら言う。
「いきなり何だよ?」
クレアはもうシーツを畳み終わり、枕のカバーを外し始めている。
「いや、いきなり環境変わったりしてるから大丈夫かなと思っただけや。」
本人は素っ気なく言っているつもりなのだろうが、正直なところ、かなりぎこちない。
「お前、意外に優しい所あるんだな。」
素直に俺が言うと、クレアの肩がビクンと跳ねた。
クレアは顔を赤くして、手をぶんぶんと振る。
「そ、そんなわけないやろ! うちは諜報員やから、敵の心情なんかも読み取らなあかんねん!」
「そうなのか?」
「そ、そうや。しかも、うちはその中でも一番位の高い一等諜報員やから、こういうことを日常的にしなあかんねん! それをやったまでや!」
クレアは言うと、裸にした二つの枕をベッドに置くと、掛け布団を畳んだ。
「さ、いくで! ボスんとこ!」
布団を抱えながら話す姿はなんだか滑稽だ。
俺は思った。
こいつ、ツンデレ要素があるんじゃ?
「なに、その目?」
「いや、何でも無い。行こう。」
クレアはちょっと俺を睨むと、くるりと外へ向かった。
俺は、手にノートがあることを確認すると、その後に続いた。